天から降る海龍の落とし物
ファイセルが出発してからしばらく経った。
もう日も昇って来ており、
中でも目立つのは”ウィール・ネール”と呼ばれる巨大なナメクジである。
馬の存在しないこの世界では、代わりとして車をひいている。
このナメクジはライネンテではメジャーで、あちこちで見かけることが出来る。
草食動物で、性格は
馬力もかなりあり、重い車を引くのにも耐える。
背丈の高さは馬と大差ないが横に大きく、横幅も馬二頭分程度はある。
移動速度やや遅いが、地表を
極度の乾燥地帯、または寒冷地でなければ様々な状況で活躍できる。
ライネンテ国内の陸路運輸の
欠点としては体表がヌメヌメしているので特製の
あとは幅が大きいが
「うわ～なんですかあのヌメヌメしたのは～」
リーネが顔を出したり引っ込めたりして、おっかなびっくりにウィール・ネールを見つめている。
「大丈夫だよ。大人しいし、葉っぱしか食べないから。まぁ、ビジュアル的に受け付けない人も少なからずいるみたいだけど……」
奇妙な生物がニュルニュル音を立てながら横を走り抜けていく。
「ファ、ファイセルさんは気持ち悪くないんですか？」
リーネは首まで水に浸かって、ビクビクしている。
ファイセルはワシャワシャと
「まぁ都会の子はともかく、田舎には牧場とかあって子供はしょっちゅう触ったりしてるからね。そんなに怖がらなくって大丈夫だって。これからあちこちで見るからいちいち驚いてたらキリがないよ」
ファイセルはそうリーネをなだめた。
「わかりました。ちょっと苦手だけど頑張ってみます。あ、あと道を外れた森の中に池がありますね。寄って行きましょう」
リーネには水源を察知する能力もあるらしい。
池があると聞いたファイセルは地図を見ながら歩いた。
「あれ、池の名前が書いてないな。旅人が寄っていく様子もない。おっ……これはもしかして”
「”かいりゅうのなみだ”って何ですか？」
生まれたての彼女にはこの現象がわからないようだ。
「海竜の涙って言ってね、深海に住んでるとされる大きなドラゴンが稀に潮を吹くことがあるんだ。それが空高く舞って、海岸近くの森とかに落ちると落下地点に小さな池が出来るんだよ」
ファイセルの表情が明るくなった。
大きい瞳にあどけなさの残る鼻筋、そして期待に
その笑顔は無邪気な少年のそれであった。
汗でしめった黒髪をかきあげながら彼は進んでいく。
「ところで、なんでそんなに嬉しそうなんですか？」
笑みを
「海竜の涙の底には必ず”海竜のウロコ”があるんだよ。それは'アクアマリーネ''って呼ばれてる。集めて縫い合わせて鎧とか盾にしたり、マジックアイテムの素材とかに使われるんだ」
旅人はジェスチャーでウロコの形を伝えた。
「ただ、今の僕が持っていても加工や有効に使う手立てはないんだ。だから売るのが一番かな」
腰丈くらいの雑草に行く手を阻まれながらも、小池を目指していく。
すると木が数本倒れて日が差し込んでいる一角が見えた。
さらに進むと、森の中に小さな泉があった。
しゃがんで水を飲んでみる。
「このアクアマリン色の水、そしてこのしょっぱさ。間違いなく海竜の涙だね。いい機会だしリーネも入ってみるかい？」
「はい。海竜さんのダシってどんなですかね？」
少年はビンのフタを開けてリーネを池に垂たらした。
「こ……これは、力がわいてきます!! こんなの初めてです」
ビンの中の水がキラキラ光って、リーネの体も光を帯びた。
「この水、みんなに分けてきてもいいですか？」
リーネは水属性の仲間に不思議な力を分けようとしていた。
「わかった。僕はウロコを探すから行ってきなよ」
「はい!」
リーネが沈黙するとビンの中のアクアマリン色の水はほとんど消えた。
さきほどはリーネに知ったように語ったファイセルだった。
しかし、実物の海竜の涙に遭遇したのは実はこれが初めてだった。
ウワサには聞いていたが、いざ実物を見ると潮だまりのあまりの美しさに見惚れた。
これは夢ではないかと思えてくる。
「え、えっと、ウロコの特徴は……掌くらいの大きさで濃い青色のフチで水色に透き通った本体……」
池の周りをクルクル回りながらウロコを探す。
