図書館での体験談③
それでまあ、図書館で出会った者同士の宿命というかなんというか、本の話になってな。
話題作りがてら好きな小説を薦め合うぐらいしようと思ったんだけど全然ダメでさ。なんでかって、俺がエンタメ小説とかミステリーとかそういう話を振ると全部読んだことあるって言うんだもん。俺がネタ切れになって何も言えなくなったら「何かすみません……」って謝られて、こっちが申し訳ないやらなんやらでさ。
会話も途切れそうになったから、逆に藤野さんの好きな小説について聞いたんだ。そしたらさっき言ったみたいに作者名がカタカナのオンパレードでさ。どうも藤野さんはオタクというか、書痴の気があるみたいだな。話が全然わからなくて難儀したよ。
たっぷり三十分は語り聞かされてから藤野さんがやっと正気に戻って頭を米搗きバッタみたいにぺこぺこし始めて、あまりにも気まずいから一番のお薦めを聞いたんだ。
そうしたら藤野さん、困った顔しちゃってさ。「すみません。あるにはあるのですが、タイトルがわからなくて」ってまた頭を下げちゃうわけ。
どういうことか話を聞いたら、小さい頃にお爺ちゃんの書斎で読んだ小説に感銘を受けてすごい印象に残ってるらしいんだけどタイトルを覚えてないって言うんだよ。
子供の頃の話なら覚えていなくてもしょうがないと思うけど、藤野さんが「あれを読んだときは人生がひっくり返ったと思うほどの衝撃でした。書斎に無断で入り込んでいたので当時の私はお爺様に小説のタイトルを聞きに行けず、躊躇っているうちにお爺様は亡くなってしまい、ついぞその小説のタイトルを確認する機会を失ってしまったのです。お爺様の遺品整理で書斎の片付けを買って出て蔵書を調べてみましたが、その小説を読んだ時期が幼すぎたためかお爺様が既に処分されてしまったのか、どうしてもその小説を見つけることができずじまいで……」なんて、すごい口惜しそうに語るんだよ。
外国の小説に詳しくなったのも、その小説を探して読みあさっているうちにって話。
うちの大学の図書館でも入学してから空き時間に顔を出して見て回ってて、記憶と本を照らし合わせながら歩いているうちに俺とぶつかっちゃったってわけらしい。
俺は藤野さんにそこまでさせる小説ってのはいったいどんなものだろうって気になっちゃって、その本について藤野さんが覚えていることをいろいろと聞いていったんだ。
あれは文庫サイズで間違いないだとか、装丁的にあまり大きな出版社から出た本じゃなかったとか大雑把な外観の話だったり、小説の内容がどんなだったか大まかに話してもらったり。
まあ、俺がどんな話か聞いたところで何の足しにもならないんだけどさ。
大まかなストーリーとしては、主人公の友人が過去の恋愛で恋人に手酷く裏切られる話……らしい。幼い頃の記憶だからところどころ怪しいところはあってもその大筋は間違いないだろうってのが藤野さんの見立てだった。
……まあ、その小説のストーリーを知った今となってはだいたい合ってるとしか言いようがないんだけどな。
──へ?いや、流石に今の話だけで──ええ……?いや、すごいけど普通に怖いわ。何で今の話だけでわかるんだよ。俺と藤野さんでも正解に辿り着いたのはもうちょっと情報が出てからの話だってのに。
いやまあ、確かに申川なら知っていてもおかしくないとは思うけどさ……。
と、とりあえずその時点で昼休みが終わって三限目の時間になってたんだけど、お互い講義をさぼってその小説を探そうってことになったんだ。
と言っても俺は申川みたいな知識も推理力もないから、藤野さんの話を聞いて別視点の意見を述べるとかそういうことしかできないんだが。
藤野さんはそんな俺に「こんな話に付き合ってくれるだけでも嬉しいです。庚田さんは優しいですね」なんて言ってくれたりしてさ。まあ女の子に頼られるのは悪い気がしないし、こんな台詞を言ってもらえただけでも講義をさぼった甲斐があるなとそのときは思ったね。
あ、別に藤野さんが好きになったとかそういう話じゃないぞ。──いや確かにヤることヤっておいてこんなことを言うのは最低かもしれないが、あくまであれは合意の上での話だからさ……。
