図書館での体験談①

「……なあ、申川。もう一度聞くけど、あんな所でお前と出くわしたのはあくまでも偶然で、別にお前が俺のことを監視しているからってわけじゃないんだよな?」

 

 テーブルの正面に座った申川部屋の主に念を押して確認すると、申川はにこにこと笑みを浮かべながら頷いた。

 

「もちろんですとも!あの時図書館にいたのは講義の課題図書を探していたからですから」

 

「あんな書架の奥まったところを探さなきゃいけないような課題があるとは思えないんだが……」

 

「いやあ、うっかり館内図を見間違えてしまいまして……。庚田さんこそ、何故あんな人気のないところから出ていらっしゃったんですか?それも女性とふたりで」

 

「そ、そりゃあもちろん、図書館にいたんだから本を探していたに決まってるだろう?」

 

 目をきらきらと輝かせながら身を乗り出してくる申川に、俺は平静を装いながら答えた。

 

「そうですか?ちょっと声が震えていらっしゃるような……?」

 

「気のせいだよ気のせい!あの辺にいたのは藤野ふじのさん……一緒にいた女の子が見たがっていた文献を探してたんだよ」

 

「あら、やっぱり名前で呼ぶぐらいには懇ねんごろな関係でいらっしゃるんですね」 

 

「藤野は名前じゃなくて苗字だよ!今日会ったばかりの女の子の名前を気安く呼べるほど女慣れしちゃいねえよ!」

 

 我ながら情けないことを叫んでいるとは思うが、申川相手になるとどうにも必死に言い訳をしてしまう。こればっかりは仕方がない。惚れた弱みというやつだ。

 そんな俺に対して申川は不思議そうな顔で首をかしげる。

 

「猪狩先輩を一晩で落としてみせた庚田さんが女慣れしていないということはないとは思いますが……」

 

「別に口八丁手八丁でどうにかしたわけじゃないしそもそも落としてねえ。とにかく、俺たちはただ調べ物をしていただけなんだって」

 

「またまた惚けないでくださいよ!去り際の藤野さんの顔を見れば艶っぽい何かがあったのは明らかでしたし、どう見ても事後だったじゃないですか。それに……」

 

 そこで申川は頬に手をあててうっとりとした顔をする。

 

「それに、あのコトが終わった後特有の甘く生々しい、濃密な香り……。あんな匂いを嗅がされたらこちらとしても察しないわけにはいきませんとも」

 

「はあ?匂い?そんなもん未経験の申川が何で知って……あ」

 

 そういや申川はこの前現場に同席したばっかりだったなちくしょう!

 

「それで、実は庚田さんにお願いがあるのですが」

 

「……なんだよ?」

 

 頭を抱えてテーブルに突っ伏す俺に申川の声が降ってくる。俺が嫌な予感を覚えつつ顔を上げて応じると、相変わらず笑みを浮かべた申川が口を開いた。

 

「藤野さんとのあれこれについて、是非とも小説に──」

 

「断る」

 

 俺は申川が皆まで言う前に却下した。

 

「そんなあ!お願いしますよ!前回投稿した猪狩部長との一件が読者からすごい評価を受けているんです!話題になっているうちに次の話を投稿したいんですよお!」

 

「ええい!ダメなものはダメだ!」

 

 いったい何が悲しくて己の生々しい話を同い年の女子、それも申川意中の女にせにゃいかんのか。

 いやまあ確かに?ちょっと流されて別の女の子とはよろしくヤってしまったけれどもそれは不可抗力というやつだ。だって仕方がないじゃない。男の子だもの。

 

「前にも言ったかもしれないけど、小説って体裁を取るなら自分の頭の中からストーリーをひねり出せよな。人の実体験を参考にしてばかりじゃ意味ねえだろ」

 

「確かにそうなんですけれども、このお話の魅力は当事者から話を聞く生々しさですから、この小説に関してはそういう方向で行きたいんですよ。残念ながら私にはそういう経験がありませんから、自分の実体験を出すことはできませんし」

 

「……そうなの?」

 

 思わず聞き返してしまった俺に、申川はなんでもないように頷く。

 ふ、ふ~んそうなんだと我ながら気持ち悪い相槌を打ちながらも、俺の頭は高速で回転していた。

 もし、もし仮にここで申川に対してじゃあ経験してみればいいじゃんと最低な発言をしたときに申川はどういう反応をするだろうか。

 申川のぶっ飛んだ性格からして引かれることはないような気もするが、内容が内容なので否定はできない。

 そしてもし俺の想像通り、じゃあ経験してみますか!とか言い始めればしめたものだが、そうなったときに俺以外の男と……なんて判断を下そうものなら俺の脳が破壊されてしまう。

 ここはやはり自嘲するのが最善か。いやしかしもしもということもあるからな……。

 

「なるほど、そんなに嫌なら仕方がありません」

 

 葛藤する俺を他所に申川がため息を吐いた。

 

「お、おう。わかってくれたか」

 

 どうやら羞恥プレイは逃れられそうだと俺は安堵し、ここからどう俺に都合の良い話に持っていくかということを考え始めたのだが。

 

「……ところで庚田さん。この動画についてどう思いますか?」

 

 そう言って申川が差し出したスマホで動画が再生される。

 場所は大学図書館の奥まった所にある書架。人気こそ無いが、奥の方からかすかにぱちんぱちんと何かを叩く音と共に女性の湿っぽくも甘い嬌声が……って!

 

「お、おい申川!お前これ……!」

 

 慌てて顔を上げて申川を見ると、申川はわざとらしくよよよと泣く振りをする。

 

「いやあ残念です。お話をお伺いできれば万事解決だったのですが、断られてしまったら私、ショックで手が滑ってしまうかもしれません。こんな動画がサークル内で流布しようものなら……さらに動画の最後で物陰から庚田さん藤野さんが寄り添って出て来ようものなら、いったいどうなってしまうのでしょう」

 

「どうなるかなんて決まってる!数日も経たぬうちに俺の死体が近所の川に浮かぶことだろうさ!またこのパターンかよ!?お前それは反則だろ!」

 

「以前撮った猪狩部長との動画は猪狩部長に悪いですからねえ。これなら誰にも迷惑がかかりません」

 

「かかるだろうが!俺と藤野に!」

 

「ああ、確かにそうですねえ。それでは藤野さんの顔にはモザイクをかけましょうか」

 

「かけろや!俺にも!……いや、そもそも動画をばらまこうとするな!」

 

「それは庚田さんの態度次第ですね」

 

 にこりと微笑む申川が魅力的だったので、俺はつい言葉に詰まってしまう。

 俺の反応をどう勘違いしたのかわからないが、申川が俺の両手を己の両手でぎゅっと握りしめたので俺の心臓は危うく止まりかけた。

 

「お願いします!庚田さんの体験談が私の小説の生命線なんです!猪狩先輩の件も藤野さんの件も黙っておきますから、どうかお話を聞かせてください」

 

 申川の懇願を、しかし俺はほとんど聞いていなかった。握りしめられた手から感じる申川の体温と柔らかくしっとりとした手の感触に全感覚を集中させていたからである。

 

「……庚田さん?」

 

「ああうん、話す話す。全部話します」

 

 申川に声をかけられて我に返った俺は、ガクガクと頭を上下に振って了承した。

 ……やっぱり正気じゃなかったかもしれない。

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