Case.3 海に行く場合


 一時間もかけてやって来たのは、瀬戸内海に面する海水浴場。

 まだゴールデンウィーク前だから観光客も遊泳者もいない。地元住民が犬の散歩をしているくらいだ。


「おぉ、明石海峡大橋がこんなに近くにー! 大きいね! さすがギネス! ギネスはやっぱり規模が違うなー!!」


 移動中もずっと楽しそうにベラベラ喋り倒した日向のテンションは、到着して最高潮となっていた。

 俺とは分かりやすく対照的だ。


「いや、あの……なんでここに」

「そんなのフラれたからに決まってんじゃーん! 失恋したら海に行く。定番中の定番でしょ?」

「まぁ、そうだけどさ……じゃなくて、これは俺個人の話だ。別にあんたは関係ないんだし、もう一人にしてく──」

「やだっ!!」

「ガキかよ……。つーか、他人の恋愛事情にズカズカ踏み込んでくるなよ、分かってんのか」

「もちろん分かってるよ。それでも、ワタシは失恋した人の心を少しでも救いたい。それがワタシ、失恋更生委員会だから!」


 すると、日向は波打ち際に向かって駆け出す。


「ほら見て! でっかい橋! ひっろい海! たっかい空! こんな壮大なものを見ると七海くんの失恋なんてちっぽけなもんに思えない!?」

「思えないな。俺の心は俺から一番近いとこにあるから、一番でっかく見えるんだよ。こんな見慣れた景色くらいで元気になるわけないだろ」

「なーに難しいこと言ってんのさ〜。たかが人生に一回フラれただけじゃん! プラスに切り替えてこーよ! もっといい相手見つかるかもだし、新しい恋を見つけよー!」

「そんな簡単に割り切れねーよ!! うるさいし失礼だししつこいな……もうほっといてくれよ!!」




「──やっと大きな声出たね」

「……は?」

「どう? スッキリしたでしょー?」


 息切れるほど吐いた言葉。

 泣きたくて、ムカついて、辛かったはずなのに……なぜだか気持ちが軽くなっていた。


「なかなかさー、おっきな声出したり、本当のことが言えなかったりして、世の中は窮屈じゃん? でもね、ここなら誰にも邪魔されずに、おーっきな声で思ってることをいっぱい叫べるよ!」

「……まぁ、確かに。ここには誰もいないしな」

「へへ、そうでしょ! まぁワタシがいるけどね。え、忘れてる?」

「……っ、どっか行ってろ」

「やだっ!!」

「こいつっ……!?」

「ここにいる! ここにいて、ちゃんと七海くんの言葉を聞く。だから思う存分、叫んでみてよ。心のままにさ!」

「心のままに……」

「うん! できるよ、七海くんなら。だって告白したんだもん。告白なんて誰でもできることじゃない。すごいよ、本当に誇らしいことだよ! だからそれを成し遂げた七海くんなら、次も、なんだってできるもんね。ワタシには分かるよ」


 初対面のくせによくそこまで色々言えるな……。理路整然としてないし、勢いに任せた暴論でしかない。


 ……でも、この時の俺は、いつものようにその場の空気に流されていたのかもしれない。

 フラれて傷ついた心で、こんなに気持ちのいい場所にいたらさ。

 誰だって叫びたくなっちゃうだろ。


 俺は海に向かって走り出し、靴に海水が入り込んでこようとも、制服がビショ濡れになろうとも気にせず突き進んだ。

 太ももまで海に浸かるころで、心の奥底から出てくる言葉を叫ぶ。


「……っ、バカやろぉぉぉおお!! なんで俺なんかに優しくするんだよ! そんなのすぐに、すぐに好きになっちゃうだろぅ!! 彼氏がいるとか聞いてねぇよ! 言えよ! 一年間ずっと好きだったのに、弄ばれた気分だばぁぁかぁぁあ!! 彼氏と別れたからって向こうから来てもぜってぇ付き合ってやんねーからな! バカ! アホ! んんん、バカやろぉぉ!!」


 やっぱりよく相手を知らなかったから、けなす言葉すら小学生並にしか出てこない。

 けどさ、今までの人生でこんなに喉を震わし叫んだことはあっただろうか。

 スッキリというか、なんというか──少し力が抜けた気がする。



「ドーン!」

「うべっ!」


 ただ呆けたように海を見ていた背後から日向が飛んで来た。なすすべなく海にドボン。

 海面から顔を上げると、日向は犬のように首を振って水飛沫を飛ばしてきた。


「あはは! やっぱり七海くん面白いねー!」


 日向も俺も頭から爪先まで全身ビショビショだ。

 一張羅であるはずの制服が濡れたことに気にもせず、彼女はただただ笑っていた。

 水も滴るいい女、か。彼女は大人らしい魅力というよりも笑顔が似合う無邪気な美少女だろうか。


「それー!」


 下着が透けて見えるだとか、そんなことはお構いなし。俺に海水をぶっかけてくるビショビショ女に俺もかけ返してやった。

 春の海はまだ寒いな。

 でも、そんなことは気にしなくなってしまった。


「あははっ! いいねいいね! そのいきだよ!! そのままあの夕日に向かって走るぞ〜!!」

「「おぉー!!」」


 太陽が沈むまで俺たちは、西に走り続けた。

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