で、とりあえずとっかかりがほしくて藤野さんに小説で覚えていることを断片的にしゃべってもらったわけ。
藤野さんは記憶を思い起こすように宙空に視線を向けながらぽつりぽつりと語り始めた。その時、俺は藤野さんの首元にベルトみたいなのを巻いてるのに気がついて、めずらしいアクセサリーだなって思ったのを覚えているよ。あれはチョーカーってやつかね。
「小さな頃の話ですので不正確な部分もあるとは思いますが……まず記憶に残っているのは、主人公と友人が友人宅で食事をするシーンですね。給仕の女性が言いつけを守らなかったことに腹を立てた友人が女性を鞭で叩こうとするのです。主人公はそれを止めるのですが、友人は自身の経験上必要なことだと語り主人公に……確か、小説かなにか文章を見せるのです」
「友人は、宿か何かで一緒になった未亡人と恋をするのです。しかしそれは純粋な愛ではなく、友人が未亡人に隷属するような関係性でした。友人が未亡人の足下に傅かしずき彼女に鞭で打ってくれるよう懇願する姿に子供ながら衝撃を受けた覚えがあります」
藤野さんの話しぶりは好きな本談義のときから熱が入っていたけど、この小説のことを語るときの入れ込みようは並々ならぬというかなんというか、口調も声量もまったく変わってないのに語り口にこもった情念が言葉の端々からにじみ出ててなんというかすごかったな。
……まあ正直な話、ここいらでちょっとおや?何か雲行きが怪しいぞって感じたことは否定できないんだけども。
小説のストーリーも鞭で打つとか隷属とか、のっけから倒錯的でもうどこから突っ込めばいいのか……。
──いい!いい!変な所で対抗心を燃やして語り始めるんじゃない!申川の愛は十分わかってるから!
「その後、未亡人に召使い同然に隷属し手酷い扱いを受けることに悦びを覚える友人とあの手この手で友人を虐げる未亡人の関係は、旅行先で出会った間男の登場で一変します。未亡人は友人にその男のことを調べさせ、友人を引き連れながら友人の目の前で彼と親しげに語り合うのです。友人がふたりを眺めながら嫉妬に狂う有り様は官能的ですらあり……」
「あるとき未亡人は友人を縄で縛り上げます。友人は未亡人がそのまま鞭で打ってくれるものと信じて喜びますが、未亡人は部屋に隠れていた間男を呼び出し友人を鞭で打たせます。友人を裏切った未亡人は彼が打ち据えられる様をゲラゲラと笑いながら見ていて、コトが終わった後ふたりは部屋を去って行くのです」
「当時の私は未亡人に傅き鞭打たれることに悦びを覚える友人を変な人だと思って読んでいました。自分がこんな奴隷のように扱われる様を想像して、とても耐えられないと思ったものです。しかし虐げられる彼の有り様を読んでいくうちに、自分が彼のように扱われたときのことを自然と考えるようになり、いつしか彼に羨望を覚えるようになったのです。最終的に未亡人に裏切られ、羞恥と惨めさで絶望する彼の姿にいつしか自分もこんな体験をしてみたいと──」
まったく、何で俺のまわりにはこんなタイプのやつが集まるのかと我が身を呪ったね。
──いや……お前……。まあ、いいか。気にしないでくれ……。
とにかくもうこの時点で藤野がめちゃくちゃヤバいやつだってのは理解できたんだけど、同時にここまであらすじがわかっているなら調べればこれがどの小説かぐらいわかるだろうとも思ったんだよ。
俺は何か恍惚とした感じで語り続けてる藤野さんを遮って、ネットとかでそういうのは調べたのかって聞いたんだ。
幸い藤野さんは正気に戻ってきて答えてくれたんだけど、「実は私、家庭の方針であまりそういうのに触ってこなかったもので……。携帯電話を持つのも大学に入ってから初めて許されたんです」てさ。いやもう今時小学生でもスマホを持ってるっていうのに、どれだけお堅い家なんだよって呆れたね。
そんなんだからこういう娘に育っちゃったんじゃないかってご両親を説教したいぐらいだった。
……ところで、申川の家はどんな感じだった?ごく普通の一般家庭?本当に?
