第二十二話『幸せの裏で』
第23話
8時17分
千田沙穂は鞄を肩にかけ、音楽室を出る。今日の朝練や『あいマイ』について友達と談笑する傍らで、頭では全く別のことを考えていた。
――香音は、もう紫水に話したのか・・・いや、面倒くさがりなあいつのことだ。ワンチャン日寄って逃げてるかもしれない。
胸の中に黒い靄のようなものが溜まる。紫水からはぎゃ男の名前を聞いた時、再推しと同じ『空』がついているという理由だけで興味を持った。あの日の帰宅途中、興味本位で『タロット』にかけた自分をぶん殴りたい。
――殴れたとしても、殴られた側のウチは『しょーがないだろ!分かるかそんなん!』って逆ギレするだろうな。
通信環境が整っている自宅で再度試しても、再起動しても結果は同じだった。次の日の朝『結果が表示できません』の画面を眺めていると、父が2階から降りてきた。普段あまり会話することはないが、警察官である父なら冗談で流さず理路整然とした回答が期待できると考え、それとなく質問してみることにした。
――父さんの推理は、結構参考になったな。話はすげぇ長かったけど。
特に、『占い』を信じない人間についての話が印象深かった。『占い』はあくまで個人が最終的に幸せになるよう導くものであり、その過程で本人の意思にそぐわない選択を強いられることがたびたび起こる。そのため、政府はあくまで『占い』を信じることを『強制』するのではなく『推奨』している。
――『占い』の普及率増加と犯罪率減少は比例する。父さんが日々相手してんのは『占い』を無視して若気の至りで好き勝手やった馬鹿か、『占い』を信じているにも関わらず、一時の気の迷いや油断、偶然が事件を引き起こしてしまったっつー案件ばかりだ。
――ふーん。
――そいつに絡むのはやめておけ。ま、『タロット』に任せておきゃあ安心だがな。
『占い』を信じないなんて前代未聞、沙穂にとって未知の領域だった。
自分のクラスに着き、友達と別れる。沙穂はあえて後ろの扉から入った。喧騒の中奥から4列目、後ろから2番目の席を目指して進んでいく。そこには背中まで伸びた黒髪を垂らした紫水と、肩まで伸びた黒髪をルーズサイドテールにした香音がいた。
――紫水が座ってる?いつもなら逆なのに。
珍しいなとひとりごちる。香音と目が合ったので、小さく手を挙げた。
「はよ」
「おはよう」
「千ちゃんおあよー」
「・・・なるほどな」
紫水の様子を一目見ただけで、沙穂は現状を把握した。眼鏡の奥にある瞳は少し充血し、顔の半分は白のマスクで覆われている。そして挨拶は鼻声であることから、沙穂は――
「あーっ、くしゅん!はっ・・・っしゅん!」
「なんでよりによって今花粉症なんだよ・・・!」
――直治について問い詰める空気ではないと理解してしまった。
沙穂は内心頭を抱える。十中八九、香音も朝紫水を見て『あ、コレ今日無理だな』と思ったに違いない。
「なんでって?」
「あー、あれだ。はぎゃ男のこと聞きたかったんだよ」
『sou』は何て言ってたんだと聞くと、紫水は鼻をかみ始めたので香音が代わりに説明する。
「家出る前にしっかり花粉症対策したから、午後には収まるって」
「コンタクトやめたし、箱てっしゅと薬持ってきた!」
「目と鼻が大分キてんな。喉は?」
「今んとこへーき」
「今日はあんま喋んない方がいいかも」と香音は横目で沙穂を見る。
「そうだな」沙穂も香音を見つめ返した。
「えー話せるよ?私ね、なんと空井君の連絡先ゲットしたんだ!」
昨日勢いでお礼Chat送ったの!と話したくて仕方ないオーラが全身から溢れている。
『新しい友達』の項目に『空井直治』とフルネームで書かれたアカウントを目の当たりにした沙穂は、持ったままの荷物が急に重くなっていくのを感じた。
「長くなりそうだから昼に聞く」
「私も、今日の古文当たるから」
その場から逃れた2人はアイコンタクトを交わす。今日一日紫水に直治のことを話させない。8時30分、試合のゴングならぬ始業のチャイムが鳴り響いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます