試行錯誤と救世主のお告げ

 目の前の男性陣、四人か……確かに、菜可乃なかのと二人で相手したら勝てそうだ。

 でも、こんな人の多いところでトラブルは起こしたくないし、善悪関係なく、管理人につまみ出される。


 そうなったら、せっかくの海水浴が……。それに、菜可乃なかの、なんとなく自制が効いてない気がする。過剰防衛になるかもしれない。


「まあまあ、ここは穏便に」

「いや、そうはいかないな。俺たち、一応、チームやっているんで」


 さらにまずい。俺は右手を伸ばし、近づいてきた男性の胸に、制止するように手を当てた。肘は伸ばし、身体中の筋肉を押さえ合うように力を込めた。


――ドサッ


 目の前の男性が倒れた。


「おい、今、なにをした?」

「いえ、なにも。手をお貸ししましょうか?」

「いや、いい。お前ら、行くぞ」


 どうやら「しらける」ことで怒りは収まったようだ。まったく、菜可乃なかのが手を出さなければ穏便に終わったはずなのに。


「二海、今のなに? どうやったの?」

発勁はっけいだよ。隙間が十センチもあれば相手を倒せる」


発勁はっけいなんて本当にあるの?」

「見ての通り。殴ったように見えないからちょうどいいと思って」

「すごいわ、ね、どうやってやるの?」

「今夜、教えるよ」


 真希乃まきのが俺に抱き着いた。


「フタミン、怖かったよ」

真希乃まきの、ひとりだけで来ているの?」

「お母さんも一緒」

「じゃ、一度、叔母おばさんのところに戻ろうね。さあ、菜可乃なかのも一緒に」

「ううん、このまま一緒に遊ぼうよ」


 菜可乃なかのが不思議そうな顔をした。いや、ちょっと曇った表情と言うか、左の口角が上がった。菜可乃なかのは不機嫌になる時、いつも左の口角が上がる。


「ね、フタミン、その人、彼女?」

「そうだよ。可愛いだろ?」

真希乃まきのです。よろしくお願いします」

菜可乃なかのよ。真希乃まきのちゃん、よろしくね」


 菜可乃なかのは前髪をかき分けて挨拶をした。


真希乃まきのは親父方の従妹いとこでさ、今、高一なんだ」

「フタミン、最近、構ってくれないから、もう」


 また、真希乃まきのがべたべたと甘えるように顔をすり寄せてきた。姉ちゃんしかいない俺にとっては妹のような存在。かわいいやつだ。

 引っ張り上げるように軽く抱き上げると、子どものようにしがみついてきた。


「よしよし。あ、そのビーチボール、真希乃まきのの?」

「うん、ビーチボール持って海に入ろうと思ったら、さっきの人たちに話しかけられちゃって」

「怖かっただろ? ちゃんと叔母おばさんと一緒に行動しないとダメだよ」

「でも、お母さん、パラソルの下から動かないんだもん」

「よし、じゃあ三人で遊ぼうか」


 俺たちは海に入り、ボールで遊び始めた。菜可乃なかのは笑顔だが、あれは作った笑顔だ。


 結局、その後、三十分ほど遊び、叔母おばさんに菜可乃なかのを紹介、水分補給をしては遊び、三時ごろ、お開きということになった。


 菜可乃なかのは俺の手を握り、無言で歩いている。やっぱり不機嫌と思われる。


 ホテルの傍まで戻り、シャワーで砂を落としてそのまま部屋に案内してもらった。

 ダブルベッドか、もうちょっと大きいかも。一応、観光地と言うだけあって、ホテルもリッチな作りだ。


 菜可乃なかのは俺に抱き着いた。


「ねえ、二海、どうして喋り方が違うの?」

「どういう意味?」


 何か違ったか?


