第6話 王子への道


 王子への道が、開けてゆきつつあります。

 デンテファーグは、貴族の若い恋人たち、フィオラとモルソンと良好な関係を続けていました。二人はいずれ結婚することでしょう。めでたくも、心強いことでした。

 それなりに貴族社会での人脈を広げていたデンテファーグでしたが、知り合いになった貴族たちは、低い身分の者ばかりでした。残念ながら、必要とする伝手つてにはまだまだ足りません。

 「王への謁見えっけん

 そして

 「王子になる」

 という目標には、もっと位の高い貴族を探す必要がありました。

 あるとき、モルソンから、彼の親戚しんせきにジュインディ三爵さんしゃく(三爵は地球でいうところの伯爵はくしゃくにあたる位。伯爵という言い方をされることもあるようです)という男がいると教えられました。

「遠い親戚だけれど、ジュインディ三爵とはほとんど他人だ。それでも噂がほんの少し耳に入ってきたよ」

 とモルソンは言いました。

領地拡大りょうちかくだいを狙っているらしいよ。そのためにあこぎな金儲かねもうけをして、王に何かしらの実績じっせきを見せたいと考えているそうだ。もしデンテファーグの役に立ちそうなら、もう少しくわしく教えられるけど、どうする?」

 デンテファーグは、モルソンの情報をありがたく受け取りました。そしてジュインディに接近してみることにしました。

 彼女はジュインディ三爵に手柄てがらを与えることで、王までの道を開こうと考えたのです。ジュインディが実績をほしがっているなら、自分がそれを与えればいい。

 そこでロリアムジアに相談しました。

「ジュインディの部下がラダパスホルン王国にひそむスパイを捕らえたとしたら、立派な実績になるのではないか?」

 ロリアムジアは冷静に答えました。

「そうだな。スパイ捕縛ほばくは、実績になる。だが、スパイがいなければ捕まえようがない」

「スパイはいるはずだ」

 とデンテファーグは断言しました。

「しかも、いる場所に心当たりもある」

 この言葉に、ロリアムジアはおどろきの表情を浮かべ、デンテファーグの持つ紫革むらさきがわの本に視線を移しました。

「キミ、いったいどうやってそんな情報を知った? その本か?」

「そうだよ」

 とだけ、デンテファーグは答えました。

 デンテファーグの手元にある「紫革しかく紙面しめん」と名付けたその本は、大きな秘密があるようです。デンテファーグが『すべてが書かれた本』と呼んだことがあるのをロリアムジアは覚えています。

 なにをもって「すべて」なのかはわからないものの、誰も持たない知識が得られる本のようでした。

 ロリアムジアは以前、その本に魔力を込める手伝いをした際に、「決して開けてはならない」と告げられたことを思い出しました。しかも作業中、デンテファーグは彼女の目の前でずっと見ていました。中を見られたくないのでしょう。

「なるほど。よほどのことが書かれていると見えるな」

 とロリアムジアは感心し、興味津々きょうみしんしんな表情で続けました。

「知りたいぞ、デンテファーグ」

「いや、見せるつもりはないから」

 とデンテファーグは一笑いっしょうに付しました。

「そうだろうな。キミはたとえ金貨一万枚を積まれても見せないだろうね」

「その通り」

 と、デンテファーグはそっけなく返しました。金で秘密を明かすことはないのでした。

 ロリアムジアは少し肩をすくめた後、提案しました。

「じゃあ、こうしよう。次に魔法の品物を作り出す依頼があったときは、無料で引き受ける。だから、少しだけでも聞かせてくれ。話せることも、あるだろう?」

 物品には金、という信条しんじょうくずしました。並々なみなみならぬ好奇心を彼女なりに示したのでしょう。

 デンテファーグはしばらく考えた後、ロリアムジアに向きなおって言いました。

「わかった。君にだから話そう。けれども、他言無用たごんむようだよ」

「まかせておけ。ロリアムジアは口がかたい」

 デンテファーグは「紫革紙面」について、次のように説明しました。

「この本は、地球で手に入れたものだ。ただ、私には、地球での記憶がほとんど残っていない」

 ロリアムジアが小さく言います。

「ふむ。聞こえし異世界渡りの影響か。肉体はこの世界に順応じゅんおうするが、一部の能力を欠損けっそんするという……」

「だろうね。だから地球でどうやって手に入れたか、わからない。とはいえこの本には、こちらの世界で私がすべきことや、地球で準備すべきことがすべて記されているんだ。細かい部分は自分でおぎなっているけれどね」

 ロリアムジアは、おどろきに瞳を揺らめかせ、話に聞き入っていました。

「キミのすべきことが、すべて書かれている……そんなことがあるのか」

「あるんだ、説明はできないけれどね。さらに、この世界のあらゆる知識が百科事典ひゃっかじてんくらいまっている。ページ数をはるかにえる量の情報が入っているから、おそらく魔法で圧縮されたものだ」

