熱に震える指先


「無事、果たしてくれたみたいね」


 ふわり、浮くように。

 重力に反する方向性に戸惑うことになる。


 自身の役割を終え、落下していくことを良しとしたヒメは空中で誰かに受け止められ驚く。


「幽霊、じゃなかったのか」


「勝手に殺さないでくれる?」


 微笑んだその顔は幼く見えるのに、どうしてか安心できる優しさがぽやぽやと滲み出ていた。


 ヒメを宙で抱き留めたのは道端で出会った謎のゴシック・アンド・ロリータ少女。


 ユラユラと揺り籠に似た左右の運動に、まるで赤子に戻ったかのような。

 眠っていた何かがくすぐられる感覚にそのまま身を預けてしまいたくなるのをグッと堪える。


「そのまま眠ってしまってもいいのに」


「今寝ると夜に寝れなくなるからな」


「なにそれ」


 打って変わって浮かんできたのは無邪気な笑み。

 容姿そのままの子供が作るニッコリ笑顔が名前も知らない少女に咲いていた。


 ゆっくりと衝撃を最小限に抑えるように。

 それはぬかるんだ地面で転んでしまわないように、洋服を汚さないようにするための着地の仕方だった。


 彼女を抱いた時点で泥まみれ汚れてるだろ、って? 最低ね。


「一人で立てる?」


「さぁ、どうだろうな」


 そんな返答に容赦なく手を離す少女。

 どさりとケツに響く自身の重さに顔を歪めるヒメは、少しの間その場で悶絶することになった。


 すっかり雲一つ無くなった空。

 未だ雨のせいでぬかるみぐちゃぐちゃになった一帯が戦闘の激しさを思わせる。


「し、師匠……?」


「不甲斐無い小さな私の教え子。久しぶりね」


「ど、どうしてこんなところに……」


「少しは成長したのかと思ったけど、あんまり変わってないみたい」


 『せっかく見直したんだけど』なんてがっかり感が見えるみえる。

 わたし、泣けてきちゃった。しくしく……。


 演技を見せびらかす少女も異様であるのだが、ヒメは少女の差している傘の方に意識が向く。真っ黒な色、統一感のある中で一際目立つのは描かれたその模様。


「……あっ、そのマーク」


「え、気付いてなかったの?」


「なんか見覚えあるなとは思ってたけど、繋がってなかった」


 ポッケから取り出したのはアインから貰ったお守り。

 よく見れば、いやよく見なくともハッキリと大きく描かれているのは三日月模様。


 実はアインが渡していたのはお師匠印のお守りであったのだ。


「見てたのなら、手伝ってくれても良かったのに……」


「いつまでも弱虫なままのあなただったらそうしていたのだけどね」


 昔も今も及第点ってところね。なんて呟く少女は冷静に見ると違和感がある。

 見た目通りと言えばそうなのかもしれないが、褒めたいのか発破をかけたいのかどちらなのかも分かりづらい。


 アインが師匠とする人物だ。見た目のままの年齢とは考えにくい。

 もっとも、アインの師匠であるという情報しかない中での考察に意味はあるのか疑問だが。


「ま、精々死なないようにしなさいよ。騒ぎも落ち着いたことだし私はもう行くわね」


「えぇ~……。師匠、何しに来たんですか? 可愛い弟子の顔を愛でに来たんじゃなかったんですかぁ?」


「ヤバそうな気配がしてたから様子を見に来たの。そこにたまたまアンタがいたってだけよ」


「またまたぁ~、そんなこと言って本当は私のこと心配してきてくれたんですよね~?」


 人が変わったように饒舌なアインが『恥ずかしがり屋さんめ~』と師匠へと抱きつこうとするも、びったーん! と顔を潰して動きが止まることに。


 まるで壁にでも衝突したかのような顔面を晒してしまうアイン。

 恐らくはアインが師匠と慕う少女の精霊の仕業なのだろう。


 そして弟子との触れ合いに満足したのか少女はヒメへと向き直る。


「もし、迷惑にならないのならこの子のことお願いできる? こんなんだし、誰かに頼れるような関係性も作れてないのよ」


「あー、話を聞くぐらいなら」


 絶対に頷きなさいと目で語るようなあの時の圧力は感じない。

 本当にちょっとしたお願いということなのだろう。


「助けを求められたら耳を貸すくらいの軽い感じでいいの。……あとは、これ」


「数字の羅列、だな」


「私の連絡先。しばらくしたら紙ごと燃えて消えるようにしてあるから気を付けてね」


 もしかしたらいつか仕事をお願いするかもという言葉を続け、くるり背を向ける。

 笑ったり困ったり、怒ったりと。ころころと表情が分かりやすく変わるのは、彼女にそれだけの余裕があるからだろう。


 相当な実力者。戦闘能力どうこうというより精霊使いとしての技術の熟達を終えた者の風格。なんて勝手に脳内で持ち上げているヒメである。


 聞いても精霊使いの達人なんて一人として知らないヒメは『あー! あなたがあの!』なんて反応をすることはできないが、今後付き合っていく以上は名前くらいは把握しておきたいのが普通だろう。


 いそいそと帰りますよとチラ視線を向けてくる彼女を見ていると、何かを待っているようにも思える。

 何かを言ってほしいのか引き留めてほしいのか。それは出会ったばかりのヒメ達には分からない事だった。


「引き留めてしまってすまないが、よければ名を教えてくれないだろうか。お互い名前を知らないのも不便だろう。私はヒメ。好きに呼んでくれて構わない」


 求めていた言葉だったのか、にぱぁと咲いていく笑顔を見るとなんだか嬉しくなってしまうヒメ。

 求めていた妹はここにいたのか……! なんて心の内で涙を流すことに。


 そんなヒメの期待がどう転ぶのか分かる日はいつかくるのだろうか。


「名前? 次に会った時に教えてあ・げ・る♡」


「やっぱいいかも」


 大きな気泡ほど弾けた時の衝撃が大きい。

 ヒメの中の理想の妹像(クロリータちゃん仮称)がひび割れてそして砕け散っていく。


「はっ!? え、ちょっとなによそれ!? せっかく大人の色気? ってやつを出してあげたのに!! もう、いいわよ! それじゃあねっ」


 ぷんすこと顔を真っ赤にしたまま。そして結局名前を聞けないままの別れになってしまう。


 重力を感じさせずに浮かんでいくその様は風に乗ったとでもいえばいいのか。

 傘の柄を小さな手で握りしめる姿がなんとも愛らしい。


「ばーい♪」


 静けさの訪れ。

 別れの寂しさはあれど、それ以上に戦闘後の疲れが原因であれこれ話したり動いたりしたくないという気持ちが大きかった。


 蒼が先程から一言も発していないのは、力を使ったことによる疲労のせいで座り込んでいたから。


 ヒメも地面がぐちゃぐちゃになっていなければ大の字になって寝転んでいただろう。


 誰に何を言われるのか。そんな不安も疲れの前には考える余裕もない。


 連絡先。

 受け取った紙が少し熱くなってきたような気がして。


「落としたら絶対に壊れる……!」


 通信端末へと数字を打ち込むヒメの手は小さく震えていた。

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