真希乃まきのちゃんと話す時、とても親しげだった。笑顔だっていっぱい。嫉妬しちゃうよ」

「まあ、妹みたいなものだからな」

「私には、あんな風にしてくれないの?」


 どこまでどうやって話すべきか……。やっぱり菜可乃なかのの精神状態は不安定だ。

 叔母おばさんにもちゃんと紹介した。それでも何か承認欲求みたいなものが満たされていない感じ。


菜可乃なかの、こういう喋り方のほうが楽なんだ」

「そう」

菜可乃なかのには気を許している」

「ふぅん。でも、他の友だちにもそんな感じだよね」

「まあ」


 追い詰められた。


「いいよ。それより、髪の毛、乾かそ」


 助かった。そうだ。


「乾かしてやるよ」

「二海が?」

「ああ」


 俺はドライヤーを手にすると、菜可乃なかのの髪を乾かし始めた。菜可乃なかのの髪はショートなので、それほど時間はかからないだろう。


 最初は普通に軽くクシャクシャっとする感じ。そして髪全体をほぐすように手を動かしたら、今度は頭皮を乾かす。

 七割ぐらい乾いてきたら冷風に切り替えて手櫛で整えていく。


 お袋から習った乾かし方だ。お袋は、ルターバックスで働く前は美容師だった。


「気持ちいい」

「そっか」

「私も二海の髪、乾かしてみたい。しゃがんで」

「ああ」


 気持ちいい。人に髪の毛を乾かしてもらうのって気持ちいいな。疲れもあってか、眠ってしまいそうだ。


「ねえ、二海、あのさ……」

「ごめん、ドライヤーの音で良く聞こえない」

「なんでもない」


 そのまま二人とも服に着替えて、俺は水着を洗った。まあ、家事全般、いつもやっているのでその流れで。

 なるほど、ビキニはこういう構造になっているのか。奥深いな。


 バスルームから出ると、菜可乃なかのはベッドでゴロゴロしていた。いや、本当にゴロゴロ転がっている。


「ねえ、二海」


 こちらを向いて転がるのをやめると、俺を見上げた。菜可乃なかのは横になっているから前髪は垂れて、両目とも見える。俺はベッドの傍にしゃがんだ。


「私も、その……真希乃まきのちゃんみたいに扱ってほしい」


 これは難題だ……。まず、俺と菜可乃なかのは同い年、それに小柄な真希乃まきのと違って菜可乃なかのは空手家。スリムだが筋肉はあるので、体重もそこそこある。


 真希乃まきのによくしていること、なにかなかったかな……そうだ。


 菜可乃なかのの頭から耳にかけて、手でナデナデしてみた。すると、菜可乃なかのがボロボロと泣き始めた。

 前髪を分け、菜可乃なかのの片目がしっかり見えるようにすると、いきなり身体を返して俺に背中を向けた。


「二海の髪、私と同じぐらいまで伸びたね。切らないの?」

「ああ、切らない」

「切って欲しい」

「それは……」


 変だな。しばらく前にも髪の毛の話をしたが……。


「そうだ、菜可乃なかの発勁はっけい発勁はっけいのやり方を教える」

「ほんと? お師匠様、よろしくお願いします」


 菜可乃なかのはすごい勢いでベッドの上に正座した。


「ああ。じゃあ、わかりやすく原理から」

「うん」


 機嫌は直ったようだ。俺は、菜可乃なかのの横に座った。


「デコピンだよ」

「デコピン?」


 不意打ちを喰らってポカーンとした表情で、俺を見ている。


「デコピンって、中指を親指で抑えておいて弾くように打つ」

「それが?」


「試しに、親指なしでやってみな」


 菜可乃なかのは、右手の指で、親指を使わずに自分の左手を弾いてみた。


「あれ? 全然、力が入らない」

「今度は親指で中指を押さえてから」

「うん、あ、痛い!」


「これが発勁はっけいの原理。身体中の筋肉を使って逆方向に抑える」


 菜可乃なかのはポカーンと俺の顔を見ている。ここは言葉を続けていいところだろう。


「そして、一気に開放する、それが発勁はっけいだよ」

「なるほど、お師匠様、参考になりました」


 菜可乃なかのはベッドから立ち上がると、発勁はっけいの練習を始めた。


「あと、肘を伸ばしていたけど、あれは?」


 さすが菜可乃なかの、しっかり見ているな。武道家としてのセンスがある。


「肘を曲げると力の伝達効率が下がるから」

「ふむふむ」

「俺、すごい筋肉質ってわけじゃないから、肘を曲げた状態で発勁はっけいを使うと、肘が曲がって力が逃げるんだ」

「なるほど、それは私にも当てはまる」


 菜可乃なかのは再びベッドに座った。俺も隣に。アパートのベッドと違ってダブルサイズ、広い。


「ね、二海、まずは夕食前に一回目」

「あ――」


 返事をする間もなく菜可乃なかのにキスをされた。でも、菜可乃なかのの唇が震えている。どうしだろう?

 俺は菜可乃なかのを押し倒し、もう一度キスをした。今度は震えていない。でも、菜可乃なかのの顔を見ると、泣いていた。


「続けて」



  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆



 夕食のバイキングは海鮮料理だけでなく、小さな丼ものやローストビーフもあって豪華だ。残念ながら、岩牡蠣は無かった。


 二人で色々な料理の置かれたバイキングコーナーを回り、大きな皿にどんどん料理を乗せていった。そして、テーブルに戻り、二人で手を合わせた。


「「いただきます」」


 それ以降、特に会話もなく、無言で黙々と食べ続けた。まあ、蟹があったからそのせいかもしれない。


「お、清水きよみずくんじゃないか」

「あれ、アズルアロックでお会いした……」

「覚えていてくれたんだ。彼女と一緒、やるね。それはそうと、ちょっと紹介したい人がいるから少しいいかな」


 俺は菜可乃なかのの顔を見た。菜可乃なかのも会釈をし、首を縦に振った。


 男性は俺を広間の別の席に連れて行った。女性がひとりで座っている。


清水きよみずくん、実は僕も女性と来ているんだ。あ、浮気じゃない。僕は結婚していないから」

「あの、そんなに説明しなくても」

「彼女、ボーカリストでね。まあ、あまり知人には会いたくないから、逆に近い方が穴場かなって思ってここに宿泊している」

「そうでしたか」


 会いたくないのに俺を連れてきたってことは、どういうことだろう?


