第2話
4月6日 木曜日
後ろの席の高橋。
昼休み、思い切って振り返った。
本を読んでいる姿は、いつも通り。
「あの、高橋くん」
驚いたように顔を上げる。
周りのクラスメイトも、不思議そうな顔。
女子から話しかけられることなんて、ほとんどないはず。
「この前発売された『クリスタルナイツ』、もうクリアした?」
言葉が出てきた時には、自分でも驚いた。
教室が、一瞬シーンとなる。
「え...あ、うん。先週」
高橋も困惑気味。
でも、表情が少し柔らかくなった。
「梨奈、ゲームなんてやらないでしょ?バレー部で忙しいのに」
美咲が不思議そうに割り込んでくる。
「あ...」
そうだった。
運動部で放課後は練習。
週末も試合や練習で予定がびっしり。
ゲームをする時間なんて、ないはず。
「なんか、入院中にちょっと...」
言い訳がうまく出てこない。
「へぇ、伊藤さんもゲームするんだ」
高橋は少し嬉しそう。
でも、美咲の「なんか変」という視線が痛い。
「ねぇねぇ、伊藤〜」
教室の前で、サッカー部の山田が大声で呼び止めてきた。
「明日の試合、応援来てくれるよな?」
いつも通り、数人の男子を引き連れている。
日直のクリーンアップ作戦の時も、こいつらばかり手を抜いてた。
「部活があるから...」
「なんだよ、いつもは応援来てくれてたじゃん」
「そうそう、伊藤の声援で勝てたんだぜ?」
後ろの男子たちも調子を合わせてくる。
その時、高橋が立ち上がった。
カバンを手に取って、さっさと教室を出ていく。
「わかった、考えとく」
適当に答えて、その場を離れる。
後ろから男子たちの声が聞こえる。
「最近、伊藤冷たくねぇ?」
「入院してから変わったよな」
「つまんねぇ」
足早に階段を上る。
声が聞こえなくなるまで。
休み時間なのに、誰もいない階段の踊り場。
窓から差し込む陽の光が、やけに眩しい。
なんでこんなところまで来てしまったんだろう。
でも、教室には戻れない。
「梨奈、バレー部の練習どうするの?もうすぐ始まるよ」
美咲の声に、ハッとする。
「部室...行こう」
足が重い。
部室に着くと、数人の女子が着替えていた。
「あ、梨奈先輩!」
「おかえりなさい!」
慌てて目を逸らす。
ロッカーの前で、制服を脱ぐ手が震える。
「梨奈、ユニフォーム貸してあげようか?」
後輩が声をかけてきた。
そうか、部室に自分のユニフォームがあるはず。
でも、どれが私の...。
体育館に入ると、懐かしい音が響いていた。
シューズの音、ボールの音、声を掛け合う音。
準備運動から、体が思うように動かない。
レシーブは全然合わない。
スパイクは空振り。
サーブは枠に入らない。
「梨奈、まだ無理しない方がいいんじゃない?」
キャプテンが心配そうに声をかけてくる。
「事故の後遺症かもね」
「しばらく様子見た方が...」
みんなの優しさが、かえって辛い。
帰り道、美咲が心配そうに歩幅を合わせてくる。
「もしかして、バレー部辞めたい?」
その言葉に足が止まる。
「だって、今日の練習見てても、全然楽しそうじゃなかったよ?」
「そんなことない...」
「梨奈がバレーを楽しそうに見えないなんて、初めて」
確かに、バレーは辛かった。
体が思うように動かないのもそう。
でも、それより更衣室での着替えや、シャワールームが...。
「事故のせいで怖くなったの?」
美咲が静かな声で言う。
「無理して続けなくてもいいんだよ。私がキャプテンに相談してあげる」
「そうじゃなくて...」
でも、その先の言葉が見つからない。
夜、布団の中でスマホを開く。
バレー部のグループLINEが、既読のついていない通知でいっぱい。
『梨奈先輩、お疲れ様でした』
『久しぶりの練習、大変だったよね』
『ゆっくり休んでください』
『また明日も待ってます!』
みんな、優しい。
でも、その優しさが痛い。
キャプテンからの個別メッセージも。
『梨奈へ。
今日は無理させてごめん。
でも、チームのみんな、梨奈が戻ってきてすっごく嬉しかったって。
明日からは見学でもいいから、来てくれたら嬉しいな』
返信する言葉が見つからない。
画面を消して、天井を見上げる。
コンコン
「お姉ちゃん、夕飯だよ」
妹の声。
返事をする気力もなく、布団に潜ったまま。
「具合悪いの?」
妹が部屋に入ってきた。
「珍しいね。お姉ちゃんが夕飯抜くなんて」
ベッドの端に座る気配。
