応援コメント

第3話 メディアの影響と偏見」への応援コメント

  • 私の個人的な思いとしては、「人間」という存在、あるいは「学習」という行為がある意味「偏見」の本質であると思います。「学習」は、ある意味、「異なる様々なもの」を「一つ、あるいは複数の特性」で分類し、概念を整理するものだととらえることもできます。「チワワ」と「セントバーナード」と「ダックスフント」、大きさも見た目も異なる3つの動物も、「4足歩行する」「わんわんと鳴く」などの共通の特性から、一つの「イヌ」という概念にしてしまう。そしてその「概念」を中心として思考が行われているのだろうと考えています。

    ごくまれに、「妄想」と「精神運動興奮」が併発することで統合失調症の患者さんが犯罪を犯してしまう事はあります。その報道が、いわゆる「統合失調症=危険」というラベリングをつけてしまうことは事実であり、我々としては、「そのような行動をとる患者さんはごくまれであり、統合失調症を持つ患者さんの犯罪率は、総人口で考えた場合の犯罪率よりも低い」という事実も認識する必要があると思います。

    このようなラベリングは、決して精神疾患の話だけではなく、身体疾患であったり、ワクチンの話であったりと、様々なところに相通じる話だと思っています。

    私たちは常に、「自分自身が偏見を持つ存在」であることを認識し、「偏見を訂正する努力」を行なうよう自覚していく必要があると思います。

    作者からの返信

    そうですね。