File04:ルヴド王子誘拐・暗殺事件

●概要

この項は、当時の国王であるニシャリー王の長男、ルヴド王子にまつわる事件をまとめたものである。

ルヴド王子は王歴982年の生誕直後に誘拐され、3か月後に国王の元に戻られた。

しかし999年、当時18歳だったルヴド王子は、何者かによって暗殺された。


王国を揺るがすほどの大事件でありながら、誘拐犯・暗殺犯ともに特定されておらず、未解決となっている。

なお、ニシャリー国王の没後、王位は次男であるシャリー王子が受け継がれた。


●ルヴド王子誘拐事件

王歴982年1月1日、ニシャリー国王の長男として、ルヴド王子が誕生された。

出産は伝統通り、王城にある一室、「王のゆりかご」にて行われた。

王子は王のゆりかご内にある清めの噴水にてお体を清められる予定であったが、給水機構の不具合により、噴水から十分な量の聖水が得られなかった。

このため司祭は4人の護衛を伴い、王子を抱いて王城の地下に行き、聖水を直接使用することにした。


この間、国王は疲労した女王に付き添っていた。

しかし、王子や司祭たちが中々戻らなかったため、側近に地下への確認を命じた。

側近は地下の聖水域に続く階段で、司祭ならびに4人の護衛が死亡しているのを発見。

現場にはルヴド王子のお姿が確認できなかった。

すぐさま国王に報告し、付近の捜索および警戒が行われた。


捜索は王城から王都、周囲の山々などに拡大し、2か月以上続いた。

この捜索で、ルヴド王子を発見することはできなかった。


3月20日、王城に誘拐犯と思われる人物から手紙が届く。

内容は以下の通り。


『王子を返してほしくば、金500を用意しろ』


なお、手紙には受け渡しの日時や方法は記されていなかった。

国王は要求通り、金貨500枚を準備したという。


4月1日の未明、王城の入り口で、毛布にくるまり籠に入れられたルヴド王子が発見された。

見張りが交代する、ほんのわずかな時間に置き去りにされたと思われる。

籠には手紙が入っており、内容は以下の通り。


『大変なことをして、ごめんなさい。金はいりません。王子を返します』


国王並びに女王は大変喜び、その日中に王子の清めと生誕にまつわる儀式を行った。

王子のご帰還は国中に知らされ、ちょうど3ヵ月遅れで、王子の生誕祭が行われた。


●ルヴド王子の王位継承権問題

ニシャリー国王や女王、多くの国民はルヴド王子のご帰還を喜ばしく思っていた。

しかし、王立教会の上層部や一部の側近は、王子の王位継承権について、懐疑的な考えを示した。

その根拠として、ルヴド王子は生誕直後にお清めを受けておらず、3ヶ月もの間を生身で世に晒されたことが主にあげられる。

また、誘拐されている間に不浄を口にしていないとは断言できず、最初に口にしたものも女王の聖母乳ではないという点が大きかった。


このため、特に王位を神聖視する立場の者から、ルヴド王子の王位継承権をはく奪すべしという考えが広がった。


このほか、ご出産に立ち会った従者によると、出生直後とご帰還後で、王子の髪色やお顔立ちが違う、という噂もある。

ただし、生まれたばかりと3か月後では、成長により見た目も大きく異なるのが一般的である。


これらも含め、王位継承権のはく奪や陰ながら囁かれた「別人説」については、不敬罪に当たるとして公にはならなかった。


●ルヴド王子暗殺事件

998年の冬、ニシャリー国王が病により体調を崩され、床に伏すことが多くなった。

国民は覚悟を余儀なくされたという。

999年の3月に入り、ニシャリー国王がいよいよ自室からお姿を出すことがなくなり、ルヴド王子の王位継承が目前となる。

しかし4月1日の朝、ルヴド王子が朝食をとっていると突然多量の血を吐き、その場で絶命が確認された。

後にネズミを用いた検証で、王子のスープからは致死量を超える量の毒物が混入されていたことが判明した。

なお、当時は毒物の詳細を同定する文化がなく、毒性の由来などは今なおわかっていない。


ルヴド王子の暗殺を受けて、国内は大きな混乱に悩まされた。

当初、体調のすぐれないニシャリー国王へは王子の死を伝えない意向であった。

しかし城内の混乱を感じ取った国王が側近を問い詰め、事実を知ることになった。


これをきっかけとして、ニシャリー国王は4月3日より公務に復帰された。

国王の崩御と王子の暗殺が重なっては、国の存亡にかかわると判断されたためだった。

当時の書記官による公務記録には、ニシャリー国王の様子について次のように書かれている。


『国王はやせ細った体に鞭を打ち、かすれた声で公務を続けられた。その姿はどこまでも気高く、気丈であった。しかし、やはり王子を失ったのがお辛いのか、公務中にも頻繁に涙を流されていた』


なお、ニシャリー国王は王子暗殺事件の犯人追及を禁じた。

継承権の問題があったとはいえ、次期国王候補とされる王子の暗殺に対して捜査を禁じることに、強い疑問があがったと当時の記録に残っている。

しかし、当時は

・コック

・毒見

・給仕係

・近衛兵

・側近

など、王子の朝食に携わる者や周囲のものを、軒並み処刑すべしという過激派が多数存在したのも事実である。

これに対して国王は、王族に使えるものが一度に入れ替わるのはより大きな混乱を招く結果になる、とお考えになった。

こうした背景から、ルヴド王子暗殺事件は国王勅命の元、王国最大の未解決事件となった。


その後、ニシャリー国王はお亡くなりになる999年12月28日の当日まで、公務をお続けになった。

ニシャリー国王は28日の夕刻、王座にて息を引き取られた。

最後まで公務をお続けになったのは、国王の意向だったという。

また、ニシャリー国王が息を引き取る直前になされた公務は、第二王子であるシャリー王子のご子息、すなわち国王の初孫の命名であった。


アソルヴド王国国民はニシャリー国王が亡くなってからの3日間を、敬意を示す日として、しめやかに過ごした。

王歴1000年1月1日、ニシャリー国王の第二王子シャリー王子が、アソルヴド王国の王位を継承した。


●事件の影響

・ルヴド王子の誘拐直後、王のゆりかごを管理していた王宮技師は、清めの噴水による不具合が事の発端であるとして重い責任を感じ、事件直後に自殺している

・またルヴド王子にスープを運んだ給仕も責任を感じて自殺未遂を起こしているが、女王自ら直接お話になり、思いとどまらせている

・後年、一連の出来事を通じて料理人の間で「ルヴド王子に誓う」という言い回しが見られるようになった

・これは食事で体調を崩した人などがいた場合、毒を入れていないことや意図的に悪いものを食べさせたわけではないことを、心から誓う言葉として現在でもたびたび使われている

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