第3話 メディアの影響と偏見への応援コメント
私の個人的な思いとしては、「人間」という存在、あるいは「学習」という行為がある意味「偏見」の本質であると思います。「学習」は、ある意味、「異なる様々なもの」を「一つ、あるいは複数の特性」で分類し、概念を整理するものだととらえることもできます。「チワワ」と「セントバーナード」と「ダックスフント」、大きさも見た目も異なる3つの動物も、「4足歩行する」「わんわんと鳴く」などの共通の特性から、一つの「イヌ」という概念にしてしまう。そしてその「概念」を中心として思考が行われているのだろうと考えています。
ごくまれに、「妄想」と「精神運動興奮」が併発することで統合失調症の患者さんが犯罪を犯してしまう事はあります。その報道が、いわゆる「統合失調症=危険」というラベリングをつけてしまうことは事実であり、我々としては、「そのような行動をとる患者さんはごくまれであり、統合失調症を持つ患者さんの犯罪率は、総人口で考えた場合の犯罪率よりも低い」という事実も認識する必要があると思います。
このようなラベリングは、決して精神疾患の話だけではなく、身体疾患であったり、ワクチンの話であったりと、様々なところに相通じる話だと思っています。
私たちは常に、「自分自身が偏見を持つ存在」であることを認識し、「偏見を訂正する努力」を行なうよう自覚していく必要があると思います。
作者からの返信
そうですね。
第2話 統合失調症とは何かへの応援コメント
現時点では「統合失調症”Schizophrenia"」を病型はあれど一つの疾患単位として扱っていますが、それぞれ異なる特性を持つ疾患群が混在しており、果たして本当に「一つの疾患概念」として扱っていいものなのかどうか、という事は専門家の中でも議論の分かれるところです。
多くの方が定期的な投薬治療で社会生活に適合することができる一方で、いかなる治療にも反応せず、「人格の荒廃」を来たす方もいるのが事実で、このあたりのところが難しいのだと思います。
作者からの返信
なるほど。そう言う考え方もできますね。
第10話 偏見を乗り越えるためのメッセージへの応援コメント
たいへん勉強になりました。やはり仰るように、「総合失調症」についての一般的な認知度はまだまだ低いでしょうね。私も学生時代にRD レインの「引き裂かれた自己」を読んでいました。その当時この症状を表す言語は今は聞きません。やはり一つの言葉に偏見やマイナスイメージがつくと、その言葉がさらなる偏見を生み出してしまう。言葉がなければ伝わらないけど、言葉によって差別や偏見が生み出されてはならない。やはりどんな場合にも「他者の痛みを想像する力」が大切だと思います。SNSの影響力が浸透してる現代は以前よりも恐い環境にあるのかもしれない。安易にセンセーショナルな発言に乗っかることなく、一人一人がきちんと学んで冷静に考えることが大事ですね。
作者からの返信
冷静に考えるって大事ですね。
第5話 偏見による具体的な影響への応援コメント
「医療や福祉サービスへのアクセスが難しくなる」とのことですが、適切な精神科に受診すれば、統合失調症への適切な提供や、適切な福祉サービスへのアクセスは容易になるかと思います。統合失調症は精神科領域では、common disease(よく出会う疾患)なので、統合失調症の患者さんが適切な原疾患の治療、あるいは適切な福祉サービスへのアクセスが難しくなる、ということは、「個々の精神科医」のレベルに起因するのだろうと思います。
精神疾患を有する患者さんが身体疾患を発症した時の対応についても、やはり「対応する医師」のレベルによるのだろうと思います。
医療や福祉サービスに関する問題は、「偏見」ではなく、かかわる医療従事者、福祉従事者の「不勉強」に起因するかと思います。
作者からの返信
なるほど、そうした考えも、確かにありますね。