第1話 ある街の出来事
「いやあああああああ!」
太陽はまぶしいほどに輝き、人々が行き交う都会に着いて間もないころ。
今、大きめの白いイノシシに少年と少女は追いかけられていた。
「あはははは! おもしろーい!」
「笑ってる場合じゃないでしょ! もう、チョーくんの大バカー!」
ビルがたくさん立ち並ぶ都会を走る中、周りの人々は道を開けるように避けていく。人々は驚いた顔で、少年と少女の様子を凝視していた。
――ちょっとあの子たち追いかけられてない?
――てかあの追いかけてるの、シロイノシシじゃね?
――なんだか楽しそうね。
ざわざわと聞こえるか聞こえないかぐらいの声が少年の耳に入ってくる。
後ろを何回かチラ見すると、通称、シロイノシシは怒りに満ちた顔でこちらへと襲ってくる。
普通のイノシシは色が茶色だと誰もが思うだろう。だがあれは、普通の動物とはちょっと違う特殊な動物なのだ。
「おお、あっちもなんだか楽しそうだなあ。あの魔物と友達になれるかな、えへへ。あー!」
なぜ、こんなことになったのか少年は分からない。でも、なんだかとっても楽しかったので彼は笑顔を見せながら突っ走っていく。
視界の先にあるものを発見し、少年は思わず声を上げてしまう。
「ど、どうしたのチョーくん。もしかして、さっきの魔物に襲われて――」
「見て見てアリサ! あの雲、ボールみたいにすごく丸いよ!」
指さした空の向こうには、少年が言った通りに見事に丸い形をした雲が山の向こう側に浮かんでいた。
少年の言葉に反応した少女がこけそうになるほどよろめくが、すぐさま体勢を立て直す。
「紛らわしいよ! あう、都会についてから早々これだよ……もっと注意を呼びかけるべきだった……」
少女はがっくりと肩を落とし、ため息をつく。腰まで届く長い髪を振り乱しながら、せっせと足を運んでいる。
「アリサ? んー……ま、いいか!」
彼女がこんな表情をしているのかよく分からなかったが少年は気にしないことにした。
「ぶほおおおおおお!」
シロイノシシの雄叫びが、こちらの耳にきんきんするほど伝わる。
思わず反応し、少年は速度をどんどんあげていく。
「って、まだあの魔物興奮してるよ!」
「いいかげんちょっと疲れちゃったかなー。アリサもなんだか困ってるし、そろそろ終わらせちゃおっと。アリサ!」
アリサと呼んだ少女の右手を、少年は左手でぎゅっと離さずに掴む。
「きゃっ!」
彼女の手を引きながら、少年は愉快そうに笑いだす。
「あはははは! アリサ、都会ってすごく楽しいところなんだね!」
「もう、こんなハプニングなんてこりごりだよー!」
少女の不満のある叫びが都会中に響き渡るのだった。
○
青い。空には雲ひとつなかった。ただ青い空は、先が見えないほどに広がっている。
公園にはいくつもの人が行き交う。少年は、鼻歌を歌いながら芝生の上で立ち止まる。
ついに着いた。そんなことを思い、少年は小さいながら両手で握りこぶしを作る。胸の前に置き、息を大きく吸い込む。体を震わせながら次の瞬間。
「着いたあああああああ!」
今までの長い時間から開放される喜びと共に、公園で少年は両手をばんざいさせた。
少年の声に反応したのか、何人かがこちらを見つめている。女性たちは、ぼそぼそと何か呟きにやにやしている。少年はなにを話しているのか耳に神経を集中させた。
――ねえねえ、あの子すごく可愛くない?
――えー、あれ男の子?
――可愛い~。なんかなでなでしたくなっちゃうかも。
そんな声が少年の耳に入ってくる。可愛いなど、故郷ではよく言われるので慣れている。少年は女性たちに笑顔で手を振った。また女性たちは可愛いーと叫び、興奮している。
少年の年齢は今年で十二歳。
日光に反射している金髪は輝いている。青色の瞳は生き生きとしている。
パーカーに半ズボンの服装は少年らしい。父親譲りの透き通るような白い肌に、中性的な顔立ちから、周りに女の子と勘違いされることは日常茶飯事。
少年、
遠くを見ると、高さがばらばらの高層ビルらが窓の光を反射させ、立ち並んでいる。交差点には迷子になりそうなほど、多くの人間が歩いている。もっと遠くを見ると、白く染まった山が見える。
長多郎は今まで、こんな大きな都会には来たことがない。見るだけで圧巻させられてしまう。
「もう、チョーくん!」
ひと通り、景色を見終えると後ろから女の子の声が響く。長多郎はあっと気付き、くるんと後ろを振り返る。
そこには、長多郎と同い年の少女が立っていた。
ちょっと暗めの茶髪は、腰まで届くほど長い髪をしている。頭にはリボンの付いた赤いカチューシャをしている。
赤と黒を基調とした服とミニスカート。
化粧がいらないほど整った美しい顔立ち、栗色の瞳は綺麗な色をしている。
長多郎の幼なじみ、
「先に行こうとしちゃだめでしょ! すぐに動き出すと止まらないんだから」
「アリサ、アリサ! 見てみて、ビルがいっぱい並んでるよ!」
「って、聞いてないし」
長多郎は初めての都会に、興奮しビルを指さす。
「長かったなー、三日間の乗船。この日が来るまで夜も眠れずにずっとわくわくしてたよー」
「ピクニックじゃあるまいし……もしかしてチョーくん。まさかとは思うけど、朝なかなか起きなかったのも、そのせいとか言わないよね?」
