第22話 名もなき国民たちと王


リオトが新たに建てた木の小屋から現れたのは――一人の男性だった。


やや疲れている印象を受けるが、肩幅が広く、ブラウンの髪と瞳を持っている。


無精ひげが伸びているが、顔立ちからして30歳前後だろう。


身長は170から180センチほどか。


ベルノスに慣れたリオトには、少し小柄に感じたが、ドアの高さを基準にすると、かなり背の高い方だ。


「おぉ!」


ドアを開けた瞬間、男はリオトたちの姿を目にし、一瞬驚いたが、すぐに表情がやわらぎ、微笑みを浮かべた。


「リオト陛下......でございますか?」


リオトが答える前に、ベルノスが半歩前に出て、礼儀正しく応答する。


「その通りです。こちらにおわすのが、我らが王、リオト陛下でございます」


「っ!……本当に……陛下が……!」


男は感極まったのか、涙を浮かべた。


その様子に、リオトは少し首をかしげる。


喜んでいるはずの男が泣いている理由が、リオトには理解できなかった。

何か感動的なやり取りがあっただろうか。


彼が目の前の男にどう対応すべきか迷っていると、ベルノスが静かに見守るように、彼の反応を淡々と受け入れていた。


「す、すみません。まさかリオト陛下自らが訪れてくださるとは……少々お待ちください。おいっ!お前たち!リオト陛下のおなりだ!早く出てこい!」


男が家の中に向けて声を張り上げると、やや小柄なブラウンの髪と瞳を持つ女性――おそらく妻だろう――が姿を現した。彼女は男性と同い年か、少し若い20代後半に見える。


続いて、彼らの娘と思われる小さな女の子、そして高校生くらいの青年と、中学生くらいのもう一人の青年が家から出てきた。


全員がブラウンの髪と瞳を持っていることから、リオトはこれが血縁であり、家族だと察した。全員、リオトの姿を見て驚いた表情を浮かべている。


どうやら五人家族のようだ。


家族たちは男の呼びかけに応じ、恐る恐る彼の横に並ぶと、緊張しながら頭を垂れて礼を取った。


その姿を見て、リオトはやや気後れしたが、ベルノスがすぐにそばに寄り、耳元でそっとささやく。


「(この場では『表を上げ、立ちなさい』とおっしゃるべきです)」


「(……わ、わかった)」


リオトはベルノスの言葉に少し戸惑いながらも、王として振る舞うべきだと自覚し、堂々とした声で告げた。


「ぉ、表を上げよ。そして、立ちなさい」


「陛下がおっしゃっております。どうぞ顔を上げなさい」


ベルノスが穏やかな声で補足すると、家族はゆっくりと顔を上げたが、依然として地面にひざまずいたままだった。


リオトは困惑し、ベルノスに助けを求めるように軽く視線を送る。


ベルノスは再び家族たちに向かって、しっかりとした声で告げた。


「お立ちなさい」


ようやく家族たちは立ち上がり、リオトの前に恐る恐る姿勢を正した。


その一連のやり取りに、リオトは少し疲れを感じたが、ベルノスの支えで無事に儀式のような礼儀を済ませた。


リオトは一歩前に進み、男性に向かって声をかける。


「貴方たちは、我が国『アークノクティア』の国民。それで間違いないか?」


男性は一瞬間を置いてから、驚いたように頷いた。


「え、ええ、そうでございます……陛下」


「そうか……では、名前は?」


「名前、でございますか……。いえ、我々には名がございません」


その答えを聞いたリオトは、驚き、顔を曇らせた。


「名前がない?それでは、これまでどうやって生活してきたのだ?」


男性は戸惑った表情を浮かべながらも、何とか言葉を探し出す。


「いえ……我々には以前の生活というものがなく……ただ、ここにいる。それだけにございます」


その返答にリオトはますます混乱した。


過去がない?一体どういうことだ?


