新歓コンパでの体験談 エピローグ

「本当にふたりとも大丈夫?二日酔いがきつかったらもうちょっと部屋でゆっくりしててもいいんだよ?」

 

 玄関を開けて部屋を出ようとした俺たちに対して、猪狩部長は心配そうな表情でそんなことを言う。俺ひとりだったらお言葉に甘えたかもしれないが、今は一刻も早くこの場を離れたい気持ちでいっぱいだった。

 

「いえ、朝食までいただいた上にこれ以上先輩にご迷惑をおかけするわけにはいかないですから。……申川もそれで大丈夫だよな?」

 

 願望込みで申川に水を向けると、申川は愛想良く応える。

 

「ええ、私も一晩ぐっすり寝てお酒も抜けたみたいですので。ありがとうございました、猪狩部長」

 

「良いのよ。元はと言えば蝶野のやつが悪いんだから。まったく、次あったらしっかりと締めとかなきゃ……」

 

 拳を握りしめながら呟く猪狩部長の仕草は、昨日の惚れ惚れするような張り手を目撃していなかったら可愛らしいものに見えなくもなかった。……いや、その後の痴態を込みで差し引きゼロと考えても良いだろうか?

 

「それでは失礼します。また大学で」

 

 俺が昨日の事を思い出している間に、申川は猪狩部長に頭を下げて玄関から出て行ってしまった。この後申川とお・話・しないといけない俺は慌てて後に続こうとする。

 ……が、その動きは背後から猪狩部長に拘束されたことで阻まれる。いや、拘束というのは猪狩部長に失礼か。先輩の動きを正確に表すなら、俺を背後から抱きしめる、だ。

 背中に感じる女性らしい柔らかさに硬直する俺に対して、猪狩部長はささやいた。

 

「……今度は他に人のいないところでゆっくり、ね?」

 

 そしてするりと身体を離した猪狩部長の方を振り返ると、そこにいるのは艶っぽい雰囲気など一切見せず先ほどと変わらない笑みを浮かべる部長の姿。

 色々な手順が前後していたら俺はこの人に惚れ込んでいたかもしれないが、今はその言葉が申川の出歯亀を承知しての言葉なのかとかこの一瞬の時間を外にいる申川はどう考えるかとかそういう事しか頭に浮かばない。

 とりあえず俺は曖昧に笑みを浮かべると、猪狩部長に頭を下げて部屋を退出した。

 部屋を出て外に出るとエレベーターの前に申川が立っていて、満面の笑みでこちらを見ていた。俺は逆にそれを見て気を重くしながら合流する。

 

「猪狩部長と何話してたんですか?」

 

「……別に。体調の事を念押しされてただけだよ」

 

「そうなんですか?昨日あんな事があったのですから、てっきり艶っぽいあれこれをしているのだと思って期待して待っていたのですが……」

 

 昨日の事は全部忘れていて欲しいと願っていたが、しっかりと覚えられている上に今の先輩とのやり取りもお見通しであるらしい。最後の猪狩部長とのやり取りはとぼけてしまって絶対に教えないようにしようと心に誓いつつ、到着したエレベーターに乗り込む。

 

「ああ、申川。昨日の事についてなんだが……。ど、どこから見てたんだ?」

 

 エレベーターの中で、俺は思いきって申川に問うた。一部だろうが全部だろうが行為を見られたことに変わりはないが、こういうのは気持ちの問題である。

 

「そうですねえ……。庚田さんが猪狩部長にお布団の上に組み伏せられた所ぐらいからでしょうか」

 

「そうかあ……」

 

 つまり一から十までという事だ。

 

「それで、その……。部活の人たちには黙っててもらえると助かるんだが……」

 

「ええ、構いませんよ。わざわざ吹聴して回ることでもないでしょうし、猪狩部長と気まずくなるのも嫌ですしね」

 

「そうか……」

 

 とりあえず猪狩部長に惚れてそうな鹿島先輩やその他部員に袋だたきにされる未来は回避できて安堵する。俺とは気まずくなっても良いのかという問いは、返答が恐かったのであえてしない。

 乗った時よりも軽い気持ちでエレベーターを降りるが、そこで申川が口を開く。

 

「ところで庚田さん、実は少々お願いがあるのですが」

 

「……なんだ?」

 

 申川の言葉に、内心で身構えつつも問い返す。

 今から出てくるお願いは、黙っていて欲しかったら……というニュアンスを含んだ実質強制みたいなものだ。食事を奢れだとか買い物に付き合えみたいな話しだったら大喜びで首を縦に振るのだが……。

 はたして申川のお願いは、俺の予想の範疇におさまらなかった。

 

「今日の事を題材にして官能小説を書きたいのですが、当事者としてご協力いただけませんか?」

 