 その言葉に続けて、百科事典についてデンテファーグはかんたんに説明を加えました。この世の物体や現象のあらゆる項目を、文字の順に解説を並べた本。

「なるほど。イメージとしては一国の図書館を持ち歩いているようなものだな」

「うん、いいたとえだね」

 つづけてロリアムジアは真剣な顔で、

「魔法については? ラダパスホルンの文字は?」

 と聞きました。

「魔法があることはわかっていた。本から魔法を習得することはできなかった」

「できなくて当然。あやうくその本の価値が天井知らずになるところだった」

「文字は学ぶことができたけれどね。ロゼッタ・ストーンのように対応表が載っている」

「ロゼッタ・ストーン?」

「ああ、それは地球にある遺物いぶつでね、失われて読めなくなっていた文字を、解読することができるようになったすごい石板なのさ」

 ――ロゼッタ・ストーンについても、あとで話したらロリアムジアは喜ぶだろうな。

 ここでロリアムジアはふと思いつき、

「では、冒険者のことも、キミの本には書かれているのか? ロリアムジアという名は?」

 とたずねました。

「いや、冒険者の個人名までは何も書かれていなかったよ。ロリアムジア、君を見つけたことは、私個人の大きな勲功くんこうだと思っている。おかげでおどろくべきスピードで計画が進行しているし、身の安全も確保できている」

 ロリアムジアはその言葉に満足そうに、目を細めました。楽しい、という顔なのを今はデンテファーグも完全に理解しています。

 ロリアムジアは雇い主からやわらかな視線が自分に注がれているのに気づき、

「笑っていないから」

 と、デンテファーグのコメントを先取りして言うのでした。

「デンテファーグのなすべきことがすべて書かれているが、細かい点は自分で判断しなければならない、か……」


 スパイ捕縛作戦がスタートします。

 デンテファーグたちは、スパイがひそむと思われるけわしい山へ向かいました。遠くはなく、首都ザスンガイナの郊外です。そもそもラダパスホルンは山岳さんがく地帯を中心とした国家です。建国の英雄ラダパスホルンが、ドラゴン・ミルディコーグを退治して、住民からわれて国を建てたとされています。

 古い山々のみねが立ち並ぶ土地には、自然の洞窟どうくつや大地のひび割れが無数にあります。うかうかと人が入り込むと、深い裂け目に落ちて命を落としかねません。

 しかし一部には何者かの手が入っていて、地図にない道や通路があるとうわさされています。スパイがかくにするにも、もってこいと言えるでしょう。

 デンテファーグの持つ本・紫革紙面には、ザスンガイナに関する情報も書かれていました。

「ここには千年前の巨大遺跡がまっていて、そこに敵国ベルサームのスパイたちがねらう兵器が隠されている可能性がある」

 と、デンテファーグはロリアムジアにだけ、告げています。彼女は口が堅く、またロリアムジアを脅したり、攻撃したりする者はいないでしょう。情報を彼女から引き出すことはできないのです。

