ルドルフの戦い

 ルドルフが木々の間を縦横無尽に駆け抜ける。後ろには多数の追手だ、一直線にテルミノ村へ向かえば、この連中も連れて行ってしまう。それどころか、行き先を例の剣士や魔術師に報告でもされたら大変なことになる。だからといって追手を全滅させられるほどの力もない。だから、どうにかして追手を撒くしかない。


「くっそ、冬じゃなかったら!」


 木の葉が落ち、草も枯れた裸の森は隠れる場所が少ない。せっかく地の利がこちらにあるというのに、それが活かせる場所もほとんど思いつかなかった。時々飛んでくる矢が頬を掠める。気を抜けば、あっさりと命を落としてしまうだろう。


「囲め! 絶対に見失うな!」


 兵士のリーダー格らしき人物が後ろから兵士達に指示を出しているのが聞こえる。このまま逃げ回っていても、彼等を振り切ることは不可能だろう。となれば、やれることは一つしか残っていない。戦斧を強く握り、息をつく。


 これまでずっと兄の後を追ってきた。戦斧を振るって多くの魔獣や人間も殺してきたけれど、全ては兄の補助としての働きだった。だが、兄はもう自分の前にはいない。どう動けばいいのかを背中で教えてくれる人がいない。一人で敵と戦ったことなんて、記憶にない。


 怖い。でも、やるしかない。


「おりゃあああ!」


 踵を返し、追いかけてきていた兵士達の先頭の一人に戦斧を振り下ろす。突然の攻撃に対応できず、赤黒い体液を枯葉の絨毯にぶちまけた一人目から即座に視線を外し、横で剣を抜こうとしている二人目を横薙ぎに吹き飛ばす。兵士の数は百人を下らない。集団で襲われればひとたまりもないから、ルドルフはまた向きを変えて走り出す。剣を抜いて攻撃態勢に入った数人の兵士が、抜身の剣を手にしたまま走って追いかける。


 逃げながら追いついてきた兵士を順番に斬り殺していくことで、一対多数の戦闘にならないようにしながら追手を殲滅するのだ。これはかつて兄が教えてくれた、いざという時のための戦術だった。


 この戦術ならよほど実力が上の相手でもなければ相手の不意をついて仕留めることが可能だ。現状でルドルフが取れる最善の行動と言えよう。


 だが、これで簡単に乗り切れるほど現実は甘くはない。まず体力の問題がある。これで敵を全滅させるためには全力で走って適度なタイミングで振り返り、力いっぱい重い戦斧を振り回し、また全力で走るということを百回以上繰り返す必要がある。無理だ。それにずっと同じ行動をしていれば敵にこちらの動きを読まれて防がれる可能性がどんどん高まっていく。一度攻撃を防がれれば、その次の瞬間に複数の兵士に囲まれて命運が尽きてしまうだろう。


 だから、いくらか追手を減らしたらまた別の戦い方をしなくてはならない。次の戦術も兄から教わっているが、そこに移行するタイミングを間違えればおしまいだ。緊張から視界が狭くなる。


「くらえ、『疾風剣』!」


 背後に迫る兵士の一人から、とてつもなく不吉な言葉が飛び出した。これまで幾度となく間近で見てきた、兄の必殺剣が脳裏に浮かぶ。


「うおおっ!」


 走っているそのままの勢いで、斜め前方に跳び地面で前転する。敵の攻撃を確認している猶予などないと判断した。この回避行動が功を奏し、兵士の放った武技はルドルフを捉えることなく進行方向にあった木を切り倒す。動きが止まった武技使いの兵士にすかさず戦斧を振り上げる形で叩き込み、鮮血を散らすとルドルフはまた走り出した。


「ハァッ……ハァッ……」


 呼吸が酷く乱れてきた。もう体力も限界に近い。逃げながら敵を減らすのはもう無理だろう。軽く後ろを見ると、追ってくる兵士の数は数十人にも及ぶ。これでは、敵を全滅させるのは不可能だ。生き延びなくては、ブリテイン帝国の侵攻を伝えることができない。


 では、この連中を引き連れたままテルミノ村へ?


 そんなこと、できるわけがない。


「……アニキ、ごめん」


 自分には、兄が最期に託してくれた使命すら果たすことができない。ことここに至ってもレガリスの声は聞こえない。本当に自分は何の才能も持たずに生まれた、何も成し遂げることができなかった出来損ないだ。そんな思いが熱くなった双眸からあふれ出しそうになるのをこらえ、戦斧を握って立ち止まる。


 こうなったら、一人でも多くの兵士を仕留めて敵軍の戦力を削いでやるしかない。それが少しでも多くの民の命を救うことに繋がる可能性に賭けたのだ。


「こい、クズども! 皆殺しにしてやらぁ!」


 襲い掛かる兵士達に向かって戦斧を振る。圧倒的多勢に無勢だが、それでもルドルフの振るう戦斧は数えきれないほどの兵士達を紙屑のように吹き飛ばしていく。


「怯むな! 三方向から同時に攻撃しろ!」


 兵士のリーダーが指示を出し、恐れ知らずの兵士達が仲間の死体を踏み越えながら殺到する。この兵士達だって故郷があり、家族がいるだろう。人間の生活を脅かす魔獣が闊歩するこの世界で、なぜ人間同士で殺し合いなんかするのだろうか。自分の命を奪おうとしてくる、そして徐々に傷をつけてくる敵兵達に対して、どこか憐れみのような気持ちを持ちながら戦斧を振るい続けた。


「……ここまでか」


 まだ十人以上は残っている兵士達を前にして、もう手に力が入らなくなった。足からも力が抜けていく。無様な姿は見せられないという一心で足に意識を集中させ、地面に突き立てた戦斧を杖がわりにして立つ。兵士達が最後の攻撃を仕掛けるために目配せして息を合わせる気配を感じる。もうろくに動けなくなっているルドルフに対しても決して油断しない彼等に、心の中で称賛を投げかけ、ついに抵抗を諦め目を閉じる。


「お前達、その装備はブリテイン帝国のものだな。こんなところで何をしている?」


 聞き覚えのある中年男性の声が、ルドルフの耳に届いた。

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