知らず変わっていく印象


 騒ぎがあってゲゲに何があったのかを説明して。

 そんなこんなでもうパン屋へ向かわなければ予定が狂ってしまう時間になってしまう。


「朝飯を抜いたことで猛烈にお腹が空いています」


「あの、真顔で言われてしまうと怖いのですが」


「別に怒ってないって」


「機嫌は悪いでしょうに」


「それは間違いない」


 ずんずん。腹ペコには見えない力強さのある歩き。

 道を譲ってしまうほどに威圧感のある表情を振りかざしてパン屋へと進行中のヒメである。


 彼女が語るように怒ってはいない。怒ってはいないのだが機嫌が悪いというだけ。

 何が違うのかだが、さて。何が違うのだろう。


 対象が自分に向く可能性があることに恐れているゲゲは、だがしかし普段と対応を変えることはしない。

 それが対等の関係。上下の差が無い関係だと思っているからこその対応であった。


 その思考自体が自身を優位的な存在だと自覚しているような気もするが、それについて深く考察するのは今じゃない。


「こっちだな? 匂いが、パンの匂いが私を呼んでいる……!」


「逆ですヒメ様。回れ右です」


 冷静な指示に素直に従うヒメ。クルリと進行方向を反転させて歩き始めていく。

 これくらいでは怒らない。怒るだけパン屋への道が遠のいてしまうことが分かっているから。


 目的地が近づく程に機嫌も良くなっていく一方で、空腹指数も右肩上がりに上昇中。

 空腹であればあるほど機嫌が悪くなるのに機嫌が良くなっていく矛盾。


 それはおばちゃんへのそしてパンへの期待の大きさ故の矛盾。

 大きな希望は空腹の絶望を反転させるだけのエネルギーを持っていることに他ならない。


「おばちゃ――あれ?」


「……CLOSED。閉店していますね」


「息子が帰ってきたため臨時休業します。ヒメちゃんゴメンねお詫びにパン置いておくから持っていって……」


 貼られているメモ書きと一緒に描かれている矢印の方向へと視線が吸い寄せられていく。


「これか」


「誰かに盗られていなくて良かったですね」


 無防備に置かれたままの籠の中を確認して、それが自分に贈られたものであることを確信するヒメ。

 焼き上がりほやほやの温度ではなかったが文句などあるはずもない。優しすぎるよおばちゃん……! と感動に震えるヒメなのである。


「別れを言えなかったのが少し寂しいな」


「またすぐに会えますよ」


「ホントだな?」


「……まぁ、その内」


「あんまり適当言ってると羽もぎり取るぞ?」


「あっし、もぎり取られる羽は無いんですけどね」


 パンの入った籠を受け取ったヒメはこれで用は済んだと歩き出す。どこに向かえばいいのか分からないまま。


「あれ、どこ行くんだっけ?」


「ですよね、安心いたしました。あれ、ヒメ様って行き先知らないハズですよね……? と内心ビクビクでしたよ」


「おばちゃんのパンやっぱうめー」


「……街の隅っこにミツキ様の作業場、拠点がありますのでそこへ向かいましょう」


「へぇ? この街を中心に動いてたのか」


「いいえ。あくまでもこれから向かう拠点は数多く存在する内の一つに過ぎません」


「またテレポートで移動か?」


「ご名答。あっしはただの運搬役というわけです」


 卑下しているわけではなく。誇ったように語るゲゲの姿からは自身の役割に嫌悪感など持っていないことが分かる。

 つまるところ、“ミツキにはそれだけの魅力がある”ということ。


 いいように使われているだけならばミツキの元でせっせこ働く必要もないのだ。

 契約どうのこうのが原因という線もあるが、だとしてもそこに至るまでに何かしらミツキに惹かれた何かがあるからこそだろう。


 不思議と。そう考えるとなんだかワクワクが止まらない。

 力を失った直後の不安なんて今は消えているヒメなのである。


「随分、外れた場所に構えているんだな」


「目立ちたくないお方ですから」


「……いや、逆に目立ってるんじゃないか?」


「それ以上に人付き合いの苦手なお方なのです」


「あっ、そう」


 ミツキとアインは似た者同士。

 何が弟子を頼むだよ。師弟揃って対人関係ぼろっぼろじゃねーかと。


「あっしがいなければどうなっていたことか」


「それ、自分で言っちゃうんだ」


「アピールポイントですから。ミツキ様の癇癪を鎮める時にも使える常套手段でもあります。あっしがいなくなったら諸々どうするのか、と」


 思った以上に隙の多そうな人だと、本人のいないところで捻じ曲がっていくミツキへの印象なのであった。

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