わずかな可能性から逃げない

ファイセルはマントを羽織はおりつつ、泊まっていた宿屋を出た。


すぐにビンを弾いてリーネを呼び出す。


「ふぁ~ぁ、おはようございます。さっそく水質チェックしていきましょう!」


妖精は口角こうかくをあげてニコリと笑った。


水色の長髪がさらりと揺れる。


ひとみはまんまるで鼻筋はあまり主張しない。


その見た目は幼女そのものだった。


「じゃあまずはこの村の川からチェックしてみようか」


そう言いながらリーネを川にらした。


川の流れがいやに速く見える。それに、水の色が薄くにごり始めていた。


「ノール村の川、マーク完了です!! 普通の川の水ってところですが、なんだか泥臭いですねぇ。」


リーネがビンに戻ってきたのを確認し、街道をとぼとぼと南へ歩いていく。


特に変わった性質をもつ水源もなく、この一帯は安定している事を確認出来た。


だが、徐々に川の水の濁りが濃くなっているのが気になってきた。


ミナレートを旅立ってから数日が経過していた。


日をまたいで地道に歩みを進めると、草木の生えない荒地が目立ち始めた。


鬼火おにびガエルのサンドイッチ食べながら、さらに歩いていくと村が見えてきた。


だが、なんだか村の様子がおかしい。人が少ない上に、女性しかいない。


しかも、皆、あわただしく家財道具かざいどうぐをまとめている。


近くの家の窓からいきなりおばさんが声を張り上げた。


「もう濁流だくりゅうにのまれてこの村は終わりだよぉ!! アンタも速く川から離れな!!」


少年は思いだしたように地図を引っ張り出した。


「そういえば確かこの村の上流には大きな天然ダムがあるんだ……! リーネ、川がどっちかわかるかい?」


リーネはすぐに村の外の森を指差した。


ファイセルがそれにしたがって川を見に行くと、その姿は激変していた。


全ての物を巻き込まんとする勢いで、川は激しい濁流だくりゅうと化していたのだ。


こんなのに流されでもしたらまず助からない。


自然とファイセルの顔はんがんでいった。


そして少年はどうやって暴れ狂う流れをかわすかを考え始めた。


すると脇で女性がわめいている。


「離せッ!! 離しておくれ!! ミルルちゃんや男どもが食い止めてるってのに、あたしら女衆おんなしゅうだけ逃げていい道理どうりがあるかい!!」


周りの女性たちは叫ぶ女性を引きずった。


「なんのためにあいつらが水を食い止めてくれると思ってるんだい!! アタシらは生き延びなきゃならないんだよ!! あいつらのためにも!!」


他の村人が必死に言って聞かせるのを聞いてファイセルは唖然あぜんとした。


「まだ人が残っているのか!? あの流れを見るにもうそんなに長くは持たないぞ!!」


珍しくファイセルが声を荒げた。


普段は穏やかな彼の顔はかつてないほどけわしくなった。


まるでくしゃっと紙を握り潰したようだ。


少年は残っている人のことが気になり、そこに立ち尽くして動けなくなった。


「ファイセルさん!! ファイセルさん!! 流れに飲まれればあなたを守りきれません!! 死んでしまいます!! ここは私たちも逃げましょう!!」


それでもファイセルはダム決壊を食い止めている人たちのことが、気がかりでしょうがない。


「このままじゃ、抑えている人たちが死んでしまう! というか彼らは死ぬ気だ!! 何とか……何とかならないのか!!」


リーネが気乗りしないような様子で言った。


「泥水の好きな精霊の方がいます。あふれている水源に近づければを吸い取ってもらえるかもしれません。しかし、この距離ではもう間に合いません!! 逃げるなら今しかないです!!」


