手記24 告発準備
2000年。時効成立が迫っていた。私はだんだん焦ってきた。もちろん私は一未遂被害者に過ぎないので、その焦りも時効を間近にした遺族の心情に及ばないことはわかる。でも遺族は犯人を知らないが、私は犯人を知っている。
私は今度はついに、自分のしりえたことをマスコミに垂れ込もうと決断した。そのことで自分の身を再び危険にさらすことになるが、仕方がないと覚悟を決めた。
その頃はパソコンは持たず、ワープロ専用機しか所有していなかった。ワープロで原稿用紙およそ60枚に及ぶレポートを書き上げて、プリントアウトし、地元中日新聞を始めとする主要マスコミ10社ほどに、私の実名実住所を記載し郵送した(容疑者の氏名はこの際も匿名にした)。
1999年10月号の新潮社の雑誌ではMというライターが妊婦事件を取材して記事を書いていた。氏の記事はのちに新潮文庫にも収録される。そのM氏にもリポートを送った。
だが取材に動いてくれるところは、見事に一社もなかった。
大決断して送ったレポートなのに、ひどく拍子抜けした。
さてわが国にインターネットの普及が始まったのは、1995年のことだ。私はインターネットなるものについて仄聞してはいたが、自分でパソコンを買い求め利用してみようとは思い及ばなかった。
1999年頃、中日新聞を読むと、小さな記事だが、「東芝クレーマー事件」なるものが報道されていた。マスコミが取り上げない事案を被害者がネット告発し、ネットが大騒ぎすることで、結果マスコミまで動かすところになった有名事件。
これに触発されて、私もネット告発に踏み込んでみては、と思いついた。
当時はインターネットの黎明期で、パソコンのような新しいテクノロジーを使いこなせるのは、若くて頭脳の柔軟な若者に限ると思われていた。
すでにアラフォーになっていた私は、パソコンのみならず、ホームページ作成なんてワザが、自分に出来るかどうか大いに疑問だった。
当時安くても10万円以上はしたパソコン。せっかく買い求めても、使いこなせずお手上げになってしまうかも。
迷ったが、それでも思い切って小遣いをはたいて、近所の電器店でノートパソコンを買ってきた。
パソコンは実際に手にしてみると、予想外にやさしいし、また楽しかった。
私は、マスコミに郵送したレポートを元に、ホームページ作成ソフトで告発サイトを作り上げ、Yahooジオシティーズにこれをアップロードした。
2001年新年早々のことだった。
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