File02:炭焼き小屋死体遺棄事件
●概要
王歴1910年3月、王都ペディング西の山中にある炭焼き小屋から、多数の遺体が発見された。
被害者は8人の子供(3~12歳前後)であり、全員が生きたまま、小さな箱に入れて放置されたものと思われる。
現在に至るまで、被害者全員の身元ならびに犯人の特定には至っていない。
●事件の発覚
王都ペディングの西は、今なお深い山林が広がっている。
従来、この地は林業や炭の生産拠点として利用されていた。
しかし、1800年代後半に魔法の発達で良質な炭を安定供給できるようになってからは、各作業拠点が放棄されるようになった。
1900年に入り、安全面や防犯面などから、こうした廃墟を王国管理の元解体する動きが進んだ。
1910年3月、山林の中腹にある炭焼き小屋の解体作業が開始された。
作業は順調に進んだが、地上部分の解体がほぼ完了した際、作業員が地下へと続く入り口を発見。
中は石造りの小部屋になっており、壁際に8つの木箱が積まれてれていた。
現場に居合わせた数名の作業員で木箱の1つを開封したところ、中からミイラ化した遺体が発見された。
ただちに王国軍治安維持部隊に通報され、隊員による現場検証が開始。
残る7つの木箱にも同様に、1体ずつミイラ化した子供の遺体を確認した。
●遺体の状況
見つかった8つの遺体は、いずれも木箱に入れられ、ミイラ化した状態であった。
被害者は全員、衣服を着用していなかった。
死亡した時期の判断は困難を極め、十数年から数十年経っているとみられる。
なお、木箱の内壁にはひっかき傷や糞尿の跡などがあったことから、箱に入れられた時点では生きており意識もあったことがうかがえる。
また、8つの木箱はサイズがすべて異なり、「全長・横幅・深さ」がそれぞれ、「遺体の身長・肩幅・頭蓋骨」とほぼ同じ大きさに合わせて作られていた。
このため、被害者は箱の中で寝返りを打つことはもちろん、手で自身の顔に触れることすら不可能であったと思われる。
木箱は、一般に用いられるものよりもはるかに多い本数の釘で留められており、大人であっても工具を用い、数人がかりでないと開けることは困難だったという。
さらに、木箱の外面、遺体の足側に当たる短側面には番号が彫られていた。
この数字は、被害者の年齢(箱に入れられた当時のもの)ではないかと考えられている。
木箱の数字は3~12の内、4と9以外である。
また、木箱は地下室の中で、3段重ねに積まれていた。
最初の遺体発見が地下室から木箱を運び出した後だったため、詰まれた詳細な順序は定かではない。
ただし、当時の作業員への聞き取り調査で、「不安定な詰まれ方ではなかった」と証言されていることから、数字の大きな木箱を下段に、番号が若くなるほど上に積んでいたものと思われる。
なお、10番の木箱にのみ、遺体の背面部分に小さな穴が開いていた。
内部の遺体は右手の人差し指が大きく損傷しており、穴の周囲に血痕や糞尿の跡が著しいことなどから、体液で木を柔らかくし、必死にひっかいて脱出を試みたものと思われる。
しかし、作業員の証言が正しければ、10番の木箱は一番下の段に置かれており、ようやく穴をあけて人差し指が触れたのは、硬い石の床だった可能性が高い。
当時の状況を報じたノレスエルト新聞には、『10番の遺体がもっとも「恨みのこもった表情」でミイラ化していた』と書かれている。
※ただし、表情については誰が証言したのか明らかにされておらず、センセーショナルに報じるための誇大表現ではないかとの意見もある。
犯行の年代が不明瞭なこともあり、被害者は全員、身元が特定できていない。
遺体にはわずかな魔力残差反応が見られたが、直接的な魔力紋は検出されず、「魔法が使用されている空間に、長期的に晒された可能性がある」という程度しかわかっていない。
これについて王立魔法研究院は、山中の地下という比較的湿度の高い空間で遺体がミイラ化するのは難しいとして、「地下室そのものに乾燥を促す魔法が使われていた可能性がある」という見解を示している。
ただし、現場となった炭焼き小屋の地下室は王立治安維持部隊と解体作業員との行き違いから、事件発覚直後に撤去・埋め立てによって失われている。
このため、地下室にどのような魔法が施されていたかを分析することは不可能となった。
●犯人像と動機
事件発覚当初、炭焼き小屋の主であるペーター・ウィラー(すでに病死)に疑惑がかかった。
しかし、ペーターは1860年に情勢と高齢から炭焼き師を引退。
1871年に病死するまで、王都にある息子夫婦の家で過ごしていた。
ひざが悪かったこともあり、子供とはいえ人の入った木箱を運搬しながらの登山は不可能であったと考えられている。
このほか、現場からは犯人に繋がるものが一切見つからず、犯行年代が不明なことからも、犯人像は想像の域を出ていない。
ただし、
・炭焼き小屋から地下室へははしごで上り下りすること
・出入り口が非常に狭く、もっとも大きな12番の木箱の出し入れがかなり困難なこと
などから複数犯とみる説が有力である。
ノレスエルト新聞はこの事件の動機について、被害者を身動きができないように閉じ込めたこと、そのうえでミイラ化させたこと、年齢ごとの遺体をそろえようとしていた(と思われる)ことなどから、「何らかの儀式的な目的があったのではないか」という見方を示している。
一方でユロストジャーナルは、「王都のルドー孤児院が1884年の閉鎖に伴い、収容していた子供達を隠蔽した」という独自の考えを公表した。
これについて王国は、閉鎖の際にルドー孤児院から全収容者の報告(里親の情報等)を受けているとして、明確に否定している。
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