いや、疑うわけじゃないんだけどさ……。
まあそれは置いておこう。
それで藤野さんがネット知識に疎いのはわかったから、その場でそれっぽいワードを検索サイトで打ち込んで調べ始めたんだ。
鞭とか隷属とか裏切りとかあらすじに入りそうな単語を並べて検索してみたんだけど、どうにも難しい。小説って単語を入れてみたら女性向けのハードなネット小説ばかりヒットしちゃって、全然見つからないんだよな。むしろそういう小説のタイトルを見て藤野さんが食い付いちゃって、それを引き剥がす方が大変だったよ。
けどどうしてもそれらしいものが出てこなくて、この方法じゃ難しいかもと思いつつ藤野さんに何か印象に残ったキーワードはないかってもう一度確認したんだ。
藤野さんは目を瞑りながら必死に記憶を掘り出してくれて、「……確か、物語全体に何かの毛皮が出てきていたような」って言うから俺は毛皮を検索ワードに入れて検索した。
そしたらそれが大正解でさ。検索結果がでたと同時に藤野さんが「これ!これです!」って叫んでスマホの画面を指さすわけ。
そこでやっと俺たちは、藤野さんが探し求めていた小説のタイトルが『毛皮を着たヴィーナス』だってわかったのさ。
作者の名前はマゾッホ。……まあ皆まで言わないけど、そんな人が書いた小説に影響されてしまったのなら藤野さんのぶっ飛び具合も理解できるってもんだよ。
俺はすぐにうちの大学図書館のサイトで蔵書検索をしたんだけど、ちゃんと置いてあるみたいだったからすぐに探しに出かけたんだ。
藤野さんは大興奮で本は逃げないって言ってるのに、俺の腕を掴んでぐいぐい引っ張っぱりながら急かしてきてさ。
『毛皮を着たヴィーナス』はいくつかの出版社から発行されてるみたいで、何年か前にも出版されてたんだ。藤野さんに聞いたら、せっかくだから当時読んでいたであろう本を手に取りたいって言うから、移動書架に仕舞われた一番古い本を探しに行ったんだよ。
場所はまあ、申川が俺たちを見つけたあの奥まった場所だ。
時間ももう四限目が始まる時間になってたから、人気もほとんど、というかまったくなかったな。
移動書架って書架同士がぴったりとくっ付いているから書架についてるボタンを押して書架を動かすんだけど、藤野さんが書架が動いている最中に中に滑り込もうとするもんだから止めるのが大変だったよ……。
そうして書架の棚をふたりでしらみつぶしにして、ようやく目的の本に出会えたのさ。
俺が本を見つけて藤野さんに差し出したら「これ!これです!」って大喜びで、大事な宝物を取り戻したみたいにぎゅっと胸に抱いて「庚田さん、ありがとうございます」って。
こんなに喜んでくれたなら本探しに付き合って良かったなって思えたよ。
これで話は一件落着。めでたしめでたしってね。
……なんだよその目は。
──ちっ、ちゃんと覚えていたか。
ああそうだよ!この後何故か藤野さんに迫られて……いや、迫・ら・せ・ら・れ・て・ヤっちまったんだよ!
これまでの流れでなんでそうなったのか俺にはまったくわからなかったけど、藤野さんから「是非お礼をさせてください」って言われてご飯でもおごってくれるのかなって思って軽い気持ちで頷いたら、藤野さんがその場に跪いて俺のズボンのチャックに手を伸ばして……うんまあ、そういうことになったわけだ。
──いやいやいやいやいや!流石にプレイの内容までは……いやいやいやいやいやいや!お前マジで止めろってすぐにスマホを取り出そうとするの!
うう……あんまり具体的には言いたくないけど、強いて言うなら藤野さんは予想通りマゾだったとだけ。叩く力が弱いからなんて理由で怒られたのなんて世界中探しても俺を含めてほとんどいないだろうな……。
──ん?ああ……たしかに藤野さんがそんなこと言ってたな。契約がどうとかこうとか。諸々の都合でそれどころじゃなかったから聞き流してたけど、小説の中身に関係してるのか?
──いや、そんなはぐらかされ方をするともっと気になるんだが……まあいいか。
で、コトが終わってこっそり書架の間から出て行こうとしたら申川に出くわしたってわけ。
まったく、ホント良いタイミングで出会うよな。
じゃ、これで俺の体験談は終わりだ。後の細部は申川の方で適当に補完してくれ。
──、──お前ね、嬉しそうに言うんじゃないよそういうことは。別に俺だって好きで女引っかけてるわけじゃないっつうの!二回も三回もこんなことが……確かに二回目ではあるけど、何回もこんなことが起こってたまるか!
こんなことは二度とごめんだ!次なんて絶対ないんだからな!
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