気持ちの整理に浮かぶ笑み
見回りも終わり、今は用意されていた宿の部屋で疲労の回復に努めている最中のヒメ。
精神的にも身体的にも疲れが溜まりに溜まっている彼女にはとびきりのご褒美であった。
陽は既に落ちてしまっていたため、パン屋のおばちゃんへの報告は手短に済ませての撤収。
報酬の一部だとヒメのために焼いてくれていたクロワッサンを宿までに三つを食べての現在。
窓際に置かれている椅子へと腰かけて、暗くなっても出歩いている多くの人々を眺めながら残りのクロワッサンを平らげていた。
今は一人。ゲゲも用事があると離れており久しぶりに一人の時間を過ごしているヒメである。
ミツキから依頼を受けてからというもの、不思議な事ばかり体験することになった。そのことを静かに思い出していく。
変な姿をした精霊ゲゲに出会い、テレポートなんていう貴重な経験もできた。
道すがらに精霊とは何ぞや。それを使役する精霊使いとは一体どういった存在なのか、そんな話もしたり。
到底太刀打ちできない強さを持った強敵がいて。死にかけて。
何が何だか分からない内に精霊ゲゲと同化なるものまですることになって。
気付けば自身のこれまで重ねてきた強さを失うことになっていたのだ。
傍にコウが控えていて。暇さえあれば絡んでくる騒がしい筆頭の蒼や小蔭がいて。
口を開けば面倒だの眠いだの、愚痴の製造機だった受付嬢がいて。
それがもう過去のものなんだと。この静かな時間を味わう程に実感が湧いてくる。
何ももう会えないわけじゃない。話ができないわけじゃない。しかし、あの頃には戻れないのだと。
漠然とした寂しさだけが押し寄せてくる。
もし、ゲゲという精霊がいなかったらこの寂しさに押しつぶされてしまっていたことだろうと。
何をしでかしてしまうのか分かったものではないと、自分でも考えるのが怖くなってしまう。
食で気分を紛らわせていたかもしれない。自棄になってなまくら片手に魔物の群れに挑んでいたかもしれない。
戦いばかりの日々から一転して、誰かと家庭を持つ未来だってあったはず。娼婦として使えない肉塊になるまで性欲に溺れてしまう未来もあったかもしれない。
センチメンタル。
らしくないと。知らず眉間に寄ってしまっていた皴をくにくにと解していく。
眺めていたつもりだった窓からの景色を今一度。星の明かりが見えないのは薄雲のせいか部屋の明かりのせいか。
遠くから。フヨフヨと不自然な動きをした光体が近づいてくるのが見える。
正体なんて分かり切っていた。ミツキから遣わされてきた精霊のゲゲだ。
不思議な精霊だと、ヒメは改めて思う。
見た目どうこうの話ではなく、内面的な部分の話だ。
世話を焼いてくれるという点ではコウに近しい距離感ではあるのだが。
一歩後ろから支えてくれているような彼とは違って、一歩も二歩も先から見守ってくれているような印象なのだ。
丁寧な口調に騙される時もあるが言う時はきっぱりと物申し、相手を敬ったうえで殴り返してくることもある。
コウとは違って自身の付き人ではないからこその違いだろうと言われればそうなのかもしれないと思う半面、それだけじゃないだろと思う気持ちが大部分を占めているのも事実で。
なんでこんなにも世話を焼いてくれるんだろうという疑問もある。
流れで力を失ってしまったのは誰のせいでもないのだ。あえて原因を作るのだとしたらそれはただ単にヒメの実力不足だったと言える。
正直言って、同化してしまったから力を失いました。可哀そうだね。依頼はなかったことにしておくから、大変だろうけど頑張ってね。
という形で終わってしまっていたとしても変ではないし、むしろそう話が進んでしまう人の方が多いのかもしれないとも思えてしまう。
なのに、どうしてここまで世話を焼いてくれているのか。
何かしら利用価値があるからなのだろう。優しさや罪悪感だけで動いてくれる人はあまりにも少ないから。
あぁ、成程。自分にはまだ利用価値が残っているのかと。
頭の中で整理している内にそうかそうかと納得していくことになる。
嫌じゃない。悪さを強要されているわけでもなく逆に人助けができる仕事先まで紹介してくれているのだ。嫌であるはずがなかった。
逆に、燃えてくるものがあった。
諦めるにはまだ早いぞと希望を持って先を見ることができるようになった。
可能性があるのならしがみ付いてやる、と。
「おや、どうかなされたのですか? そんなににやけちゃって」
どうしてもこの時ばかりは表情を隠しきることなんてできなかったらしい。
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