リオトの頭の中に疑問が浮かぶ中、ベルノスが静かにリオトに説明を始めた。


「リオト様、彼らもと同じ存在かもしれません。おそらく、私たちと同じように啓示を受けてこの世界に呼ばれた者たちでしょう。かつての名を捨て、新しい役割を持ってここにいるのではないかと考えられます」


「名を捨てる……か」


リオトは理解が追いつかない。名前を捨てることがどれほどの意味を持つのか、まだわからなかった。


ベルノスはさらに続けた。


「神殿の教えによれば、名とは魂そのものであり、他者に知られることはその者の本質を明かすことと同義です。親しい者だけが名を知り、婚姻の際には苗字を変えるのもその儀式の一環です。彼らの過去がどうであれ、名を捨てて新たな人生を生きるという選択をしたのかもしれません」


リオトはそれを理解するのに時間がかかった。


「でも、そんなのは生きづらいじゃないか。悲しいだろう、誰も名前がないなんて……」


リオトは一瞬、自分の国民全員が名前もなく、ただ「あれ」「あの人」と呼ばれ、個人を持たずに生きている様子を想像してしまった。それは、個人の否定のようで、あまりにもむなしい光景だった。


「じゃあ、名前を――」


リオトは名前を付けよう、そう言おうとしたが、やめる。


目の前にパネルが表示されたからだ。


『男をネームドに進化させますか?4回の進化権を1つ消費します。はい/いいえ』


「そんな……」


リオトはその場で立ち止まり、ベルノスがすぐに状況を察して彼の肩をたたく。


「リオト様。これは私たちが対処いたします。」


そう言うと、ベルノスは家族を見回し、まずは父親に向かって言葉を発した。


「あなたはこの家族の父親ですね?なら、名前は『エルデリク』。母親の名前は『リサリア』。娘は『セリアン』、次男は『ファレン』、そして長男は『カイルス』。いかがでしょうか?」


男――エルデリクと名づけられた男性は、一瞬、呆然としながらベルノスの言葉を噛みしめ、驚きの表情を浮かべた。


「そ、その名前……今、神官様が仰ったのは、俺たちの名前、ですか?」


「そうです。リオト陛下があなたたちに名前がないのは不憫だと感じられましたので、私が代わりに名を与えました。この程度のことなら、深淵の司祭である私に許される権限です。今後、あなたたちはこの名を名乗りなさい。よろしいですね?」


