第2話 悪の組織幹部の休日

 シャドーマスクは基地のトレーニングルームに居た。

 いつ作戦があっても良いように、こういった地道な鍛錬たんれんは欠かせない。

 彼は手ごろなダンベルを持ち上げては下ろすを繰り返していた。

 戦闘員たちも各々でトレーニングに励んでいる。ここは指揮官クラスも末端の戦闘員も共用だった。

 シャドーマスクも戦闘員も変装や覆面を解き、運動しやすい服装に着替えている。戦闘員は覆面がない程度だが、シャドーマスクはトレードマークのマスク、長髪の付け毛、コートが無いのでほぼ別人に見える。

 戦闘員の一人がトレーニングを中断して、何やら写真をのぞき込んでいる。

安藤あんどうさんの……娘さんだったか」

「ええ、もう今年で十八歳になります」

 彼の声に答えた安藤は戦闘員の一人だ。ここでは隠す必要もないため本名呼びも珍しくない。

 シャドーマスク、影野五郎かげのごろうは安藤の境遇を聞いたことがあった。

 彼は元々真面目な会社員だったが、上司の横領を告発しようとして逆に罪を着せられて逮捕。その時は妻と娘一人が居たが、今は離婚されて養育費だけを払っている。

 彼の手にしている写真の中の娘は七、八歳ぐらいに見えた。それからずっと会わせてさえもらえないらしかった。それどころか、今でも彼の元妻は彼の言うことを信じていないのだという。

 ――まあ、夫婦なんて言ってもそんなものですよ。

 影野は軽い調子で言った安藤の様子を思い出した。重々しく語ったりしないところが、かえって痛々しかった。

 世間で言う「悪の組織」が増え、警察だけでは手に追えず「正義のヒーロー」頼りになっているのはこういった側面もあった。

 悪の組織は社会からこぼれた者の受け皿として機能している。もしそれがなければ、もっと劣悪な環境の反社組織に入るしかない。その点、このような組織は最低限の生活の保障はしてくれる所が多い。

 だが、警察もヒーローもその根本的原因を考えたりしない。彼らが事件を起こしたら対応するだけの対症療法で良いと思っている。だから、本当の意味での解決はしないし、悪の組織は増え続ける。

 影野はトレーニングルームの奥に目を向けた。

 達筆な字で「世界征服」と書かれている。総帥が昔に書いたそうだ。

 しかし、本当に世界征服する気はあるのかどうか――影野は入りたての頃に教授に聞いたことがあったが「努力目標」だと笑って答えられた。

 実際のところ、それでいいのかもしれない。本気で世界征服しようと考えたら、予算も人員もまるで足りない。それに向けて、こうして社会から見捨てられた者たちを集めて活動していくことに意義があるのかもしれなかった。


 翌日の昼間、影野は公園でのんびりしていた。

 一般的な会社と違って、出勤日が定められている訳ではない。昨日のように鍛錬は欠かせないが、休める時に休んでおくことも仕事だと言われていた。

 変装を解いているので、見つかる危険性はまずない。万が一職務質問されても、偽の身分証明は用意してあった。

 ベンチに座って缶コーヒーを飲みながら、公園を眺める。

 子どもたちが遊んでいる……が、ふと目を引くものがあった。

 砂場で一人の男の子を大勢の子どもたちが囲んでいる。口々に悪口を言いながらボールや泥団子をぶつけている――いじめだ。

 彼は自然と動いていた。その脇でもう一つ動く影があることにさえ気付いていなかった。

「おい! 何をしてるんだ!?」

 急に割って入った大人の出現に子どもたちの手が止まった。

 少しきつく言い過ぎたかもしれない。子どもたちがうろたえる。それでも、語気を弱める気にはなれなかった。

「大勢で一人をいじめて、情けないとは思わないのか?」

 再びこどもたちがうろたえる。おずおずとその中の一人が口を開く。

「で、でも皆が――」

「皆がしていれば、それが許されるとでも? 数にものを言わせて正当化するのは、一番卑怯な手段だ!」

「そ、それは……」

 子どもたちの視線が泳ぐ。少し難しい言葉を使い過ぎたかもしれない。

 反論もままならなくなった子どもたちは、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 囲まれていた一人の男の子だけが残る。男の子は泣いていた。服は泥だらけだ。

「おい、大丈夫か」

「あの……大丈夫ですか?」

 背後から若い女性の声が掛かった。

 聞いたことのある声だ。思わず振り返る。

「ブレードメン・ピンク?」

「シャドーマスク……さん、ですよね?」


 ブレードメン・ピンク、桃瀬流華ももせるかはしゃがみこんで、ベンチに座らせた男の子の服を濡らしたハンカチで拭いていた。ハンカチが見る間に泥で汚れていくが気にしている様子はない。影野はその脇に立って眺めている。

