第3話 ゴースト継続?

 悲鳴を聞きつけて、明日香はすぐにやって来た。

「ちょっと、お兄ちゃんの部屋に入っちゃ駄目だよ!」

 彼女はぴしゃりと言った。

 ――お兄ちゃん? 四季先生の?

 千絵は一瞬だけ考えた。

「え……えっと、あ、明日香の兄の京輔です。い、妹がお世話になってます」

「ほら……お兄ちゃん、人見知りだから」

 明日香が早く行こうと腕を引っ張る。

「はい……お兄さんですか。初めまして、七瀬千絵です」

 彼女は自己紹介しながらも、疑問が頭の中をぐるぐると回っていた。

「ほら、早く――」

「あの、ここにあるのって『異世界外道戦記』の続きですよね?」

 明日香と京輔が固まった。

「どうして、四季先生が書いているはずの原稿がお兄さんの部屋にあるんですか?」

 固まったまま、答えない。

 しばし沈黙。

「こ、校正を……」

 絞り出すような声を出したのは京輔だった。

「……そ、そう校正! 私、誤字とか多くて、お兄ちゃんに手が空いてる時に校正作業を頼んでるの! そのまま出すと、編集者さんからの指摘が多くて!」

 おかしい。

 千絵はそう気付いていた。

「でも、校正するにしても、こんな書きかけでするものなんですか?」

 そうだった。画面に映った原稿は、明らかに中途半端な書きかけだった。校正作業をするにしても、普通なら一段落ついてからするものではないだろうか?

「え……それは……」

 明日香は言葉に詰まる。視線で京輔に助けを求める。

「う……え、え~と」

 京輔も言葉が出てこない。


 ピロピロ――。


 ふいに、京輔の聞いたことのない着信音が鳴り響いた。

「すみません。ちょっと、失礼」

 千絵がスマホを取り出す。

「あ、お母さん……ん、ごめん」

 千絵が話している様子を二人は凝視していた。

「すみません。ちょっと家の方の用事を忘れていたので帰りますね。お邪魔しました」

 ――助かった。

 電話を終えた千絵がそう言った時、二人は安堵の表情を見せた。

「お兄ちゃん、車で××駅まで送ってあげて」

「そ、そうだな」

 明日香は気をつかってそう言った。

 既に外は薄暗く、この辺りは街灯もまばらだ。事件や事故があったことはないが、女の子の独り歩きには向かない。

「え、良いんですか? すみません」

 千絵は嬉しそうな顔をした。

 京輔は自家用車に千絵を乗せると出ていった。明日香は自宅に残った。

 駅に着くまでの間、二人ともあまり言葉を発しなかった。千絵は何か考え込んでいる様子だった。

 駅に着いて、これで一安心。そう思っていた京輔だったが――

「あの小説、本当に四季先生が書いたんですよね?」

 彼女は去り際にそう言い残していった。


 バフッ!

 そんな音を立てそうな感じで、京輔はベッドに倒れ込んだ。


 バレてる。いや……まだそうだとは……いや、バレてる!


 そのまま毛布を被って丸くなる。震えが止まらない。

「お兄ちゃん、ご飯できたよ!」

 明日香が呼びに来た。

「まずいまずいまずいまずいまずい!」

 それしか出てこない。

「あ~もう分かったから、とりあえずご飯食べたら?」

 彼女は平然とそう言った。


「やっぱり、無理があったんじゃない?」

 京輔が一通り説明すると、明日香はそう言った。

「どうして、そんなにも落ち着いていられるんだ!?」

「だって……最初から無理があったでしょ? 設定だけでも何十枚もあるのに!」

 彼女の声には怒気が含まれていた。

「いい? 私は学校の勉強しながら、お兄ちゃんの書いた小説とその設定を全部暗記しないといけなかったの! それがどれだけ大変か分かる!?」

 初めてだった。彼女がここまで不満を口にすることは。

「……ごめん」

 彼は絞り出すような声でそう言った。

 分かっていたはずだったが、分かっていなかったのだ。自分の都合で彼女にどれだけの負荷をかけていたかも。

「…………もう、いいよ。それで? これからどうするの?」

 彼女はそっぽを向きながらもそう言った。

「もう少しだけ……続けてくれないか?」

「は?」

 今度は呆れた様子だ。

「もう少し……あと二ヶ月で、小説賞の発表がある! その時に、受賞した時に明かすから!」

 彼は無茶苦茶だと思いつつもそう言った。

 そもそも、彼の作品が受賞するという保証は無い。どうせ受賞しないだろうから続けることになるだろうという苦肉の策だった。

「お兄ちゃん……甘えすぎ」

「……ごめん」

「まあ、でも、そのぐらいなら……」

 彼女は仕方がないという表情をした。

「とりあえず、何を聞かれても私が書いたって言い張るから」

 こうして、ひとまずの平穏は訪れたかに見えた。


 こうして、明日香は「四季先生」を演じ続けた。

 千絵もあれ以上は詮索してこなかったようだ。……気付いていて黙っている可能性もあるが。

 編集者の川村は相変わらず明日香のことを作者だと思っている。事前に口裏を合わせておいてはあるが、意外とバレないものだ。京輔のことも相変わらず蔑んだ目で見てくるが、これは仕方がないと彼自身は思っていた。

 母は黙認していたが、父は何かある度に正体を明かすべきだと言ってきた。

「名前も出せないようなみっともない仕事をするんじゃない」

 父は苦々しげにそう言っていた。

 それでも、京輔は沈黙を続けた。自分が一度口を開けば、無に帰してしまうような気がしていた。膨らんだ泡が弾けて消えてしまうように。

 ――もし、自分が本当の作者だと分かれば、みんなが夢から覚めてしまう。

 そう自分自身に言い聞かせていた。

 もちろん、内心ではそれは「逃げ」であり、衆目にさらされることが恐怖なのだと分かっていたが……。

 あっという間に月日は過ぎていった。

 とうとう小説賞は結果発表された……が、入賞はしなかった。

「入賞しなかったんじゃ……しょうがないよなあ……」

 京輔は仕方なさそうにそう言ったが、内心は安堵していた。

「ちょっと! 最初からそのつもりだったんじゃないの!?」

 明日香は不満げだった。学校をずる休みした生徒を叱る先生のようだ。

「いやいや、こうなったんじゃ……公言する場もなくなっちゃったし……」

 彼はわざと残念そうに言った。

「ちょっと、お兄ちゃん……酷い!」

「でも、今更違うって言っても、誰も信じない――」

「もう、勝手にするから!」

 彼の言葉を遮って彼女は叫んだ。

 この後、京輔はこの言葉の意味を思い知ることとなる。

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