引きこもりのゴースト

異端者

第1話 引きこもりのゴースト

 夏も終わりに近づいた頃、日が随分と西に傾いてきた時刻のことだった。

 リビングで女子高生作家、四季明日香しきあすかは担当編集者、川村美紀かわむらみきとテーブルを挟んで向かい合っていた。

「四季先生。それで、前回の原稿の修正箇所ですが――」

「あ、ちょっと待ってください」

 明日香はスマホのボイスレコーダーアプリのスイッチを入れた。

「じゃあ、始めてもらって大丈夫です」

「分かりました」

 川村は慣れた様子で答えた。

 こうして、打ち合わせが始まった。

 明日香は無理を言って自宅まで毎度来てもらっている川村に申し訳なく思っていた。

 しかし、できれば兄、京輔きょうすけの居る場所の近くでしたかった。

「このキャラですが、敵に操られて仲間を殺すというのは――」

 川村は作品について語っている。

 この作品『異世界外道戦記』は、よくある異世界転移ものと見せかけて、容赦ない残虐描写、手段を選ばない主人公、畳みかけるような苦難の連続で好評を得たシリーズだ。そこには一片のご都合主義もなく、主人公と仲間たちの努力と機転で道を切り開いていく――そんなハードな世界観がぬるま湯のような世界観に浸っていた人たちにとっては斬新だったらしい。

 もっとも、初めから全部受け入れられていたかというとそうではない。近年の読者は辛い展開の後のカタルシスよりも安易な成功体験を望む。最初はWEB小説として批判されながらも更新を続けた結果だった。

 ふらふらと明日香の兄、京輔が部屋を横切る。冷蔵庫にある飲み物でも取りに来たのだろう。

 そんな彼を、川村は軽蔑の混じった様子の横目で見ている。

 ――妹さんはこんなに立派なのに……。

 視線だけで言いたいことは分かる。

 京輔はニートだ――社会人になって最初に就職した企業があまりにブラックすぎて精神を病んでしまって引きこもった。今では家族以外とはまともに話す機会すらない。

 だが、明日香には川村が彼を毛嫌いする様子は好きではなかった。無意識にテーブルの下の手を固く握る。


 ――お兄ちゃんは、本当は凄い人なのに。


 言えるものなら言いたかった。

 だが、本人からきつく口止めされている――この小説の本当の作者は京輔だということを。


 どうしてこうなったかは、二年程前に遡る。

 ブラック企業に勤めるかたわら、京輔は小説投稿サイトに自作小説を投稿し続けていた。だが、仕事は長続きせず、会社を退職。以後は部屋にこもって投稿を続けていた。

 もっとも、先に述べた通り、小説の評価はかんばしくなかった。

 「つまらない」、「悲惨なだけで内容がない」――そんなものでも、評価が付けばよい方でネット上では自身の気に入らないものは大抵無視される。そんな訳で、閲覧数は伸びず、過疎化は進む一方だった。

 だが、とあるインフルエンサーが面白いと自身の動画で紹介したことで評価は一転。世間は安易に手の平を返し、途端に評価しだした。

 結局のところ、大多数はみんなが面白いというからそう言っていただけで、自分では評価する目を持っていなかった訳だ。

 そうして、その勢いのままコンテストに応募、あっさりと大賞を受賞してしまった。

 それから、授賞式を行いたいので本人が出席してほしいとの連絡がきた――のだが、彼には人の多い所に出ていくことは恐怖でしかなかった。そのため代理として、身分を偽って妹の明日香に出席してもらうこととなった――美少女作家、四季明日香の誕生である。

 その一作で終わりと思っていたが、そうはいかなかった。出版社はこれを好機ととらえたらしく、彼女に担当編集者の川村を付けて次回作を望んだ。

 こうして、京輔は明日香のゴーストライターとして書き続けることとなった。出版社には本当の姿を隠して、明日香がボイスレコーダーで記録した内容を聞いて修正をする。これをずっと続けていた……。


「で? ……どうだった?」

 川村が編集部に戻ると、その様子を見て髭面の編集長が声を掛けた。

「あ、はい。順調です。このペースなら予定通り出せそうです」

 いつものことだ。彼女はなんでもないことのように答えた。

「あの子は元気そう?」

 編集長はまるで親戚の子の近況のように聞く。

「はい、問題なさそうですが……」

「お兄さんは?」

「は?」

 川村は一瞬理解できないという顔をした。

「いや、引きこもりのお兄さんが居たでしょ?」

「確かにそうですが……そんなのどう関係が……いつも通りですよ!」

 彼女は嫌悪感を隠さずに答える。

「そう……なら良いんだが」

「もう遅いのでこれで失礼しますね」

「ん……お疲れ様」

 編集長は適当に挨拶をして会話を終わらせた。

 川村が帰った後、近くのデスクの男性社員が言った。

「あの、さっきの質問、何か意味があるんですか?」

「質問、というと?」

「四季先生のお兄さんがどうとか」

「ああ、あれか」

 編集長は少し考えるような仕草をした。

「君はまだ若いから分からないかもしれないが、作品というのは作家の人間性が出るもんだ」

「はあ?」

「ま、つまりそういうこと」

 男性社員はさっぱり分からないという顔をした。

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