「千年前の兵器か。魔法使いたちの戦争、『アマンサ』時代のものか?」

「いや、アマンサに先だってつくられた、人とエルフとドラゴンが協力しあっていたころの遺跡だと思うよ」

「ほう……それならば私も興味がかき立てられる」

「うん。じゃあそのうち時機を見て、君にも見せることができると思う。だけど今日明日のことではないよ」

「わかってる」

 今回の作戦には、貴族のギャナバス六爵ろくしゃく(六爵は低い身分の貴族の称号しょうごうです)も加わることとなっていました。

 彼はフィオラを八百長やおちょうの襲撃事件でかどわかそうとした張本人ちょうほんにんです。

 ロリアムジアが彼の参加にはをとなえました。

「信用ならない。どうしてロバーリアスたち四人に依頼しない?」

「説明が必要かい?」

「むろんだ。ギャナバスは裏切る可能性があるっていうだけで除外したいだろう。これはごくふつうの感覚のはずだ」

「そうだね。ごくふつうの感覚で、ギャナバスは信用に値しない」

「そうだろう? では、あらためて、なぜか言ってくれ。デンテファーグ、さぞ興味深い思考をめぐらせた果ての結論なのだろう?」

「いやいや、あんまり深謀しんぼう遠慮えんりょを期待しないでほしいよ。じゃ、ちょっとだけ」

「うん、ささ、ロリアムジアに聞かせて」

「このスパイ捕縛作戦は、きな臭い仕事だってことはわかってもらえるね」

「わかる」

「スパイ捕縛に成功したとしよう。この結果はほんとうはジュインディ三爵の功績こうせきではない。私たちがやったことを彼がやったことにするわけだ」

「たしかにそうだが、私たちがジュインディに手柄てがらをゆずることに問題はないだろう」

 デンテファーグは小さく息をつきました。

「よりによって王に小さな嘘をつくというのは、ロリアムジア、君にはたいしたストレスにならなくても、君ほど強くない人間には大きなストレスになるんだよ」

 ロリアムジアは瞳に小さな火花を散らしてデンテファーグの両目を見すえました。

 もしも普通の人間がそれを向けられたら、そのにらむ力だけで心がしぼんでしまうほどの眼力がんりきがこもっていました。デンテファーグは意にかいしたふうもありません。

「ロバーリアスたちには、私は命じる立場にない。彼らが私に手をかすかどうかは彼らの意志で決めること。もし作戦に加担したら、彼らは自分から選んで王に小さくそむいたことになる」

 それを聞いてロリアムジアの瞳の光が、少しやわらかくなったようでした。

「なるほど。理解はできる。続けて、デンテファーグ」

「ひるがえって、ギャナバスだ。彼は私たちの『命令』に逆らえない」

「誘拐事件はソーホ組合が内々うちうちで処理したんだったな。社交界では知られていない。ギャナバスは断れない」

「そうなるだろう? 彼にしても無理強いされましたと言い訳ができる。そして私は貴族のギャナバスを使うことでモルソンを巻きこまずにすむ」

 モルソンの名前が出たことをロリアムジアはいぶかしみますが、すぐに思いいたります。貴族であるジュインディに会うためには誰か貴族の手を借りる必要があるのです。

「モルソンは巻きこまない……ふむ、たしかにジュインディへの橋渡し役が必要だな。そうか。キミが正しい」

「ギャナバス当人にしても、私たちの小さな嘘を知ることで安心できるだろう」

 一方的に弱みを握られているより、相手の弱みも知っているほうが望ましいことでしょう。

「ふうん。まあわかった。ギャナバスなんかが役に立つと思うなら、使うといい」

 ギャナバスにはあらかじめ、スパイを捕まえてジュインディ三爵に引き渡すように命じ、

「捕縛の功績はデンテファーグのものだが、それを譲ると正直に伝えろ」

 と言い含めてありました。ロリアムジアに話したとおり、もしも命令に従わなければ、以前のフィオラ襲撃事件をすべて貴族社会に明らかにする、とおどしておきました。

 ギャナバスを呼び出して、三人で作戦を実行します。

 洞窟の入口に近づくと、黒い装束しょうぞくに黒い仮面を付けたベルサーム国のスパイが二人、警戒しているのが見えました。ロリアムジアは彼らを見て、冷静に言いました。

「私が単独で行くほうが早い」

 そう言って、ロリアムジアは一瞬のすきを突き、一人を不意打ちで気絶させました。

 もう一人のスパイが俊敏しゅんびんに反応し、洞窟の奥に逃げ込みました。

「待っていて。すぐ捕まえてくる」

 倒れたほうの一人の顔になにかのいんをすばやく書きつけました。魔法の力を制限する呪縛じゅばくです。ロリアムジアは洞窟の奥に姿を消しました。

 残されたのはデンテファーグとギャナバスの二人です。ギャナバスがぎこちない手つきで気絶しているスパイをしばり上げました。

 スパイは目を覚ますと、

「ラダパスホルンの機密を話すから、見逃してくれ」

 と懇願こんがんしました。

「ほう、祖国を裏切るつもりか?」

 デンテファーグは冷ややかに返しました。

「違う。これはラダパスホルンの機密なんだ。あのおそるべき兵器が実現したら……」

 デンテファーグは彼の言葉をさえぎります。

「それなら、二十メートル級の機械兵士のことだろう。すでに知っている」

「なぜ知っている? まさか、お前たちもスパイか!」

 スパイは顔色を変え、疑念をあらわにしました。デンテファーグは

「スパイじゃないさ」

 とだけ答えました。

 デンテファーグは、黒装束の男を見つめながら言いました。

「スパイではないが、君の持つ秘密はすでに知っている。つまり、今の君の情報は価値がないということになる。見逃してもらいたいなら、別の情報を差し出すほかないだろう」

 スパイは険しい表情でにらみ返してきます。

「祖国の機密をらすくらいなら、この場でお前たちもろとも魔法の自爆をする覚悟だ」

 と言い放ちました。ロリアムジアによって魔法を制限される呪縛を受けていますが、自分の体をどうにかすることはできるようです。

 デンテファーグは落ち着いた声で制します。

「祖国のことではなく、君がどうやって地下まで潜入したのか、そのルートについて教えてほしいんだ」

 不可解そうにしている男にかまわず、続けます。

「君は地下の……兵器の格納庫にまで入ったはずだが、岩盤の割れ目を利用して通路としてつないだんだろう? ラダパスホルン側がまだつかんでいない、その生きた潜入ルートを教えろ」


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