第二十話『もう散々』

第21話

「なック。何でよ。いつもは私の許可なく近づいてくるくせに」


「そうだけど」


――自覚あったんかい。


「今は汗臭いし、服も土埃で汚れて・・・」


「お得意の魔法でも唱えたら?」


「・・・・・・」


ディセルは唇を尖らせてそっぽを向いた。それもそのはず。今のディセルは先程の模擬戦闘で魔力を使い果たした後――だから外のベンチで寝こけていたんだ。


「良かったね。今のヒックちゃんなら僕のこと倒せるんじゃない?」


「そんな卑屈な戦法取りません」


と言いながらしっかりと寝込みを襲おうとしたことを思い出し、頬が赤く染まった。


「こ、これを渡したかったんです!同じクラスメイトで・・・インターン生として!途中で倒れられても目覚め悪いから・・・」


「何これ・・・ジュース?」


「私はディセルと違って変な薬を混ぜたりなんてしないから」


紙袋を突きつけると、ディセルは大した警戒もせずタンブラーの蓋を開けて中身を覗き見る。私は私で敬語がついたり取れたりと、心中大騒ぎしていた。もうこうなったら勢いで・・・!


「これ・・・買ったんじゃないよね。わざわざ持ってきてくれたの?」


「ヒック」


訝しげな視線が肌に突き刺さる。そりゃそうよね。私だって何でこんなことしちゃったのか自分でもよく分かってない。


「ふーん・・・わざわざ家戻って?可愛いタンブラーに注いで?僕の為に?」


――うわあああああ羞恥!


「の、飲まないなら返して・・・捨てるなら私が飲む!」


「しょーがないな」


言葉とは裏腹に、ディセルはタンブラーに口をつけ――一気に飲み始めた。


――結局飲むんだ・・・噴き出さないところを見ると、味は大丈夫そうね。


ほっと胸をなでおろし、慌てて言い訳を考える。侯爵家に『貸し』を作るためだと自分を納得させた頃、目の前に新品同然となったタンブラーが差し出された。


「この僕に塗装剥げ剥げのタンブラーを差し入れるなんていい度胸してるじゃん。ジュースの味に免じて、お得意の魔法かけておいたから」


両手で受け取り、ディセルを見ると・・・体は風呂上り同然。服は洗濯直後のような清潔感を放っていた。いつの間に魔力が!


――流石ママ直伝のフルーツジュース・・・効果は抜群ね。


「じ、じゃあそック。そういうことで・・・」


そそくさと紙袋を持ってディセルに背を向ける。一刻も早くベットにダイブして叫びたかった。


「魔法特務機関のインターンなんて男ばかりでむさ苦しいし、身内がいてだるいなってずっと思ってたけど・・・」


私は足を止め、恐る恐る振り返る。ディセルの瞳に私の顔が映った瞬間――彼の目が柔らかく細められた。


「・・・ヒックちゃんがいるなら意外と頑張れそうかも。気遣ってくれてありがとね」


「・・・ック」


僅かに首を下に傾け、猛ダッシュで家へと走る。早く、追いかけないと――。


「ハァ、ハァ・・・ッウエックッ。ハ・・・ヒック!」


――早く、早く・・・!まだ間に合う!手遅れなわけがない!


学園とそう変わらない距離を駆け抜けて、家という安全地帯に到着した。エステラ史上最高記録を更新し、息も絶え絶えのままベットの手前で膝をつく。


「ック・・・ヒック」


規則正しいしゃっくりが脳内のシーンを切り替えていく。ディセルの声、ディセルの手、ディセルの・・・感謝で満ち溢れた表情。


『気遣ってくれてありがとね』


――違う。そんなんじゃない。いや確かにディセルの為にやったことだけど・・・。とにかく違う!


視界の隅で紙袋からタンブラーがはみ出ている。私は自分の髪の色と同じそれをテーブルの上に置き、全身が奏でる音に身を任せる。


バクバクと音を立てる心臓は、走った直後だから。


絞めつけられたように胸が苦しいのは、単純にお礼を言われ慣れていないからだ。しかも日頃悪態を吐いてくるいじめっ子が・・・こんな時に限って素直になるのが悪い。


いつもなら私の隣にいる『ディセルを妬み、憎む感情』がどこを探しても見つからないのは――


「・・・ヒック。早く・・・ディセルを呪わないと・・・ック。早く・・・!」


――ただ照れているだけだと、そう自分に言い聞かせ続けた。

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