日の光りが反射して水底が見えない。
池は浅かったので、ファイセルは手を突っ込んで慎重に底をあさった。
すると土や泥や木とは明らかに感触の違うツルツルとしたものに触れた。
「これだッ!!」
ファイセルは水底からそのツルツルしたものを取り上げた。
大きさは手のひらくらいで青い縁取りの水色のウロコ。
まるで装飾用の煌びやかな盾のようだ。
日にかざすと水色の部分が薄い魚のそれのように透けて
観察しながら触ってみると柔軟性があり、反ったりひねったり変形できた。
それにもかかわらずかなり頑丈だ。
予想外の出来事に感動のあまり声がでない。
ファイセルはしばらく無言で”アクアマリーネ”を見つめていた。
金銭的に
だが、金勘定以前にこのトレジャーに遭遇することの出来た感動の方が上回っていた。
どのくらい見つめていただろうか。
割と長い時間、その美しさに見とれていた気がする。
「おまたせしました!」
妖精は長い髪を優雅になびかせながらくるりと回った。
彼女の声でふと我に返る。
ビンの中身はいつの間にか普通の水で満たされていた。
ただ、妖精の少女の身体は水色だ。
「あ、ああ。戻ったんだね。ほら、これが海竜のウロコだよ」
リーネもファイセルと同じく目を輝かせてウロコを見つめた。
「これが海竜さんのウロコですかぁ～。そ、それはそうとちょっと大変な事に……」
妖精は嬉しいような、困惑しているような複雑な表情だ。
「あのですね、なんと海龍さん……じゃなくて海龍様は滅多に会えないような滅茶苦茶エラいお方でした。我々水属性の仲間では知らない者はいないくらいです!」
水属性のファアリーは興奮気味に続けた。
「で、この水を持ち帰ったら皆さんから大変高評価をいただいてですね。私の格付けが一気に上がったそうです。私は大したことしたわけではないのでなんだかフクザツなんですが、姉妹の中で一番、位が高くなってしまいました……」
どうも精霊の社会には厳しい格差があるらしい。
多く魔力を蓄えている者や人間界での活動実績が多いものほど地位や権力をつ。
低級な者には発言権さえ与えられない。
そのため権利や地位を欲して人間界に現れる精霊も多いと聞く。
そのため、互いの利害関係が一致するのだ。
そしてリーネは続けた。
「それに、良い事があってですね。もしかしたら海龍様の派閥はばつの後押しで私達の
授業で精霊界には派閥も存在するらしいという事を聞いたのをファイセルは思いだした。
格差社会に派閥、そして他者からの厳しい評価。
さらには激しい属性同士の対立、差別。
精霊界には窮屈で
そうこうしているとリーネが悲鳴に近い声を上げた。
驚いてビンの方を見つめる。
「うわ～、そんなに食べられないですよ～!! それにもう飲めませんって～!!」
いきなりビンの中のリーネが膨れて容器の外まではみ出してきた。
精霊界で何か起こっているらしい。
「そんなに
リーネはそのまま膨れ続け丸々と太り、ビンの倍くらいの大きさになってしまった。
破裂寸前と言ったところだ。
ファイセルは慌てたが、何か打てる手があるわけでもなく、見守るしかなかった。
「ぽひゅ～～～」
空気が抜けるようにしてリーネが元の大きさに戻っていく。
混乱が
どうやら大きな
「大丈夫？ まだ旅が始まったばかりだけど、問題なく水質チェックできそう？」
少年はビンを覗き込んでそう尋ねた。
「はい……まだ少し手にした大量の魔力に混乱気味ですが、水質チェックは出来ます。周りの方々はなんで水質チェックなんて地味でおきゅーりょ～の少なそうな事やってんだってつっついてきますが……」
ファイセルは安心したようにうなづき、ビンのフタを閉めて腰にビンをかけた。
「あのぉ‥‥手に入れたウロコはどうするんですか?」
少年は
「そうだね。あまり目立つところで売りたくはないなぁ。故郷のシリルについてから考えるよ。これはバッグのそこに大切に隠しておくよ」
そう言うと旅人はそっとウロコをカバンに入れると地図を広げた。
「よーし!!
ファイセルは服に付いた葉っぱをはらいながら、街道に戻った。
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