「最近、全然食べてないよね」
「そう...?」
「うん。いつもは練習で疲れて、おかわりするのに」
黙り込む。
妹の優しい声が続く。
「お母さんもすごく心配してる。夜中まで携帯見てたの、私知ってるよ」
布団から顔を出す。
「ごめん...」
「いいの。でも、少しだけでも食べない?お母さんが好物作ってくれたよ」
「いただきます」
小さな声で言う。
テレビがついているのに、やけに静かな食卓。
箸を進める手が遅い。
私の大好物のハンバーグのはずなのに、全然進まない。
母と妹の視線が痛い。
でも、気付かないふりをして、ご飯を口に運ぶ。
昔は部活帰りに、がっつり食べてたんだろうな。
「ごちそうさま」
まだ半分以上残ってる。
母が何か言いかけたけど、
「ちょっと疲れたから、先に部屋行くね」
椅子を引く音が、やけに大きく響いた。
階段を上りながら、
「まだ食べられるでしょ?」
「無理しないで休んだら?」
という母と妹の会話が聞こえてきた。
スマホを開くと、既読のついていないメッセージ。
バレー部の引退した佐藤先輩から。
『明日、昼休みに話があるんだけど、屋上に来れる?』
『キャプテンには私から言っておくから』
先輩は昨日の練習、見学に来てたんだ。
3年生なのに、後輩の様子を気にかけてくれて。
でも、今は誰とも話したくない。
画面を消して、布団に潜り込む。
すると、また通知音。
『梨奈ちゃんの気持ち、私にはわかるかもしれない』
返信はできなかった。
4月7日 金曜日
教室に着くなり、昨夜のメッセージが頭をよぎる。
佐藤先輩は、一体何を...。
授業に集中できない。
窓の外を見つめながら、昼休みのことばかり考えてしまう。
「梨奈、一緒にお昼食べる?」
美咲の声に我に返る。
「ごめん、今日は用事があって...」
チャイムが鳴る。
立ち上がる足が震える。
でも、行かなきゃ。
屋上への階段を上りながら、逃げ出したい気持ちと戦う。
ドアを開けると、風が吹き込んできた。
佐藤先輩が既に来ていた。
フェンスに寄りかかって、空を見上げている。
「来てくれたんだ」
振り向いた先輩の表情は、いつもより柔らかい。
「私も、去年入院してたの」
突然の告白に、言葉を失う。
「交通事故。半年くらい、バレーできなかった」
風が二人の間を通り過ぎる。
「みんなの会話についていけなくて。練習の内容とか、試合の話とか」
先輩の言葉が、胸に刺さる。
「部室でも、みんな楽しそうに話してて。でも自分だけ、その輪に入れなくて」
「...」
「焦れば焦るほど、どんどん遠くなっていく感じ」
下の校庭から、部活の声が聞こえてくる。
元気な掛け声、笑い声。
今の自分には、遠すぎる音。
黙ったまま校庭を見下ろしていると、
「無理して練習に来なくていいんだよ」
先輩がそっと言う。
その優しさが、また胸を締め付ける。
「キャプテンの涼子とも話したの。見学なら来てって言ってくれてるけど...それも辛いよね」
「...」
「みんなが頑張ってるの見てるだけの方が、余計に」
言葉にできなかった気持ちを、先輩が代わりに紡いでくれる。
下では、バレー部の後輩たちが昼練習を始めていた。
いつも通りの声出し、いつも通りの音。
あの中に、私の居場所は...。
「じゃあ、私、もう...」
諦めにも似た言葉が、自然と零れる。
「その選択肢は、まだ早いかも」
先輩が静かに遮る。
「でも、私には...」
「今は、ただゆっくり休もう」
「休んでも、結局同じです」
「同じじゃないよ。私も最初は、もう戻れないって思ってた」
先輩の声が、風に乗って届く。
「でも今は、ここにいるでしょ?」
下から聞こえる練習の音。
サーブを打つ音、レシーブの掛け声、笑い声。
全部が遠くて、でも確かにある音。
「そうだ...」
思いついたように呟く。
「先輩、私に基礎から教えてくれませんか」
「え?」
「今の私には、チームの練習は無理です。でも...」
言葉を探す。
「一から、ゼロから教えてもらえたら」
先輩が驚いたように目を見開く。
「バレーは...頑張るつもりだから」
その言葉だけは、嘘じゃなかった。
「うん、いいよ」
すぐに返事が返ってきた。
「朝練の前とか、できそう?」
チームの練習より早い時間。
誰もいない体育館で、基礎から。
そう考えたら、少し楽になった。
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