「はあ?」

 

 申川のとんでも発言に思わず怪訝な声を上げた俺は別に悪くないはずだ。

 

「……なんだって?」

 

「だから、官能小説ですよ。エッチなことを題材にした小説の事です」

 

 申川みたいな清純そうな美少女からそんな単語が出た事を信じたくなくて聞き返したのだが、無駄に丁寧な説明までされて現実を突きつけられてしまった。

 

「いや、そりゃあわかるけどさ。なんでそんな話になる?」

 

 俺の問いに申川はなんでもないような態度で答える。

 

「実は私、性産業で身を立てる事を志しておりまして。どうせなら自分の趣味に関係する形でできたらなと」

 

 その趣味というのが読書全般の事を言うのか、官能小説のみを指すのか聞いてみたい気もするが俺にはその勇気がなかった。

 というか、性産業で身を立てるっていったいどんな学生生活を送っていればそんな発想に行き着くのだろうか。猿みたいにエロい事に没頭してきた思春期男子じゃあるまいし。

 

「つうとあれか?俺と猪狩部長の情事を元にして官能小説を書きたいって事か?」

 

「はい!お恥ずかしながら私は今まで読むばかりで書く方は未経験ですので、一からお話を作るとなるといささか自信が……。ですので元ネタがある方が書きやすいかなと思いまして」

 

「ううん。そうは言ってもなあ……」

 

 弱みを握られている以上ある程度のことは許容するつもりだったのだが、自分の事を、しかもシモの話しをネタにされるとなると流石にうんとは言いづらい。

 

「身バレに関しては可能な限り配慮しますし、知人友人には見せずにネットの投稿サイトに投稿するだけにします。それに、大学に入学して初めてのコンパで先輩と一夜を過ごすなんて実に物語的じゃないですか!私も直接現場を見ていなければ信じられないぐらいです!」

 

 躊躇する俺に申川は力説する。

 確かにちょっと出来過ぎというか、男としては実に都合の良い展開であったことは否定できない。しかし、それが俺自身にとって必ずしも都合の良い展開であったかどうかというのは別であるからして……。

 俺が躊躇している間に申川は更に続ける。

 

「官能小説ってやっぱり男性の視点が主体になりますからね。せっかくですから今日の事をあなたの視点から詳細に語っていただきたいのですが」

 

「それは断る」

 

「ええ!?」

 

 即答した俺に申川は信じられないというようなリアクションをするが当然だ。誰がそんなネットの落書きみたいな体験談を語りたいというのか。色々見られすぎてて今さらという説も無きにしも非ずだが、わざわざ羞恥プレイを受ける趣味は俺にはないのだ。

 

「そんなあ。私、男の人とあまり仲良くした事がなくて男の人の考え方とかよく分からないんですよ」

 

「ふうん、そうなのか……っと。だからといって、俺の考えてた事をなぞる必要はないだろ。読書好きを名乗るなら今まで本を読んで得た知見で書けよ」

 

「ええ~……」

 

 申川は不満そうな様子であるが、俺は断固拒否の構えだ。小説の題材にするところまでは許可しているのだから、これ以上譲歩する必要はない──。

 

「……実は昨日夜の一部始終をスマホに録音しているのですが」

 

「おい!それは反則だろ!?」

 

 俺はスマホを掲げてアピールする申川に抗議するが、申川はそのまま両手を合わせて俺の事を拝みはじめる。

 

「お願いします!今度お礼に食事でも奢りますから!ね!」

 

 その言葉を聞いて、たたでさえ録音を人質に取られて弱っていた俺の意思が音を立てて崩れ落ちた。

 

「しょ、しょうがないな……。その代わりちゃんと奢れよ!絶対だぞ!」

 

「ホントですか?ありがとうございます!」

 

 俺は精一杯の強がりを示して見せたのだが、申川は飛び跳ねて喜ぶばかりで俺の態度などそっちのけだ。

 それでもそんな申川を可愛いなと思うのも、彼女の奇行を許容できてしまうのも、すべては惚れた弱みという事だろうか。

 

「それじゃあ早速今からお時間いかがですか?ここから私の部屋まで歩いて十分程度ですので」

 

「ふ、ふうん。別にかまわないよ。そ、それじゃあお邪魔しちゃおうかな?」

 

 俺の部屋も同じぐらいの距離にあるのだが、せっかくの女の子のお誘いを断る理由はあるまい。けしてやましい気持ちがあったわけではないのだ。うん。

 

 

 そうして案内されたマンションが俺と一緒の物件だったり、後日様々な女性と一夜を共にすることになったがために俺と申川がお互いの部屋を行き来して俺の体験談を語って聞かせるようになったのだが、それはまた別のお話。

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