第8話 幼女の名は
ちなみにこの会話中、幼女はずっと私の胸に頭をほよんほよんぶつけて遊んでいた。
セバスチャンは紳士的に見ないふりをしていたが、顔だけ王子はチラチラ私の胸元を見ていたので本当に残念である。男ってやつはほんとによ。顔を殴ったあとに股間を蹴っていいだろうか。
私の号泣を見てちょっとばかし気を許した幼女だが、気を許した途端に手が掛かるようになった。
今までじっとしていたのに、急に走り回ったり悪戯したりするようになった。
このお胸トランポリンも多分悪戯だと思う。ちょっと得意げな顔でぱふぱふしているし。
なんの遠慮もないことから、多分この子のお母さんも巨乳に違いない。慣れてやがる。止めようとするときゃっきゃ大喜びで身をよじる。その動きがグニャッてなっててびっくりだ。骨大丈夫? 子供ってこんなに曲がるの? 戸惑いが隠せない。
なにこれ。グニャグニャしながらすごい笑う。
今までこんな楽し気な声を出したことなんかなかったのに…。
でもなんか、幼女が楽しそうに笑うと、胸がキュンキュンする。
え、可愛い…笑顔でじたばたする幼女可愛い。ギャン泣きでじたばたするのは全然可愛くなかったのに。笑ってるだけで可愛い。
嘘だろ…これが母性…?
泣き顔じゃなくて笑顔を向けられた途端これだ。子供って罪作りだな。
それとも私がチョロイのか?
いいや。ギャン泣きよりきゃあきゃあ笑いの方が気分いいだけだな。あとワンオペじゃなくなった心の余裕。
世話は相変わらず面倒くさいもん。一人の時間欲しい。
「随分仲良くなったようだな…?」
「へへーっ」
「…!?」
お返事みたいな笑い声が幼女から帰ってきて、顔だけ王子は飛び上がって驚いた。
わかる。
今まで頑なにおしゃべりしなかった幼女からの反応に驚く気持ち、よくわかる。
幼女はもぞもぞ私の膝の上で立ち上がり、対面する大人たちに向けて指を三本立てて見せた。
「みーちゃん」
「…!?」
「よろしくお願いします。私はセバスチャンです」
「せばすちゃん!」
発音的にセバスちゃんになってる気がする。
しかしセバスチャンは訂正せず、深く頷いた。心が広い。
そのまま幼女…みーちゃんは、顔だけ王子を指さした。指は三本指のままだった。
「おーじさん」
「ん…!? な、なにか違う…」
王子様じゃなくて王子さんらしい。
王子様って感じじゃないわけね。わかるわ。
ちょっと間抜けなオジサン呼びにも聞こえて思わずにやにや笑った。いくつか知らないけど幼女からオジサン呼びは堪えるだろ。多分私よりちょっと年上の二十代前半だろうけど幼女からしたらおじさんよ。
満足げな顔をしたみーちゃんは、ずり落ちるみたいに私の膝に座り直した。座り直して、私を見上げた。
すっごいどや顔するじゃん。
多分、親にもみーちゃんと呼ばれているのだろう。自分の名前をみーちゃんだと思っていそう。
だから多分これは、ちゃんと自己紹介ができたぞという誇らしげな顔…だと思う。
というか、正式な名乗りではないが、幼女が名前らしきものを教えてくれただけで快挙である。今まで頑なに教えてくれなかったから。
どや顔にどう反応したらいいのかわからなかったので、とりあえず擽ってみた。みーちゃんはご機嫌にキャラキャラ笑った。
「きゅ、急に懐いたな…これは懐いているのだよな? 一体なぜ…ムツミも何故もっと驚かない」
「その驚きもう飛び越えたわ」
私が幼女の名前を知ったのは、今じゃなくて朝。
みーちゃんの態度が軟化した朝。
しっかり目が覚めた布団の上で、じりじり匍匐前進して来たみーちゃんがちっさい声で、秘密を告白するみたいに教えてくれた。
「さいしょにね、ねぇねに教えてあげる」
この時点で心の中で「喋った!?」って騒いだけど、空気を読んでお口チャックした私は偉い。
「みーちゃんはね、みーちゃんだよ」
まるで秘密だよと言い含めるみたいに、匍匐前進しながら私のすぐ横に小さな身体を滑り込ませた幼女…みーちゃん。
白いうさぎは枕元。最後の砦を置いたまま、私の胸に顔を埋めるみーちゃん。
びっくりした。
私に引っ付いても、絶対最後の砦は手放さなかったのに。みーちゃんは最後の砦を手放して、私の胸に埋まっている。
「…ねぇねじゃなくて、睦美だよ」
マジで懐に潜り込んで来たと思いながら、自分の名前をちゃんと言えていない幼女に名前を告げる。そういえば最初の一回に名乗っただけだから、幼女の頭に私の名前は残らなかったのだと思いながら。
名乗った私を見上げ、ぱあっと頬を染めたみーちゃんは。
「つむちゃん!」
と元気よく呼んだ。
睦美だが!?
…めんどくさいからそれでいいやー!
訂正にかかる時間と折角懐いた幼女が拗ねる時間を瞬時に叩き出した私は、ちょっと違うあだ名を訂正することなく受け入れたのだった。
だから今日から私はつむちゃんである。
ちなみに顔だけ王子はオージさんと呼ぶみーちゃんに対して、馬鹿正直に訂正を試みた結果、拗ねて泣かせて一歩進んで二歩下がる距離感を継続していくことになる。
顔だけ王子、もっと空気を読んだ方がいい。
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