第18話 怒りの矛先


「叔父上…」


 甥に呼ばれて、セバスチャンは顔を上げて部屋の外を見た。

 淑女の寝室だ。年が離れていて妻子持ちの身であるセバスチャンと間違いがあってはならないと開け放ったままの扉の先で、気まずそうに甥のルパードが室内を窺っていた。


 入室しないのは当然のことだが、淑女の寝室を覗くのはよくない。

 それを言えばセバスチャンが淑女の寝室に入るのもよくないことだが、これには理由があった。


「その、二人の様子は…変わりありませんか」

「勇者様はともかく、ムツミはもう暫く目を覚まさないでしょう」


 規則的に呼吸する少女を見下ろし、大きな寝台に腰掛けたまま天井を見上げる。

 そこでは、勇者様の手元で形を変えた伝説の武器が、くるくる回っていた。


 見たことのない不思議な形状の武器。桃色で、大きな輪の中に桃の形をした赤い宝石が浮いている。その赤い宝石がくるくる回転し、不思議な光をまき散らしている。

 輝きと共に落ちてくるのは小さな星だ。光り輝く星は柔らかな軌道を描いて睦美の身体に降り注ぐ。そっと手を伸ばしてみても、星はセバスチャンを避けて睦美へ向かっていく。

 これは、恐らくだが勇者が持つ奇跡の力の結晶だ。


(過去の文献に書かれた、勇者が起こした数々の奇跡…雷の逸話が多かったけれど、中には癒しの力を行使したものも残っていたはず)


 傷を癒す役割は、主に聖女が担う。だからこそ、勇者が癒しの奇跡を行使する描写は少なかった。

 しかし今回は聖女が傍にいない…だからこそ、勇者自ら癒しの奇跡を起こす必要があった。


(みーちゃん様がどこまでご理解しているのか、わかりませんが)


 あの日、彼女は怒りの籠もった落雷を王宮に落とした。


【つむちゃんをいじめないで!】


 その言葉通り、つむちゃん…睦美に害意を抱く相手へ雷を落とした。


 実害を出した魔法使いは勿論のこと、その場にいなかった策略を巡らせる大臣。彼女の立場を狙う使用人。役立たずと笑った者たちすべてに雷が落ちた。

 悪意の程度の差はあれど…ビリッと痺れただけのものから火傷をするものまで多種多様。怪我人が続出した。目に見える形で焼き付いた雷は、それだけ少女の敵の多さを物語った。

 さらに、この降り注ぐ奇跡。

 これは睦美にだけ注がれ、他の誰も受け取ることはできなかった。


(しかも、悪意を持つものを焼く)


 勇者の落雷で大火傷を負った大臣が、勇者の奇跡に縋って乗り込んできた。

 しかし輝く星を強奪しようとしたそのとき、大臣の手に触れた星が燃え上がった。

 それは周囲に燃え広がることなく、大臣が触れた手のみを焼いた。


 そんな大騒動があったというのに、睦美もみーちゃんもぐっすり眠って目を覚まさない。

 みーちゃんもまた、あの日から眠り込んでしまっている。


(奇跡を起こしている影響…ですね。こんなに小さい身体で、大人の身体を治すのは体力も魔力も消費して当然です)


 その消費分を削減、回復するために、みーちゃんは眠っている。

 回復中の睦美もまた、眠っている。

 眠っている二人を世話するのは侍女の仕事だが、奇跡に触れれば火傷する恐怖心から、その世話も満足にできていない。

 悪意がなければ問題ないのだが、万が一を考えて怖じ気づいている。


 セバスチャンが淑女の寝室に足を踏み入れているのは、彼が数少ない燃やされる心配のない大人だからだ。


 セバスチャンは、睦美に悪意も害意も抱いていない。

 罪悪感なら抱いているが、だからこそこうして世話を焼くことができている。

 ルパードもそうだ。しかし彼の場合は罪の意識で近寄ることもできていない。


 彼女たち周辺の人事は、ルパードの管轄だ。

 つまり、魔法使いを睦美の教師役に抜擢したのはルパードだった。


 本当は、セバスチャンがすべてを動かせる立場に立てればよかった。

 しかし現状、それも難しい。抱えている案件が多すぎて、ルパードに任せるしかなかった。

 先走りながらも罪悪感を覚えたあとなら慎重になれるだろうと、一度取り上げた役割を元に戻した。優秀な側近もいたが、進言できても決定権はない。最終的に決めるのはルパードに任されていた。


 睦美はセバスチャンにも、ルパードにも魔法使いと合わないと訴えた。教師を変えてくれと訴えた。

 セバスチャンは要望を聞き、ルパードに変更が無理なら授業をやめるか侍女達に簡単な授業をさせるよう進言した。


 けれどルパードは、魔法使いを教師から外すことはなかった。


 その結果がこの事件。

 ルパードはとても小さくなっている。

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