飯の食材で同棲親バレする

 あれから俺たちは、一緒に料理をするようになった。相変わらず、家事全般を俺がやるという条件のもと、菜可乃なかののアパートに居候させてもらっている。


 ちょっと変わったことがあったと言えば、近所……というにはかなり離れているが、ショッピングモールでバイトを始めたことと、ついでに風鈴を買ってバルコニーにぶら下げた。


二海ふたみは実家に帰らないの?」

「ああ。バイトしないと」

二海ふたみんち、そんなにお金なかったっけ?」


 どうしよう、正直に話しておこうか。


「ちょっと重い話だが、聞くか?」


 菜可乃なかのの表情が真顔になった。少し考え込んでいるようだ。


「うん、聞く」


「実は親父、知人に騙されて四千万円ほど失ったんだ」

「よ、よ、四千万円?」


 まあ、普通、驚くよな。というか、普通の会社員が四千万円持っていたということにも驚きだ。


「会社を作ろうって持ちかけられてさ、昔の同僚だったらしい」

「全然、現実味を感じないよ」


――チリーン


 窓にぶら下げておいた風鈴が鳴った。すごいな、なんかドラマに出てくるシーンのようなタイミング。


「親父、そいつが実際に四千万円を持って来たから、うっかり信用したらしくて」

「その四千万円って、本物だったの?」

「さあ、俺にはわからない」

「そんなことがあったんだ」


 菜可乃なかのは俺に抱きつき、頭を傾げて俺の肩に当てた。


「でも、もう、残りの借金は五百万円らしい」

「そっか」

「だから心配しなくていい」


 将来のことを考えたら心配するだろうと思って、咄嗟とっさに言ってみたが、正解だったようだ。菜可乃なかのに笑顔が戻った。そして手を俺の首の後ろに回した。


「じゃあ、私も帰省しないことにする」

「いいのか?」

二海ふたみと一緒にいたいもん。二海ふたみはうれしくないの?」

「うれしいよ」


 しかし、嫌な展開の予感しかしない。隣県に下宿している娘が帰省しないなんて、絶対に怪しまれる。


 そして的中した。世の中がお盆休みになった日である。



  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆



 ショッピングモールのバックヤードで段ボールを整理していた時、スマホにメールが届いた。菜可乃なかのからだ。


――どうしよう、お父さんとお母さん、それにお兄ちゃんまで来ちゃった。


 予想通りだ。大丈夫、俺の所持品はそんなに多くないから、クローゼットの中とベッドの下に入れてある。

 トイレも便座を上げずに使っている。洗濯物もここしばらくは夜干しにして片づけてきた。完璧なはず。


――二海ふたみ、連れて来いって。


 なぜだろう?


――どうしてバレた?


