第16話 森の試練 白狼公と邪神の覚醒者①


リオトは一瞬、冷たい汗が背筋を流れ落ちるのを感じた。


手元のパネルに目を落としながら、心臓の鼓動が耳元で鳴り響く。


もしこのカードが失敗したら――


いや、失敗なんて許されない。


自分たちの命も、仲間たちの命も、すべてこの一手にかかっている。


指先は冷たい汗でじっとりと濡れていたが、そのまま力強く宣言する。



**********



ガルディウスは、リオトが次に何を仕掛けようとしているのか、慎重に観察していた。


彼は敵の動きをじっくりと見極めるのが常であり、試練を課す者として、リオトがどのように行動するかを見定めたかった。


攻撃を仕掛けずに待っていたのは、リオトの実力と覚悟を試すためだった。


『焦りは己を滅ぼす。若き勇者よ、何をもってこの試練に挑むのか……見せてみろ』


彼の心にはわずかな好奇心もあった。


リオトが何を選び、どう戦うのか、


それが試練を超えるに値する行動なのか――


ガルディウスはその答えを見届けたかったのだ。



**********



「頼む……これしかない!


 

 ――――よッ!」



(頼む……頼む、成功してくれ……もう後がない!)


リオトが心の中で叫ぶ。


その瞬間、パネルが光を放ち、スペルカード「邪神の封印」の効果が発動した。


このスペルの効果は単純だが恐ろしい。名に『邪神』と付くユニットカードをデッキから一時的に召喚し、その後フィールド上で封印する。


リオトの深淵文明の初期デッキである「邪神の覚醒者」には邪神は一体しか存在しない。


しかし、その一体がいれば十分だった。

リオトの宣言後、周囲の空が暗く変わり始めた。


空気が重く、


冷たく、


まるで世界そのものが圧迫されるかのような感覚が襲いくる。


そして―――


『ぬぅっ!?』


ガルディウスが驚き、空を見上げる。

リオトもベルノスも釣られるように空を仰ぎ見ると、さっきまで晴れ渡っていた青空は、巨大な力にねじ曲げられるようにして、黒紫こくしの雲が不気味に渦巻いていた。


空は次第に闇に染まり、

黒紫の雷が雲間くもまを裂くようにして轟音ごうおんとともに地面へと突き刺さる。


まるでこの世に「虚無きょむ」が降臨こうりんしようとしているかのように、不吉な気配が立ちこめた。


ピコンッ!

リオトは冷や汗を感じながらも、ゆっくりとパネルに目を戻した。

そこに表示された"ユニット"を確認した。


最強のユニットが手に入った。

この瞬間、リオトは確信した。このカードに全てをかけるしかない。


『貴様ッ!何をしたっ!?』


ガルディウスが吠え、リオトを睨みつける。


焦りと恐怖がその目に宿っていた。


リオトはその反応に内心で笑みを浮かべながら、冷静に答えた。


「白狼公ガルディウス……今の俺たちでは、到底お前に勝てないかもしれない。だからこそ、俺たちの真の切り札を呼び覚ました。――これが、すべてを懸けた最後の一手だ!よく見ておけ、俺たちの切り札を!」


リオトの心は冷静だが、心臓は早鐘のように打ち続けていた。

だが、彼はそんな内心を悟られぬように、ニヤリと笑ってみせた。


「来るぞ……!」


『......来る、だと?貴様ッ、一体何を呼び出した!?』


ガルディウスの声が震えていた。

リオトも息を呑み、額から汗が伝う。


風が突然肌を焼くように感じ、同時にぬめりとした冷たさが全身を包み込んだ。


森の木々はしおれ、葉が萎び、周囲の生命がまるで吸い取られているかのように枯れ果てていく。



「......俺たちの



リオトが言ったその瞬間、


空に広がる闇の中心から低く重い声が響き渡った。


冷たく、


心の奥底をえぐるような響きで、


全てを支配するかのようだった。



【……我が名はクロヴィス……虚無の王にして、破壊と絶望をもたらす者……】



その言葉と共に、黒紫こくしの雷が再び閃光を放ち、大地に巨大な影を落とす姿が現れた。


空間が闇に飲み込まれ、その存在はまさに全てを沈黙ちんもく恐怖きょうふおおいつくしていく。


リオトとベルノスはその姿に息を呑んだ。

巨大で異形のその姿に、二人の視線は釘付けになり、彼らの体は無意識に後ずさりしていた。


ガルディウスでさえ、その巨体を目の当たりにして後退していく。


虚無の邪神クロヴィス――その名にふさわしい姿だった。

漆黒しっこく甲冑かっちゅうを身にまとい、その上半身は人間のようだが、ひたいから天に向かって鋭く伸びる4本の禍々まがまがしい角が印象的だった。角からは黒紫の稲妻いなずまが走り、白銀はくぎんの髪はまるで生きているかのように風に逆らってうねり、暴れていた。


