第2話 ゴースト見つかる!?

 カタカタ……カタ……。


 今日も、京輔の部屋の中にはPCのキーボードを叩く音が続いている。

「……ふう」

 彼はワープロソフトを閉じて、執筆を一旦中断した。

 そのままインターネットで自作品のエゴサをしてみることにする。書いていないと、いろいろなことを考えてしまうから暇つぶしにはなる。

 ちなみに、母は「辛い思いをしたし、仕事さえしてくれれば」と同情的だが、父は「自分の名前も出せない卑怯者だ」と批判的である。

 そもそも、母は最初ブラック企業であることを理解せずに「そんなのは社会人になれば誰にでもある」と病状を悪化させたことに負い目を感じているようだが、父は大手ゼネコンの社員で自身が責任者として数々の実績を築いてきたせいか、名前も出せないような仕事は仕事ではないと思っているようだった。

 彼の部屋は薄暗く、窓からは弱々しい光が差し込んでいる。

 もう少しで日が暮れる。久々にコンビニにでも行こうか?

 彼は全く部屋から出られない訳ではないが、真昼間に出ていくのは気が引けた。

 彼が出歩くのは夕方以降、日が暮れ始めてからだった。それも誰にも見つからないようにこそこそと歩く、傍から見れば不審者そのもので職務質問を受けてもおかしくなかった。

 だから昼間はこうして、執筆活動かそのための資料探し、読者の反応を見ることに費やされていた。

「○○を殺さないでほしい」

 そんなコメントが目に付く。

 彼の書く作品は、敵も味方もどんどん死んでいく。たとえ人気キャラでも容赦はしない。その作風が「味方だから大丈夫」や「どうせ死なないんだろ?」と思っていた読者に衝撃を与えた。……だからこそ、面白がられる。

 ――感動は、人の心を傷付けること、か。

 彼は昔読んだ本の言葉を思い出した。確か脳科学者のエッセイだったはずだ。

 さて、どうしよう。

 いっそのこと、予定を早めて死なせてしまおうか? ……その方が、きっと盛り上がる。

 しかし、この後もこのキャラには役割がある――やはりもう少し生きていてもらわなければ、でも……どちらにすべきか逡巡しゅんじゅんする。

 こんな時、編集者に直接聞けるのなら良かったのだが……。

 当然のことだが、編集者の川村は明日香が書いていると思っている。明日香に頼んで聞いてもらうよりほかはない。


 ――お兄ちゃんは、恥ずかしいことなんてしてないよ!


 もっとも、明日香はそれを快く思っていないらしく、わざわざ自宅の彼の部屋に多少は聞こえる場所で打ち合わせをする。彼に少しでも参加している気分になってもらおうというのか、それとも当てつけなのか……。

 プルルル――。

 ふいにスマホの着信音が鳴り響き、身を固くする。

 休日でも突然呼び出し、出勤。そのまま深夜まで。……もう会社からの電話はないと知っているのに、身構えてしまうのだ。我ながら情けないと思ってしまう。

 彼は気を落ち着かせるのに十数秒を要した。その後、ようやく電話に出る。

「お兄ちゃん」

「明日香か」

「もう……お兄ちゃん、遅い! もう会社からの電話はないって分かってるのに……だいたい、名前を見ればわかるでしょ?」

「そうなんだが……つい。……で、なんだ?」

「水曜日にまた川村さんと細かいところを打ち合わせするから、それまでに聞いておくことを教えておいてくれる?」

「水曜……二日後か」

 どうにも部屋にこもっていると日時の感覚が曖昧あいまいになってしまう。

「そう……あのさ……」

 明日香が躊躇ためらっているのが伝わってきた。

「ん? なんだ?」

「もう、やめにしない?」

 それだけで何が言いたいか分かる。

 京輔は一呼吸置くと答えた。

「あのさ……世間が求めているのは、引きこもりの俺じゃない。美少女小説家、四季明日香なんだよ。可愛いお前が残虐な内容を書く、そのギャップを、世間は評価してるんだよ」

 何度同じことを言っただろうか?

 兄である彼の贔屓目ひいきめなしで見ても、明日香は十分美少女の部類だと思う。

「そんなことないよ! お兄ちゃんの小説は面白いし、作者が誰とかで評価してるんじゃないと思う……そもそも、授賞式までは誰も作者のことなんて知らなかったはずだし」

「そんなの理想論だ。作者が俺なら、絶対にここまで売れない」

 本当に、そうだろうか? ――これも何度も繰り返した問いだ。

 とはいえ「こんな少女がこんな小説を書いているなんて!」と、驚いた人は少なくない。それに感化されて書き始めたという人もちらほらいる。

 ……少しの沈黙の後、ため息が聞こえた。

「……分かったわ、もういい」

「すまない」

「……もう」

 その声を最後に電話は切れた。

 京輔は天井を見上げた。

 本当に、すまない。

 京輔とて、大事な妹を矢面に立たせることに罪悪感がないこともない。

 それでも、自身が今更名乗り出る気にはなれなかった。


「ただいま」

「お邪魔します!」

 玄関の方から、少女の声が響いた。

 明日香と、京輔の聞いたことのない声だ。どうせ明日香が友達でも連れてきたのだろう。

 京輔は居留守を使うことにする。彼のような兄が居ることを妹も知られたくないだろうから。

「え~、あのキャラが好きなの?」

「そうです! 四季先生の作品の中では――」

 どうやら、明日香の作品のファンのようだ。彼女の作品について話している。

 時々、彼女はこうしてファンだという人を連れてくることもある。

 もっとも、京輔は気が気ではない。もし、質問に答えられずにボロを出したら――彼女には作品の細かな設定まで教えてあるが、その可能性がないとは言い切れない。編集者との打ち合わせでもその危険性はないとは言えないが、まだ質問のパターンが決まっているだけ危険性は低い。

 駄目だ駄目だ。気を落ち着かせるために、執筆に専念しよう。

 彼はPCのキーボードに向かった。

 書いている間だけが、解放される気がした。少なくとも、余計なことを考えずに済む。


 う~む。

 ……詰まった。

 彼は液晶画面を眺めながら考え込んだ。

 どうしても、この先が思い付かない。少し気分転換に飲み物でも取ってこよう。

 幸い、明日香と友達は彼女の部屋に行ったようだし、リビングを横切っても鉢合わせすることもないだろう。


「あ、ちょっとトイレをお借りします!」

「トイレは――」

 明日香に連れられてきた少女、七瀬千絵ななせちえは急にトイレに行きたくなった。

 失礼だと思いつつも、明日香にトイレを借りることにする。

 ひょっとしたら、緊張のせいかもしれない。

 自分はあの四季先生のご自宅に居るのだ。

 しかし、意外と言えば意外だった。

 彼女の部屋は少女趣味の可愛らしい部屋で、荒れている様子はない。小説家の部屋はこう――もっと乱雑に資料が置かれたりして荒れているものだと思っていた。

 千絵はトイレを済ませると戻ろうとした。

 あれ?

 少し奥に、半開きになったドアがあった。

 よせばいいのにと思いつつ、覗き込んでしまう。

 部屋の中には山積みの本や何かが印刷された紙、そして――起動中のPCの画面に視線は釘付けになった。

 ワープロソフトが起動していて――思わず近寄って画面を注視する。


 間違いない! 『異世界外道戦記』の書きかけの原稿だ!


 途端にドアの所で悲鳴にも似た声が上がった。

 見知らぬ青年が、驚いた表情でこちらを見ていた。

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