 数分して返事が来た。


――冷蔵庫の中が充実しているから。


 う、うかつだった……。そうか、菜可乃なかのの性格上、食料はすべて冷凍食品にしておくべきだった。


――バイトが終わったらアパートに戻る。

――お願い。


清水きよみずくん、早く段ボールを片付けて」

「は、はい、すいません」

清水きよみずくんにしては珍しいわね。何か問題でも?」

「何でもないです。すぐにやります」


 パートの女性に声を掛けられたものの、この先の展開が心配だ。


 バイトが終わると、自転車をこいで、まあ、それほど急ぐことも無くアパートに向かった。急いでもしょうがない。相手は待っているから。


「ただいま」

「おかえり、二海ふたみ、ごめんね」


 菜可乃なかのの後ろには、中年の男女と、俺よりちょっと年上の男性が立っていた。なんか、やばい状況だな。


 ん? あの人、見たことがある。そうか、菜可乃なかののお兄さん、空手やっていた。大会で一戦、交えたことがある。


――バシっ


 キッチンとバス、トイレに挟まれた狭いすき間を正確に、菜可乃なかのの脇腹付近から前蹴りが飛んできた。

 俺は少し下がってから足を引き戻せないよう下から持ち上げ、足の裏をくすぐってみた。


――ドサっ


「あはは、やっぱり君か。名前は知らなかったけど、顔は憶えているよ」

「初めまして……で、いいでしょうか? 清水きよみず二海ふたみです」


 菜可乃なかのの後ろから母親と思われる中年の女性が前に出てきた。そして……。


「え? あの……」


 俺を抱きしめた。


「ありがとう。私ね、菜可乃なかのがどんな食生活をしているのか心配で心配で」

「は、はあ」

「この子は片付けも下手だし、料理もできないし、もしかしたらとんでもないことになっているんじゃないかと思って」


 菜可乃なかの越しに父親らしき男性を見ると、なんだか怒っているように見える。そりゃそうだよな、娘の部屋に男が転がり込んでいるんだから。


「おい、娘の彼氏とは言え、抱きつくのはやめろ。温厚な僕でも、それは嫉妬しまくって怒るぞ」

「あら、あなた。その前に、お礼のひとつでも言ったら?」


 そっちかよ……なんだか俺の予想とズレまくっている。数秒ほどか……無音状態が続いた。


――チリーン


 いいタイミング。本当にドラマみたいだ。都合よく風鈴が鳴ってくれた。いや、今、特別に鳴ったわけじゃない。さっきからちょくちょく鳴っていた気がする。


「いえ、とんでもありません。こちらこそ、ご家族に許可も得ずお世話になってしまい、申し訳ありません」

「いえいえ、菜可乃なかのの健康状態がいいというだけで私たちは満足ですよ」


 菜可乃なかののお袋、いつまで俺に抱きついているんだろう? ちょっと、押し戻してみるか。


「もうちょっと、このままでいいかしら。最近、子どもたちがムギュムギュさせてくれなくてねぇ」

「え、あ、はい」


 ダメだ、予想の斜め下というか、さらに特異点まで発生している気がする。


「お母さん、もう、離れてよ」

菜可乃なかの、これはお母さんにとって貴重なチャンスなのよ。この機を逃すわけにはいかないわ。しかも、かっこいいじゃない」

「お母さん、お願い」

「そうだ、お前、家族じゃないんだぞ? 家族だってもう、嫌がる年齢だ」


 菜可乃なかのに引きはがされるように、母親はリビングに連れていかれた。


「さて、清水きよみずくん」

「はい」


 ここからが正念場、何を言われるんだろう?


「君は料理が得意だそうだね」

「いえ、得意というほどでは……」

「まあ、謙遜けんそんしなくてもいい。僕もそこそこ料理をするから、食料のストックを見ればわかる」

「は、はあ」

「そこでだ。僕たちを含めた五人分の夕食を作ってみてくれ。買い出しは無し。見事、私たちを満足させてくれたら、何も見なかったことにする」


 うわ、めちゃくちゃ難題だ。だいたい、調理器具は二十六センチのフライパン、電子レンジ、炊飯器ぐらいしかない。炊飯器も二合炊きの小さいやつだ。


 それで五人が満足する料理……。


「わかりました。それでは、一時間ください」

「ふむ、よかろう」

「じゃあ、リビングでお茶でもどうぞ」


 俺は、マグカップやグラスを集めてリビングに運び、冷蔵庫で冷やしてあったルイボスティーを菜可乃なかのに渡した。


二海ふたみ、大丈夫?」

「たぶん……としか言いようがない」

「ごめんね」

「まあ、なんとかするよ」

 

