手記23 1995年
A家が怯えていると知ったあとも、やはりなお私は怖くて夜道を歩けない状態が続いた。
そして1995年、さらに一つの罠をA家に仕掛けることを思いついた。それによって事件を新局面に進めることができないかと考えた。いや単に新局面だけでなく、最終的には自首まで、、、。
だがこれも失敗に終わった。
しかしながらそれを実行した結果、次男が妊婦殺しの真犯人であるという確信を深めることになったし、またA家をさらに警戒させることには成功した。 どんな罠かは、被害者遺族の方にも関わることなので、遺族の承諾がなければ公表することができない。
被害者の夫はこの頃すでに事件現場のアパートを引き払い、愛息とともに関東に移っていた。
だが、夫の実家は愛知県内にあった。
事件発生が報道されたとき、中日新聞記事には実家の住所も町名までなら記載されていた。それを私は憶えていた。まだ個人情報に関してうるさい時代ではなかった。だから図書館で中日新聞の縮刷版を当たるなどすれば、実家の詳しい住所や電話番号を簡単に割り出すことができた。
さて夫は1999年に愛息と共にハワイへ移住したという。私でなくとも、ハワイでの夫の現在の連絡先をネットで調べるのは簡単。ネット上に公開されているからだ。だが私自身は、いろいろ複雑な思いがあり、夫に連絡をとろうとは、少なくとも今のところは思わない。
そのいろいろな思いの一つは、のちに書く。
ともあれ未遂被害から5年が過ぎると、さすがの私も、夜道が怖くて歩けないという状態からは脱することができた。
A家とは、とにかくご近所なので、その後もある程度は接触せざるを得なかった。次男が真犯人だという確信は、その度ごとに深まっていくが、些細なエピソードばかりなので割愛する。
いや、一つだけ書いておこうか。
ある日、男の母親が近所の人を呼び集めて言う。
なんでも、昨日だが見知らぬ男が現れて、「息子さんが交通事故を起こした。相手方の車の修理代金支払いに3万円要る。息子さんはいま手元不如意なので、お母さんにもらって来てくれないかと、私が頼まれて来た」と言ったそうだ。母親はあっさり信じて3万円渡したが、帰宅した息子(長男)に「交通事故なんて起こしていない。金なんか頼んどらんぞ!」と怒られたのだという。
詐欺にあったのが、よほど悔しかったらしい。大騒ぎだ。集まった近所の人たちは「そりゃすぐに警察に届けないかん」と口々に言うが、母親は「警察に言ってもさあーっと逃げちゃうから捕まらんわー」と答える。
聞いていた私の母は「お宅の次男がひと殺して逃げてるんだから、3万円の詐欺ぐらいで警察呼べんわねー」と言いたかったが、もちろん黙っていた。
帰宅した母に話を聞いた私は、中川警察署妊婦事件捜査当局宛に告発状を書いて送った。
「こちらの容疑者となっている男の母親が詐欺にあったそうです。他でも被害が出るかも知れないので、すみやかに捜査してください。」
数日後、警察から(妊婦事件担当刑事と確認)私へ電話があった。A家の母親のところまで出向いて詐欺事件について事情聴取を行った、という簡単な報告だった。
自分が呼んでもいないのに警察が現れたので「すわ、次男の逮捕に来たか」と母親はきっと胆を冷やしたことだろう。
次男と顔が瓜二つの母親をおちょくってやって、私は少しだけ溜飲が下がった。
父親は亡くなって、兄も兄嫁も男本人も世間の目に怯えているのに、母親一人だけは相変わらずふてぶてしいのだ。
1980年に名古屋女子大生誘拐殺人事件というのが起きている。舞台は私の家の近所の戸田駅だ。
地元有名女子大の学生が、中日新聞の「家庭教師請け負います」コーナーに氏名と電話番号を投稿。寿司店員Kは家庭教師の依頼と偽って、女性を戸田駅まで誘いだし、誘拐殺害後、木曽川に死体を投棄。家族に身代金を要求した。
私の家にも刑事が聞き込みに来た。ほどなく犯人は逮捕され、裁判で死刑が確定。死刑は執行済みだ。
Kの母親は、息子が女性を投棄した木曽川河畔に地蔵尊を建立。女性の冥福を祈り、息子の罪を謝罪するために、祥月命日ごとにひそかに地蔵にお参りしていたという。
切ない母心で、聞けばこちらまで悲しくなってくる。
それに比べて、妊婦事件の犯人の母親はどうだろう。息子が若い女性を惨殺していても、平気な顔で近所に住み、のうのうと暮らしを続けていたのだ。
許せないと思う。
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