「いやー、あまりに眠れなかったものだからずっとゲームやってたんだー」
そう言って、長多郎はポーチをぺたぺたと触る。直接触れなくても分かる硬い感触が伝わってくる。ポーチの中には携帯ゲーム機など、いろいろなものを詰め込んでいる。
「もう、夜更かしはあれだけだめって言ったでしょ?」
「大丈夫だもん、今すごい元気だし!」
呆れた顔をしながら、アリサは手で頭をおさえていた。
「はぁ、本当に今日大丈夫かな……さっきは魔物に追いかけられるし災難だよ……」
この世界には、普通の動物より危険指定されている存在がいる。それが魔物という凶暴なモンスターだ。先ほどの巨大な白イノシシも魔物の類だ。
さっきはイノシシの魔物に追いかけられたが、なんとか逃げることができた。街に到着する前、とある森の中で長多郎が興奮させるようなことをして暴れたのだ。
イノシシが、今どこにいるのか検討もつかなかった。しかし、そんなことはどうでもよくなり長多郎は早く目的地へ行きたかった。
「アリサ、早く行こうよ! 目的地まで後少しー――」
「だから教えてや! その伝説の医者がどこにいるのか!」
アリサの言葉を遮り、どこからか一人の少女の訛った声が響き渡る。
その声に、長多郎は思わず分からずに首を傾げてしまう。
あの声は一体どこからか聞こえてきたのだろうか。そう思いながら、きょろきょろと額に手を当てながら探す。すると、一つの光景が目に移る。
「ですから、私にはその伝説の医者がどこにいるかよく分からなくて……」
後ろを振り返るとそこには、大きな病院が建てられている。
その入口には、一人の少女と白衣を着た三十代くらいの医者がなにやら揉めあっている。
「あの人、どうしたんだろうねアリサ」
「あの女の人、なんか怒っているみたいだけど……気になるの? チョーくん」
「気になる! なんか事件の匂いがぷんぷんするっていうか!」
「あの人たちに話、聞きに行ってみる?」
「うん! じゃあ、レッツゴー!」
一歩足を前に出そうとしたその瞬間、アリサが突然長多郎の男とは思えない華奢な肩を軽く掴まれる。顔をくるりと向けるとアリサがちょっと待って、と呼び止められる。
「チョーくん、分かってると思うけど最初は、こんにちは、からだよ?」
「むー、ぼくを子供扱いしてるでしょアリサ」
「こうでも言わないと、チョーくんはいつまでも子供のままなんだから。って、チョーくんと私はまだ小学六年生の子供でしょ」
納得して、長多郎は拳に手のひらをぽん、と置く。
「あはは、そうだった! じゃあ、行こ!」
「くれぐれも迷惑のないように、だよ」
「分かってるって!」
アリサを後ろに、長多郎はあの二人の元へと近づいていく。やはり、なにか揉めあっている様子で少女は血相を変えながらその場を立ち去ろうとしていた。
「もうええ! 他の医者を探す!」
「あ、ちょっと!」
医者が止めようとしたのを無視して、少女はついにその場から全力疾走で立ち去ってしまう。
数秒後には、ちらっと見ていく人々の人混みに紛れながら姿が見えなくなってしまう。
めんどくさそうな表情をしながら、医者は一つのため息を吐く。
「お医者さん、こんにちは!」
「……おや? ああ、こんにちは。もしかして、診察を受けに来たのかい?」
「違うよ。さっき、あのお姉さんとお医者さんがどうして揉めあってたのかなーって思ってね。よかったら、お話聞かせて! どうして、あのお姉さん怒ってたの?」
医者は言いにくそうに、目を逸らしていたが仕方ないか、と口からそんな言葉を漏らす。しばらくしたあと、長多郎のほうを見つめていた。
「実は彼女、弟さんが病気でね。それで、その病気を治せる伝説の医者がどこにいるのかって教えてくれと言われてね。でも、私にはその伝説の医者が今どこでなにしているのか見当もつかないんだ」
「その伝説の医者ってなんですか?」
アリサが長多郎の後ろから顔を覗かせ、質問した。
「この街には、どんな病気も治す伝説の医者がいるんだ。どうやら彼女は、その伝説の医者に弟さんの病気を治させるつもりだったらしい」
「その病気、お医者さんじゃ治せないの?」
「はは、どうやら私じゃ治すことができないって彼女から言われてしまってね。だから、弟さんの病気がどんなものか知らないんだ」
困り顔を見せながら、頭を掻いている医者。
「そうだったんだ……ありがとうお医者さん! それにしても、あのお姉さんはどこに行ったのかな?」
「おそらく、この先にある第二公園のほうにいったんじゃないかな」
「じゃあ、そこに行けばあのお姉さんに会えるってことだね! アリサ、はやくあのお姉さんに会いに……あーっ!」
「どうしたの、チョーくん」
ある事を思い出し、長多郎は一つの視線に釘付けになってしまう。そうだ、あれを忘れていた。長多郎は、アリサに笑顔を見せながら公園に出店しているホットドッグ店を指差した。
「アリサ! あそこのホットドッグ買って!」
「あはは……そう言うと思ったよ」
ため息混じりのアリサの声は、どこか残念そうな表情をしていた。
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