こういう時に限って、少年は自分が優柔不断であることを痛感した。


「さぁ、早く川から離れて!!」


リーネは悲鳴じみた警告の声を上げた。


もし、ここで水を抑えている人たちを置き去りにしたら一生後悔する。


「それでも可能性が……助けられるかもしれないなら見殺しには出来ないッ!!」


ファイセルは瞠目どくもくした。


その黒い瞳には確かに気力が宿っていた。


そして彼は川上に向けて走り出した。


必死に走ったので長めの黒髪が乱れる。


細い腕や足を大きく振って懸命に走った。


あとは天然ダムが決壊する前に到着できることを祈るしかない。


「ああ……ファイセルさんなんてことを……」


妖精の少女は絶望しながらも祈るように手を合わせた。


旅人は、たまった旅の疲れのせいでよろけ、思うように走れなかった。


ふとリーリンカのくれた薬のなかに、滋養強壮剤じようきょうそうざいがあったのを思い出した。


走りながら取り出して一気に飲み干す。


「うわああああああぁぁぁぁッッ!!!!」


少年は絶叫した。青筋がたつ。


足の痛みや疲労感を無視し、力を振り絞って叫びながら走る、ひた走る。


迫り来る死の恐怖と戦いながら、それを振り払うようにしながら更に走る。


苦痛のあまり、いつもの可愛げのある表情とは別人のようだった。


やがて遠くに土手が見えた。


川幅は広がり、真っ茶色な水が全てを飲み込まんとしている。


もし天然ダムが決壊すればこの数倍の水に押し流されることになるだろう。


自分はおろか、村は壊滅かいめつまぬかれない。


そんな中、徐々にリーリンカの薬の効果が表れてきた。


全身に力がみなぎり、恐怖の叫びはいつの間にか勇ましい雄叫びに変わっていた。


「うおおおおおおおぉぉぉぉッッッ!!! リーネ!! 間に合いそうだよ!! スタンバイして!!」


華奢きゃしゃ気味の身体がミシミシときしんだ。


身体が痛いのか、痛くないのか、どこが痛いか痛くないか。


そんな状態になるほど彼は肉体を酷使こくしした。


肉体強化が出来ない事をここまで憎んだことはいまだかつて無い。


ファイセルは腰のビンをベルトから抜き、右手に持って森の中を疾走しっそうした。


木々の間から川べりに出ると決壊秒読みの土手が目の前に広がった。


それを3m位はある岩の塊が塞いでいる。


大きな岩の左右から抑えきれない黒ずんだ濁流だくりゅうが流れ出ていた。


「ここが最後のとりでか!!」


十数人の男たちと一人の少女が水を抑えていた。


男たちは土嚢どのうを積んで、直接体で流れを塞いでいる。


だが、すぐにファイセルに気づいた。


ファイセルは吹き出る泥水でぐしゃぐしゃになった。


制服がだらりと垂れる。


「頑張って~!! お願い!! あと少しだけ耐えれば村のみんなは逃げられるから~!!」


その場に似つかわしくない、そばかすの少女が泣き叫びながら、岩に向かって声をかけている。


良く見れば岩は人の形をしていて、土手に背中を押しつけていた。


「これは……ロック・ゴーレムか!!」


ファイセルの魔法生物と原理は似ている。


こちらは岩石に術式を彫って動かすタイプの岩の傀儡くぐつだ。


物理攻撃には強いが、滅法めっぽう、水には弱い。


今はかろうじて水をふさいでいるが、相当なダメージを負っているはずだった。


「ファイセルさん、準備OKです!! ただし、流れがあると思うように吸えないので土手の上からビンを水面につけてください!!」


そんな事を言われても土手の斜面は急で高過ぎる。


とっさにファイセルはゴーレムに指示をしていると思われる少女に頼んだ。


「君! ゴーレム使いなんだろ? 僕を土手の上まで投げて!! 早く!!」


女の子はいきなり現れた冒険者にポカーンとしていた。


だが、すぐに言われた通り岩の巨人に命令し始めた。


ゴーレムは頭をこちらに向けた。


岩の塊かたまりだと思って気づかなかったが、ちゃんと顔がある。


表情は変わらないままだったが。


すると、岩の化け物は片手をぐいっとこちらに伸ばし、ファイセルを鷲掴わしづかみにした。


少年の細い体躯たいくがミシミシと悲鳴をあげる。


「ぐッ!!」


皆が抑えていた箇所かしょから一気に水が噴き出す。


それを男たちが必死の思いでふさいだ。


ゴーレムは絶妙な力加減で、少年を土手の上めがけて投げた。


コントロールが正確だったおかげで、上手く着地に成功した。


すぐに天然ダムの水面めがけてビンを突っ込む。


ゴォーゴォーと轟音ごうおんを立てて、ビンが水を吸い込みはじめた。


水位はぐんぐん下がり、やがてゴーレムだけで抑え切れる程度まで減った。


ファイセルは安堵あんどして土手の下に手を振った。


下に居た全員がそれに答えて手を振り返した。


みんなの顔に笑顔が浮かぶ。


中には泣いている者も居た。


死の恐怖から開放されたのだ。無理もない。


「ふ~、天然ダム、マーク完了です! それにしてもファイセルさん無茶しますね。さすがに今回は死んでしまうかと思いました」


ビンの中は泥水で満たされていた。


ハラハラしすぎたからかフェアリーは疲れの色が隠せない。


「全くだよ。我ながら無茶をする。師匠から『勇気と蛮勇ばんゆうは違う』って説教されちゃうね……」


ファイセルも命の危機を乗り越えて力が一気に抜けた。


土手に尻もちをつくように座り、そのまま仰向けになった。


青空に鳥が気持ちよさそうに飛んでいる。


「いや~、走ってる最中は必死すぎて気にも留めなかったけど、リーリンカの栄養剤、マズいなぁ。のどごし最悪だよ。ドロドロしてるし、未だにベロはヒリヒリするし、生臭いし……」


しかし、これが無かったら死んでいたと思うと、リーリンカには、ただただ感謝するしかなかった。


「こうやって噂をしたら今頃、くしゃみとかしてたりしてね」


――――ううっくしゅ‼‼


「‥‥風邪でもひいたか?」


リーリンカはそう言いながら眉をハの字にした。


まさかなと、ファイセルはリーネと笑いあうのだった。

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