クロヴィスは背中に漆黒の翼を広げ、その翼だけで大地に大きな影を落とす。だが、下半身は異形であり、無数の触手のような足が地面をい回っていた。


その巨体が全ての空間を支配し、見る者すべての視線を奪い、黄金の瞳は虚無そのものの冷たさと無限の力を宿していた。


【我を呼び覚ましたのは……貴様か……リオトよ……】


クロヴィスの声が重く響く。


【我が力を欲するならば、その代償を覚悟せよ……虚無は全てを飲み込む……貴様の命も、その魂も例外ではない……】


リオトはその圧倒的な存在に圧倒され、全身の血の気が引いていく感覚を感じた。


なぜ自分の名前をすでに知っているのか、そんな疑問すらも浮かばなかった。


だが、彼の手の中には勝利への鍵が握られていた。

クロヴィスのチカラ――それが今、彼のもとにある。


「虚無の邪神クロヴィス様……お願いいたします……この試練を乗り越えるため、私に力をお貸しください!」


リオトの声は震えていたが、それでも彼は自らの信念を貫き、クロヴィスに対して願いを告げた。


クロヴィスは冷たく微笑み、その黄金のひとみを細めた。


その視線には期待が宿っていた。

冷徹なはずの彼が、リオトに対しては柔らかさすら感じさせる。


【……よかろう……貴様が我を呼び覚ましたその覚悟、見せてもらおうではないか……】


クロヴィスの言葉とともに、その巨体が白狼公ガルディウスに向けて動き出した。

リオトとベルノスはその背中を見送りながら、何か冷たい恐怖が背筋を走るのを感じた。


森の生気が次々に奪われ、クロヴィスが歩むたびに木々が枯れ果てていく。

冷たい風と雷鳴らいめいが響き渡り、その場は完全に支配された。


クロヴィスはガルディウスに視線を向け、彼を見定めると、ゆっくりと口を開いた。


【ほう......懐かしきかな......古き森の番人ではないか。いつ見ても神に愛されるにふさわしいうつくしきけものよ......。悲しきかな、強大な力を持つものはいつも、孤立する。絶望を知らぬ白狼よ......ゆるしをえ。もし我が召喚主に従うのであれば、その魂は救おう】


『邪神といったか?……ありえぬ!世界に容易く神が降臨してよいはずがない!』


ガルディウスが声を震わせて叫ぶが、クロヴィスは冷たく答えた。


【現に我はここにおるが?】


『神罰が与えられるぞ!』


【クハッ、神罰か?……神罰か


……笑止。神罰を受け、我は邪神となったのだ。わかるか、狼よ?】


ガルディウスは全身の毛を逆立て、リオトに向かって怒りに震える声で叫んだ。


『貴様、人間!よくも、このような化け物を召喚したな!世界を恐怖に落としめるつもりか!このようなことが許されると思うのか!』


クロヴィスはその言葉に冷笑を浮かべ、ゆっくりと振り返り、流し目でリオトを見やる。


リオトはその背中から放たれる冷たいオーラに身震いしながらも、クロヴィスの答えを待つ。


クロヴィスは冷たく、しかし重々しく答えた。


【おかしなことを言うな、狼よ。貴様も知っていよう?なぜこの世界に異界の者が現れているのかを……】


ガルディウスの瞳が一瞬揺れ動いた。

彼の鋭い眼差しが、疑念と不安を抱えたままリオトに向けられた。


リオトは話の流れがわからなかった。だが、この話は聞いておかねばならないと感じた。


おそらくは、ベルノスよりも上位のユニットである彼らは、ベルノスに啓示を与えた『神』に接触している可能性が高い。


それも、ただの上位ではない、どちらも神を知っており、方や名に神をもつのだ。


『……まさか、の神か……?』


その言葉に、クロヴィスは微笑みもせず、淡々とした口調で続けた。


【......問答はここまでだ。リオトよ、時間がない。早く終わらせるぞ】


リオトは心の中で冷たい汗をかきながらも、静かに頷いた。


「......はい、クロヴィス様。どうかお力を貸してください!」


クロヴィスはその答えを受け、軽く頭を動かした。


【よかろう……白狼よ、貴様の力、見極めさせてもらおう。我が滅びし腕にふさわしい相手だ。……さあ、終焉しゅうえんへと向かおう。勇者よ、絶望をその目で見届けよ。すべてを消し、すべてを無にかえす!】


クロヴィスは片手を高く掲げ、空に黒紫の雷が集まっていく。


リオトとベルノスはその光景に息を呑みながらも、クロヴィスの圧倒的な力を実感していた。


彼がその力を行使するたびに、空気が変わり、世界がねじ曲がるような感覚が走る。


「ベルノス、こちらに……!」


リオトは焦りを隠せない声で叫んだ。緊迫した空気が二人を包み、リオトの指示に反応したベルノスは、本能的に危機を察知し、すぐさまリオトの側に駆け寄った。

彼の表情には恐怖と覚悟が入り混じっていた。


そして、始まる。


神の祝詞呪いが―――



【―――虚無の深淵よ、無限の闇より生まれし雷神の力よ、今ここに現れ、すべてを滅ぼせ。混沌の中に絶望を、虚空の中に破滅を――我が名に応じ、力を与えよ――】



空気がピリピリと肌を刺すような冷たさを帯び、クロヴィスが巨大な両刃の槍を振りかざす。


雷が槍にまとわりつき、

その周囲の空間がねじれたように歪む。


クロヴィスの動きはゆっくりだが、その一撃には圧倒的な破壊力が宿っていた。


そして、彼がその槍を高く振り上げ、冷徹な視線を大地に落とすと、静寂を破るように低く、重々しい声で叫んだ。

 


――――――――【滅雷槍めつらいそう!】



次の瞬間――黒紫の雷が空間を裂くようにして走り抜けた。



まるで空気が裂ける音が響き、


大地は何の前触れもなく、


無差別にえぐり取られていく。


だが、その雷のうち一本だけが、鋭い意志を持っていたかのように、明確な目的を持って一直線に進んでいく。


唯一、その雷が直撃したのは――



『グゥォオオオオオオアアアアアア!』



白狼公ガルディウス――圧倒的な力を誇る森の守護者だった。


ガルディウスの巨体は雷に貫かれ、その体が震え、毛皮が焦げ付き、声が大地に響き渡る。


痛みと怒りがその叫び声に滲んでいたが、彼の体はもう限界に近づいていた。


大地は再び静けさを取り戻し、ガルディウスの体から立ち上る煙が、闇に包まれた森に重々しく漂っていた。

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