 菜可乃なかのは俺にキスをした。


「ちょっと、ドア、開いているぞ」

「いいの」



  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆



 さて、まずは炊飯器から。米を研いで炊飯器に入れる。そして、冷蔵庫に入っている鶏もも肉も炊飯器に放り込む。卑怯だが、少しだけコンソメスープの顆粒も追加。


 味噌汁用に買ってあった長ネギの青い部分、いや、緑の部分か、臭み消しのためにこれも炊飯器に入れる。


 これで、とりあえず十五分ほど放置。本当は一時間は置きたいところだが、炊飯器は、火で白米を炊く時と違って、水温の上がり方が緩やか。

 合算で、そこそこ、米も水を吸ってくれる。


 次はサラダだな。キャベツがある。そういえば、この街はキャベツの産地で有名らしい。

 キャベツを千切りにしてさらに短く切り、軽く塩でもみ、カニカマをほぐしてマヨネーズと一緒に混ぜる。


 そして、これはボウルに入れて冷蔵庫で冷やす。これで即席コールスローになるはず。


 続いてフライパン、こちらも満足度を考えると、はやり米だろう。そんなわけで、パエリアにする。

 米を洗わずにそのまま軽く炒め、水とコンソメスープの顆粒を追加、とりあえず、火にかける。


 本当はサフランを使うが、そんなものはないので、雰囲気を出すためにカレールーを少しだけ入れる。


 煮立ってくる前に、適当な野菜、半額で買った塩サバ、その他もろもろを上に乗せていく。パエリアは、蓋をしなくてもいいから、こういう時、簡単でいい。


 米が炊ける時間は、炊飯器のディスプレイでわかる。料理の完了時間はこれに合わせればいい。


二海ふたみ、大丈夫? 手伝うことある?」


 リビングから菜可乃なかのがやってきた。


「大丈夫、なんとかなる。あと十五分、問題ない」

「うん」


 なんだか菜可乃なかのの背中、いつもより丸くて申し訳なさそうだ。大丈夫、菜可乃なかの。俺は菜可乃なかのの家族を満足させてみせる。


 さて、ソースだ。


 これはストックしている材料で完全に再現することは不可能なので、赤味噌、合わせ味噌、ごま油、ラー油、それに隠し味として醤油を使ってそれっぽくする。


 そしてキュウリを千切り。


――ピピピピ


 飯が炊きあがった。白米の上に乗っている鶏肉を取り出し、包丁で細めに切る。

 大きな皿にご飯を盛り、その上に、キュウリ、そして、今切った鶏肉を乗せる。仕上げに赤味噌ソース。


 これで、和風ガパオライスの出来上がり。


菜可乃なかの、食器を運ぶのを手伝ってくれ」

「え? もうできたの? まだ一時間経ってないよ」


「小皿と箸を並べてくれ」

「は、はい」


「あと、ガパオライスも」

「これ、二海ふたみが作ったの?」

「いいから、早く」

「はいっ」


 そろそろパエリアもいい頃合いだ。これはそのまま。


菜可乃なかの、次、行くぞ」

「うん」


 菜可乃なかのに、百均で買った鍋敷きとフライパンを持たせた。菜可乃なかのは力があるから大丈夫だろう。


 ラスト、冷蔵庫で冷やしていた、キャベツとカニカマのサラダ……しまった、マヨネーズは最後に入れるんだった。

 塩で水が出ている。しょうがない、ここは知らぬふりをして軽く絞ってマヨネーズ追加。後はレタスを敷いて……。


菜可乃なかの、運ぶのを手伝ってくれ」

「今、行くね」


 そうして、「いただきます」だけで始まった無言の夕食が始まった。


 う、サラダにスライスチーズを入れ忘れた。


「君は私を殺す気かね?」


「あの、どういうことでしょうか?」

「私は、医者から炭水化物を取りすぎるなと言われているんだ」

「その……」


 父親はにんまりと笑って口を開いた。


「ブラボー!」


「え?」


「いや、子どもの頃に読んだ漫画に、旨い飯を食べると『ブラボー』と叫ぶ男性がいてな、ついつい」

「そうでしたか。お口に合って良かったです」


 良かった。気に入ってもらえたようだ。


清水きよみずくん、実に美味い。あの食材、この短時間でよくもこれだけの料理を作ることができたな。妻の料理より美味しい」

「ちょっと、あなた、それは問題発言よ」

「すまんな、わっはっはっは」


「でも、本当に美味しいわ。清水きよみずくん、大学を卒業したらうちに来てくれないかしら。仕事をしなくても、食事だけ作ってくれたらいいわ」

「いや、それはいくらなんでも」


「あの、お父さん、その、このまま二海ふたみと一緒に住んでいてもいいってこと?」

「もちろんだとも。食事は美味しいし、しかも栄養バランスも抜群だ。サラダもそうだが、パエリアに入っている塩サバ、DHAも入っていて頭にもいい。ブラボーがブラブラボーだよ」


 いや、冷蔵庫にそれしかなかったからだが……。


菜可乃なかの、今すぐ婚約しなさい」

「え、お父さん、それはいくらなんでも……ね?」

「そうよ、あなた、急ぎ過ぎよ」


「まあ、そうだな。しかし菜可乃なかの清水きよみずくんほどの男はなかなか現れないぞ。いいか、胃袋と給料袋、そして『ピーきんたま』袋はしっかり掴んでおけ」

「お父さん、もう!」


 なんか、立華家の見てはいけない内面を見てしまった気がする。


「でもね、お父さん。もう『ピーきんたま』袋は掴んでいるから大丈夫よ」


 おい、菜可乃なかの、なんてこと言うんだ。


「そうか、ついでに尻子玉も掴んでおけよ、わーっはっはっはっは!」


 あの、後ろの方からも責められるんですか? 確か『尻子玉』って言うのは、昔、河童が人の命を奪う時、ケツの穴から取り出す命の源ってやつだ。


 その後、順番に風呂に入り、タオルケットで適当に寝ることになった。菜可乃なかのとお袋さんはベッド、親父さんは寝袋、兄さんと俺は適当にって感じ。


 洗面所で歯磨きをしていたら、菜可乃なかのが近づいてきた。


「ね、二海ふたみ、今日はありがと。本当に助かったよ」

「まあ、できることをしただけ」

二海ふたみは本当にすごいよ」


 なんだ? この違和感……いつもの菜可乃なかのとなんとなく違う。


二海ふたみはね、ヒーロー要素が多すぎるんだよ」

「そんなことない」


「私ね、さっき、お兄ちゃんと話してたらさ……」

「どうした?」


「しばらく忘れていたんだけど……いえ、思い出さないようにしていたんだけどさ」

「なに?」


 菜可乃なかのは泣いていた。リビングのドアが閉まっているのを確認し、俺は菜可乃なかのを抱きしめた。


「大丈夫か?」

「大丈夫。今日はお父さんたちがいるから」

「そうか。でも、もし俺がいないほうがいいなら、キッチンで寝るぞ」

「そういうことじゃない」


 菜可乃なかのはそのままリビングに戻って行った。明らかに菜可乃なかのの様子は変だった。どうしたんだろう?




   ----------------




あとがき

数ある小説の中から読んで頂き、ありがとうございます。


また、料理シーン、張り切って書いてしまいました。料理シーン、大好きです。複数の料理を同時に作る場合、どの道具を使うか、そして時間配分が大切になります。


ちなみに、炊飯器で「ひたすら早炊き」をしたい場合、お湯でご飯を炊くと、ちょっと味は落ちますが、あっという間に炊き上がります。



おもしろいなって思っていただけたら、★で応援してくださると、転がって喜びます。

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それではまた!

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