「ほら、これで少しは綺麗になったよ」

 そう言って男の子の頭を撫でた。

「うん……ありがとう。おじちゃん、おばちゃん」

「もう、まだそんな年じゃないって……」

 男の子は立ち去っていった。

「で、悪の組織の幹部がどうして人を助けたんです?」

 桃瀬は影野に振り返って聞いた。

「私だって、たまには人助けをしたい時だってある……それでは不満かな?」

「不満です! ……声を掛けようとしたら、まさか悪の組織の人が先に止めてしまうなんて、ヒーローにとっては侮辱です」

 彼女はわざとらしく頬を膨らませた……が、若い女性がそうする様はどこか可愛らしかった。

「君はヒーローじゃなくてヒロインだろう?」

「言葉遊びをしているんじゃありません!」

 やれやれ……困ったな。彼は天を仰いだ。

「ああいうの……好きじゃないんだよ。数にものを言わせて好きにするのって」

「は? 何を……?」

「君らヒーローは何を守ってる?」

「そ、それは、みんなの平和を――」

 予想通りの答えに彼は笑みを浮かべる。

「そう『皆』だ。その皆が私は大嫌いだ」

 彼は途中で遮って言った。

「えっと、それはどういう……」

「皆というが、その皆とはなんだ? 大多数の人たちだ。違うか?」

「確かに……それで合っているとは思いますが」

 理解できないという風だ。おそらく、考えたことも無いのだろう。

「少し……話そうか。とりあえず座ってくれ」

 彼がベンチにどっかりと腰を下ろすと、彼女は少し離れた所に座った。

 それを確認すると影野は話を続ける。

「皆、というが、その実態は多数派だ。つまり少数派は切り捨てられる訳だ。これは多数決によって決まる民主主義では暗黙の了解となっている」

「でも、そうしないと何もできないじゃないですか?」

 彼女は何が悪いのか理解できないようだ。

「そう、多数派はそう言う。切り捨てられた者の気持ちを考えようともしない。そうでなくとも、民主主義なんて言葉が入ってくる前から、この国ではそうされてきた。『空気を読む』や『和を以て貴しとなす』という言葉もある」

 彼はそこで一呼吸置いた。

「じゃあ、多数派と……皆と同じにできない人はどうなる? 皆がその人を気に入らなければ、除け者にしても良いのか?」

「…………あ」

「そうだよ。多数派が少数派を数にものを言わせて差別する……それがいじめだよ。要するに、いじめはこの国の社会の縮図なんだ」

「それって、極論すぎませんか?」

「そうでもないさ。実際に君らの言う『悪の組織』に入るのはそういった行き場をなくした少数派ばかりだ。君らは皆を守るけど、それから外れた一人は守らないからね」

 彼女は少し不満げだ。守っている「皆」を否定されたとでも思ったのだろうか。

 そのまま俯いて少し考える様子をすると、言った。

「じゃあ、もしかして、あなたもいじめられて――」

「ああ、そうだ」

 影野は自身の過去を語り出した。

 影野は元々、成績優秀で真面目な学生だった。だが、それが中学二年でクラスのリーダー格の嫉妬を買い、いじめへと発展した。

 誰も彼を守ろうとはしなかった。皆がいじめているのだから、自分もそうしてもいい。そんな考えの輩ばかりだった。教師は事なかれ主義でなかったことにし、両親はいじめ程度でと成績が下がったことをなじった。

 結果、彼は不登校になった。そのまま中学校卒業まで不登校を続けた。

 両親は彼に将来性がないと悟ると、中学卒業と同時に放り出した。

 彼は行き場もなくさまよって、行き倒れになっているところをマッドペインの構成員に拾われた。

 そのまま、戦闘員となるべく訓練を受けていたが、教授から声が掛かった。

「教授は、私に教育をしてくれた。組織として必要なことだけではなく、中学校から大学までの勉強から一般教養まで」

「でも、それって利用するためじゃ……」

「ああ、確かにそれはあっただろう。だが、それだけじゃなかったと信じている」

 彼の目には教授に対する尊敬と信頼が浮かんでいた。

 彼女は、彼が教授と呼ばれる存在を親のように慕っているように感じた。

「こうして、私は教授に幹部候補となるべく教育を施されると、現場に出るようになった」

 現場――彼女は少し身構えた。彼の言う「現場」とは工事現場などではない。犯罪の現場のことだ。

「最初のうちは先輩に付いて、現場での指示や判断の仕方を学んだ。先輩たちも社会から切り捨てられた人ばかりだったから、高圧的な人は居なかったよ」

 おそらくは悪の組織の仲間意識の根底にはそれがあるのだろう――彼女はそう見当を付けた。

「そして、指揮官として独り立ちする時にシャドーマスクという名と専用の装備を総帥から受け取った。これは今でも忘れられない」

 彼はしみじみと言った。教授ほどではなくとも、その総帥にも敬意を払っているようだった。

「で、今に至る……と」

「ああ、そうだ」

 こうして、彼の話は終わった。

 彼女は立ち上がると、彼の方に向き直っていった。

「でも、あなたたちのしていることは間違っています」

「なぜ、そう思う? 多数派の思うがまま、少数派を切り捨てた結果、我々のような者が生まれた。それは、社会自体に原因があると思わないのか?」

「社会が悪い、世の中が悪い……それはテロリストの理論です!」

 彼女は自分に言い聞かせるようにきつく言った。

「だが、そうだとしても少数派を救済するシステムがない限り、我々は生まれ続ける。……それとも、ヒーローとしてはその方が良いのかな、活躍の場が増えて?」

 最後の一言はおどけたように言った。それに彼女は腹が立った。

「そんなこと考えてません!」

「本当にそうかな? 皆の、多数派の支持を受けて、活躍するので功名心を満たしていない、と?」

「違います! ヒーローは人助けです! あんまりヒーローを馬鹿にしないでください! 今だってその気になればあなたを――」

 むにゅ!

 彼女は胸に添えられた手をね退けて悲鳴を上げた。周囲の人間は何があったのかと視線を向けてくる。

「はは……隙だらけだ。これじゃ――」

「な、何考えてるんですか!?」

「今のがナイフなら、君は死んでいた」

 その言葉に彼女は黙った。言われてようやくその考えに至ったようだ。

「分かったかい? 君では私を殺せない」

 恨めし気に視線を向ける彼女を背に、彼は悠然と公園を後にした。

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