第1章 第7話:気になるのは

 目的地に着いたのは夕日がそろそろ落ちようかという頃だった。


「思ったより早かったな。エルレアさん、たいしたもんですね」


 ナバテの森まではゆっくり行ってもあと一刻(約30分)もかからない。ここには、地域の異常に備えて公営の警備隊が駐屯地を構えている。冒険者として周辺で休む旨を伝えに訪れた後、やや離れた場所で一行は荷物を下ろしていた。整った道がほとんどだったとはいえ、大荷物を背にして半日かからずに行程を終えたエルレアの健脚を、トキが期待以上だと称えた。過去にはこの段階でヘトヘトに疲れ果てる者もいたという。


 山奥の里を住処すみかとしてきたエルレアにとって、ここまでの道のりは特に苦ではなかった。ただ、冒険者は歩くのばかりが仕事ではない。ここから必要となるのはもっと別の資質なのだ。川沿いで出会った鴨の群れを相手に、弓の腕前も披露したエルレアだったが、魔物の巣食う未知の森に入る緊張はなお強かった。ちなみに収獲2羽のうちの片方は、道中の村で野菜や調味料その他と交換できたので、もう片方とあわせて今晩の鍋物になって目の前で煮込まれている。


「警備隊は、いくつかの組が訪れているもののギースたち以外からの異常報告はない、と言っていたわね」


「奥の方はまだ魔物が目立つから、初心者であれば深入りには慎重になった方がいい、とも仰っていただきました。それは異状には当たらないんでしょうか」


 情報の大切さを学んだばかりのエルレアも、がんばって会話に参加しようとする。適性審査のためのアピールというより、なんといっても明日の安全に直結しているのだ。


「単なる増減であれば結構起こるんです。森の間引き依頼も春先から出てるやつだし。ただ『四伎鴉ザッパ』のような屍霊しりょうは基本的にごく奥地の魔物で、こっちの方まで出てきていたという話には用心しないといけません。報告が少ないのは、鼻の利くパーティーがあんまり入っていないのかもな」




 食事などを準備しがてら、『悪食アクジキ』のふたりは、ナバテの森について説明してくれた。


 野営地点から北に向かうと、ほどなく幹の青い独特の木立ちが現れる。これが森の境である。そこからしばらく北西に緩やかな登りが続き、途中で分かれ道になる。右に折れて北側に登り続ければシネイ湖方面、そのまま北西に進めばヨガヒナ沢に下ってゆく道となる。

 地形として特筆すべき危険箇所は浅層にはなく、霧はよく出るが天候が急激に荒れることもごく珍しい。魔物こそいるものの、まあ初心者冒険者向けと言って差し支えない地域であった。


 さてその魔物である。全域でよく出てくるのは、身の丈二尺(約60センチメートル)ほどの猿、『小鬼ナーキ』と、赤い顔が特徴的な中型犬に似た雑食獣、『酒乱犬グザルイ』の二種。いずれもそれなりに好戦的な魔物で、相対的に見るとごく弱い部類ではあるものの、弱卒が不意に襲われたりすると簡単に全滅することもある。

 他にも奥の方では、木登りの得意な猛獣『疾風豹ガラシュ』や土塊つちくれの怪物『厄伽藍土サイニエグロ』などの危険種も棲息しており、そのあたりの気配があれば即座に引き返すべきである。


「といっても私達ならどれでもそれなりの対応はできるから、パニックだけ起こさないようにね」


「は、はい、ありがとうございます」


 エルレアは改めて、この審査制度の意義を噛み締めていた。初心者向け、とは言うものの、この地域もやはり迂闊に踏み込むべきところではないのだ。いま聞いた情報だけでも、独力のみで集めようと思うとどれほど大変なことか。駆け出しが先輩冒険者の助力を得てクエストに挑戦できる仕組みは、ふるい落としという目的もあるとはいえ、確かに志望者のためになっている。




「気になるのは、やっぱり屍霊しりょうだよな」


 トキが言う。


 『鎌鼬カマイタチ』から伝えられた魔物、『四伎鴉ザッパ』は、本来ナバテの森を北北西に抜けた湿地帯ガルナッソに棲む屍霊しりょう、すなわちアンデッドモンスターの一種である。

 本体は黒いモヤから全長二丈(約6メートル)ほどに羽根状の腕が突き出た、広くいうとコウモリのような形状で、物理攻撃に強い耐性を持つ。他の生物や魔物の死骸から手足をもぎ取り、魔法で操作して自身の身体の延長として使う、という習性があり、そのため大抵強烈な腐臭を伴う。

 手数が多く、空を飛び、物理攻撃が効きづらいことから、これらへの対処ができない者は出くわしたら為すすべもない。基本的に四体前後の群れで動き回ることもあって、初級者にはかなりの脅威と呼べるだろう。トキたちから見ておそらく、エルレアも単独での対抗手段を欠いている。逆に本体に魔法攻撃を当てられるなら、狩るのは比較的容易。『鎌鼬カマイタチ』には魔法使いがいなかったが、魔道具やらなんやらで補えば切ったり殴ったりでも効果が見込めるそうだ。とはいえ、警戒不十分な状況で複数体と遭遇すれば、慣れた冒険者にとっても命を落とす危険が決して少なくはないという。


 魔物は各々に適した魔素の漂う領域から出ることは珍しく、それゆえたとえば森から小鬼ナーキが人里を襲いに出ることなどもほとんどない。

 その点、四伎鴉ザッパは、基本的にはガルナッソの魔物である。森の深層には一部入り込んで来るが、ナバテ全域で見て中央に位置するシネイ湖周辺で目にすることはかなり珍しい。条件が許せば、生やした手足から本来の活動場所を推測することもできるが、狩った個体の損壊度合いなどの問題か、バハテラたちが仕留めた際には目立った情報が得られなかったと言っていた。山火事を起こすなと冗談を言っていたけれど、魔道具で相手を焼き尽くしたのは案外彼等の方かもね、とヴェガは笑った。




 『悪食アクジキ』のふたりが警戒しているのは|この魔物単体というよりも、探索地全体の異状についてであった。もしも全体的に屍霊が増えているのならば、想定外の事象に出くわす確率も上がるからだ。たとえば旅人を沼地に引きずり込んで動きを奪う湿地帯の『泥子ドーマンテ』のような小物などにも、森には出てくるまいと高を括って無警戒でいると本当に足下をすくわれかねない。


 通常ナバテの森の浅層には比較的くみしやすい小型の魔物しか出ないが、四伎烏ザッパの目撃情報は、一帯がより危険な奥地の魔物に適した環境になっている可能性を示している。脅威度の高い種との遭遇もある程度前提として計画を組み立てたほうが良さそうであった。

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