ヒロイン


「……んぁっ!?」


 目覚めの時。

 覚醒しきれていない脳みその命令でくしくしと目を掻くヒメ。


 朝日に照らされた眩しさをアラームにしているのはいつものこと。

 寝起きは悪い方ではないが今朝ばかりは疲労がまだ少し残っているのか、二度寝が選択肢に入り込んでくる。


 起きる。寝る。起きる。寝る。


 何か夢を見ていたような気もするし、思い出そうにも何も思い出せないということはそもそも夢なんて見ていなかったということなのか。


 パン屋にはお昼近くになったら行けばいいだろうと。

 働かない頭の中で一生懸命に考えても同じことを答えが見つからないまま次のことを考えてしまう。


 眠い。だったら寝ようかな。でも、今寝たら時間が勿体ない気もするし。

 ……でも、やることも別にないし寝ちゃってもいいか。


 そうやって考えている内にどんどんと覚醒していく。

 もう一度睡眠の心地良さを求めても既に再び睡眠へと至るには至難の領域まで来てしまっていた。


「おはようございます」


「うん。おはよう」


 むくり起き上がったヒメへと朝の挨拶を投げかけたのはゲゲ。

 ヒメよりも先に起きていたのか、ヒメの起きる起きないの独り言で起きたのかどちらであったのか。


 起床。陽だまり差す長閑な朝の始まりであった。


「朝食はどうしましょう。お出かけなさいますか?」


「んー、顔洗ってくる」


 出かけるにしてもまったり朝の時間を消費するにしても、身だしなみを整えるのは最優先。

 容姿なんて気にしない性格にも思えるヒメだがそこはやはり女の子ということなのか。


 部屋には洗顔ができる設備はないため共有の洗い場まで行くしかない。

 それなりに物騒な地域であれば警戒しなければならないのだが、ここはゲゲが用意した宿。その辺りの問題はない。


「お、美人で良い身体してるとか満点じゃね?」


「夜まで待てるか? 無理だよなぁ」


「丸一日ヤろーぜ?」


 まぁ、たまーに失礼な奴が紛れ込むこともあるだろう。それは仕方がない。

 下品な会話が耳に入ってくる不快さを無視すれば良い宿ではある。


 少しでも変な動きを見せたら殴りつけてやろうと思いながら、三人の男達から離れた場所で容姿を整えていく。

 元より化粧なんて一切しない彼女は顔を洗って髪を梳かして。歯磨きをすればそれで準備オッケーといった具合いであり、洗い場を長く使うこともなく済ませてしまう。


 それが良かったのか悪かったのか。今、洗い場にいるのはヒメと先程の男三人だけ。

 既に自分達の用事は終わっているはずの男達は一つしかない出入口で待ち構えていた。


 あぁ、用事があるのは私に対してか。と、その時になって気付くヒメ。

 先程の会話に出てきていたのは自身のことだったらしく、そう思うと気色の悪いことこの上ない。


「なぁ、俺らの部屋来ない?」


「行くわけないだろう」


 歩き始めた時点で声をかけられる。無視しても良かったが、それはそれで突っかかってくるのが分かっていたから一応拒絶の意思を見せる。


「そう言わずにさ。気持ち良いこと教えてあげるよ?」


 会話をするのも気持ちが悪いと今度は無視を決め込む。

 断ったはずだと軽蔑の目を向け、両脇に控えている男たちの間を抜けようとした時だった。


「はい、つーかまえたっ」


「離せ」


「ん~、気の強い子はイイねぇ」


「離せと言っているだろ……っ!?」


「ちょっと、危ないんだけど?」


 渾身のパンチをお見舞いするはずだったのに。

 ヒメの拳は易々と受け止められてしまい、逆に腕を掴まれて引き寄せられてしまう。


 マズイ。考えなくても理解できるこの状況。

 抵抗できるだけの力も失ってしまっているのだと身体で理解させられる。


「やめ、ろっ! 離せって!」


「まぁまぁ。そんなに嫌がらなくてもいいじゃん」


「ん~、もしかして経験無い感じ? うっひょ~!」


 暴れても。体格の差もあり容易に男の拘束から逃れることはできない。

 舐めていた。余所者には男女の差など無いようなものであったからこそ、あの状況がどれほど危険であったのかを正確に判断できなかった。


「あー、ダメだ。早いとこ部屋連れ込もうぜ」


「だな。誰か来ない内にな」


 引きずられるようにして男達の部屋へと少しずつ近づいていく。

 嫌だ。そう思ったところでできるのは抵抗する意思を見せることだけであった。


「いい加減諦めな? 素直に従った方が良いと思うぜ」


「ほらこれ。強めのお薬」


「寝てる間に戻れなくなっちまってたら嫌だろ?」


 人とはこんなにも恐ろしいことができるものなのか。

 知っていたはずなのに、いざ自分がその対象になることで思い知らされる。


 分かっていたつもり。本当の意味で理解なんてしていなかった。なまじ力があったからこそ。自分には起き得ない事態であったからこそ。

 関係無いと無意識の内に軽んじてしまっていたのだ。


「嫌っ……!」


「残念だけどさ。逃がさないからね?」


「助けてほしかったらヒーローにでもお願いしてなー。いるのか知らないけどww」


 着いたのか。着いたのだろう。

 男達はある部屋の前で立ち止まった。


 着いてしまった。後はここに入ってしまえば私の負けだと。

 希望が打ち砕かれていく。前を向いて歩けそうだったのにこれはあんまりだと心が折れそうになる。


 扉が開き、むせ返る匂いが部屋の中から漂ってくる。

 嫌だ、嫌だ! 入りたくない! そう思っても自身の力だけでは何も変わらない。


 終わりだ。もうだめだと。


「――助けて……!」


 ヒメが最後に求めたのは救いを求めることだった。


女子おなごの助けを求める声がする。ならば救ってみようこの命にかけて」


 どうやら、ヒーローはいたらしい。

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