ベルノスはにっこりと微笑んでいたが、その雰囲気には文句を言わせない圧力があり、拒む余地などなかった。


エルデリクは戸惑いながらも、深く頭を下げて感謝の意を示した。


「はい……ありがとうございます。エルデリク、リサリア、セリアン、ファレン、カイルス……これが私たちの名前ですね……」


彼は一つ一つ、名前を噛みしめるように復唱した後、リオトに向き直り、深く頭を下げた。


「これでよろしいですか?リオト様」


「うん、ありがとう、ベルノス」


リオトは少し照れくさそうに微笑み、エルデリクに歩み寄る。


「エルデリク……これからよろしく頼む」


リオトは右手を差し出した。同時に、名前を呼んだ際に進化権消費を問う通知が来ないことを確認する。既にに呼ぶ名を持っていれば、問題ないようだ。


エルデリクはその手を見て一瞬戸惑とまどったが、すぐにベルノスが暗に握手するよううながすアイコンタクトを送ったことに気づき、恐る恐るリオトの手を握り返した。


「はいっ!こちらこそ、よろしくお願いいたします!リオト陛下!」


エルデリクが興奮気味に返事をする。


次の瞬間、小さな足音が聞こえ、彼の娘――セリアンがリオトの前に飛び出してきた。


彼女は無邪気に右手を差し出し、笑顔で言った。


「よろしく!」


その無礼とも取れる行動に、一瞬緊張が走る。


母――リサリアが慌てて娘を引き戻そうとした。


「こ、こら!無礼です!」


だが、リオトはその無邪気な行動に微笑を浮かべ、しゃがみ込んで彼女の手を優しく握った。


「はは、よろしく、セリアン?……そうだったな?」


「セリアン、です!」


セリアンは元気よく返事をすると、満足げにエルデリクの足にしがみついた。


その様子を見て、エルデリクは彼女を抱き上げ、満足そうに頷いた。


その光景を見て、リオトは微笑を浮かべ、エルデリクたちに視線を戻す。


「リサリアさん、ファレン君、カイルス君、よろしくお願いします。」


リオトは一家全員と握手を交わし、その温かい雰囲気に少し心が和んだ。


家族全員が少し緊張しながらも、彼に感謝の言葉を述べた。


「リオト陛下!本当に、ありがとうございます……!」


リサリアは震える声で礼を述べ、ファレンとカイルスも「よろしくお願いします」とぎこちないながらも礼儀正しく挨拶した。


リオトは、彼らと握手を終えると、ベルノスに視線を送り、軽く頷いた。


ベルノスもリオトの意図を察し、家族に向けて一言告げた。


「これからも、リオト陛下を支え、この国のために尽力してください。」


家族全員は深々と再度頭を下げた。


その後、リオトは彼らの生活状況を確認した。

住まいに不足しているものはないか、食糧や日用品に困っていないか、そして今後、職業についてどうするかなどを尋ねた。


彼らの家には必要なものがすでに整っており、特に不足しているものはないようだった。


リオトは彼らが自分たちの生活に満足していることに安心しつつも、次の家の建設に取り掛かる決意を固めた。


彼はさらに五棟の家を建てた。


エルデリクの一家は五人家族だったが、他の家族は四人や三人、または五人とさまざまだ。おそらく、家のランクや大きさによって家族の人数が決まっているのだろう、とリオトは推測した。


「(ゲームとは違う点がいくつかあるが……それも悪くないな)」


リオトは自分の心の中で呟いた。


実際の家では、全員が働けるわけではなく、各々がそれぞれの役割を果たしている。ゲームではなく、まるで現実の家庭のように。


だが、それがリオトにとって意外と不満ではなかった。


顔も性格も異なる彼らが、ひとつの国民として存在していることが、リオトの心をどこか温めてくれたのだ。


彼らは確かに生きている。


ひとりひとりが、それぞれの人生を歩んでいるのだと。


その思いは、ベルノスや、リオトの目の前で働いているユニットたちにも向けられていた。


戦いで失った深淵の従僕たちにも、リオトは申し訳ない気持ちが大きくあった。


そして、倒した白狼公ガルディウスに対しては、喪失感を抱いていた。


彼には側にいて欲しかったのだ。


だが、残念ながら、彼のカードはリオトの手札に入らなかった。

その代わり、「解放」という形で報酬が与えられたようだ。


おそらく、デッキの一部として。


「(デッキ編集機能……)」


リオトはその機能がまだ開放されていないことに気づき、何かしらの条件があるのではないかと考えた。


それがレベルなのか、デッキを使い切ることなのかはわからない。


手札の画面の隅にあるデッキの山札の残数を見ると、現在の残りは32枚。リオトは思わずため息をついた。


「単純に全部引ききるのに32日……一か月かかるな」


彼は、手札に残っている「邪神の封印」のことを思い出した。


それは本来、邪神ユニットを召喚するためのカードだったが、今ではただのドロー用のスペルカードに成り下がっている。


これを引き切るまでにどれだけの時間がかかるのかを考え、再び頭を抱える。


しかし、2枚のレジェンドカード――深淵ユニットのことだけは、鮮明に覚えていた。


そのうちの1枚を早く手に入れたいと、リオトは心の中で強く願っていた。


それとは別に、彼が今抱えている最大の課題は、人手不足だった。

働き手が足りず、家の増設を余儀なくされていた。


そこで、ベルノスに頼んで新しく増えた国民に名前を付けさせ、同時に国民名簿を作成させることにした。


護衛はナイトシャドウ・ウルフと邪神のしもべに任せていたが、これだけでは十分ではない。


「名簿があれば、次に備えられるだろう。」


まだ名簿が動いているわけではないが、徴税所と徴税官が必要になることを考えると、今から準備しておくべきだとリオトは感じていた。


EDDのシステムではこうしたことは自動で行われていたが、現実ではそうはいかない。名前を持つ以上、それを管理する必要がある。


「(EDDの世界では、徴税や財務の管理は容易だったが……この世界ではどうだろう)」


リオトは、現実世界がゲームのようにうまくいくとは限らないと理解しつつも、どこかでゲームと同じように機能してくれることを期待していた。


だが、現実の国の運営には、多くの役職や役人が必要になる。


彼はその点について、どれだけの人員を用意するべきか、頭を悩ませていた。


とはいえ、一つ希望があった。


国の運営に関わる専門職の人間は、国民から雇うのではなく、彼らが家から現れたのと同じように、専門職の者たちもいずれ自然と現れるだろうということだ。


それを待ち、必要な建物が完成するまでの間、優秀な人材が現れることを祈るしかなかった。


「(今できることは少ないが……一日一枚のドローで、優秀な人材が出ることを祈るしかない)」


リオトが今最も必要としているのは、デッキに残っている「深淵の司祭」の2枚だ。ベルノスがきっと彼らを一番に必要としていだろう。

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