「ところで清水きよみずくん」


 男性は、俺をじっと見た。


「実は、彼女を紹介することが目的じゃなくて、ちょっと気になったから声をかけたんだよ」

「どういうことですか?」

「広間に入って来た時から君たちに気が付いていたんだが、なにかあったの?」


「いえ、その……」


「二人とも全然、楽しそうじゃない」

「なんとなく気まずくて」

「良かったら話してくれないか。オジサン、経験豊富だぞ」

「わかりました」


 男性の秘密を知らされたせいか、俺はあっさりと手短に、ここしばらく菜可乃なかのの様子が変なこと、そう言いつつも、一回戦は終了していることなどを話した。


「なるほどねぇ。ちょっと、キスのところ、状況を詳しく教えてくれないかな」


 言葉を発したのは女性の方だ。ショートヘア、五十代ってところか。女性にアドバイスしてもらえるのは助かる。

 俺は、キスのあたりから、それはもう事細かに、使用済みの『ピーピーコンドーム』を結んでティッシュペーパーで包んだところまで、包み隠さず話した。


「君、それじゃダメだよ」


 そして、大切、かつ重要なアドバイスを頂いた。セリフまで考えてくれた。


菜可乃なかの、ただいま。ボーカルの女性を紹介してくれたんだ」

「そう」


 菜可乃なかのの皿を見ると、料理は半分ほど残っており、俺の皿と同じ状態だ。あれから手を付けていないんだろう。


菜可乃なかの、その料理、俺が食べるから、温かい料理を取ってきなよ」

「いい。ちゃんと食べる」

「わかった。じゃ、改めて、いただきます」


 菜可乃なかのは黙々と食べ始めた。


「二海が食べているところを見るの、好きだよ」

「そうか?」

「美味しそうに食べるから、ちょっとだけ楽しくなる」

「それは良かった。でも、今日は控えめにしておく」 

「その量でセーブしているの?」

「まあ。いつもなら、もう二周はする」


「どうしてセーブしているの?」


 待ってたぞ、その言葉。


「そりゃ、部屋に戻ったら激しい運動をするからさ」

「トレーニングでもするの?」


 菜可乃なかのがニコっと笑った。愛想笑いだ。菜可乃なかのはこんな笑い方はしない。


「ジョギング換算で一時間分ぐらいはしたい」

「なにそれ、よくわかんない」


 菜可乃なかのはもっと笑った。鈍感な俺でもわかるぐらいの作った笑顔。


菜可乃なかのにも付き合ってもらう。三時間ぐらいは覚悟しろ」

「どういうこと?」


 菜可乃なかのが不思議そうな顔をした。前髪が少しだけ分かれて、片目だけ見える。


「そうだな、マット代わりにベッド。それに、汗をかくかもしれないから、二人とも全裸でエアコンをガンガン効かせて」

「うん」


 菜可乃なかのが泣き始めた。でも、うれし泣きだ。笑っている。


 よかった、正解だ。キスにしろ『ピーセックス』にしろ、ほとんど菜可乃なかのから求めてきていた。求められないことで、不安を感じていたんだろう。

 でも、俺は、心から菜可乃なかのを求めているんだろうか?


 デザートまで食べ終わると、二人で部屋に戻った。


「二海、もしかしてさ……」

「何?」

「さっきの発勁はっけい。空手で組手をする時、足で同じことをしていない?」


 鋭い。やっぱり菜可乃なかのは武道家としてセンスがある。いや、理系的観察力なのかも。


「よく気が付いたな」

「だって、二海、ステップ踏まないから。不思議に思ってたんだ。それに二海の蹴りって、異常に速いじゃん」

「結構、疲れるが」

「私、すごい秘密を知っちゃった、好き、大好き!」


 思いっきりディープなキスをされた。バイキングの最後にデザートを食べたせいか、甘さが口の中に広がる。

 そして、そのままベッドに押し倒された。押し倒す予定だったんだが、まあいい。


 きっと、いい夏休みになる。




   ----------------




あとがき

数ある小説の中から読んで頂き、ありがとうございます。


発勁はっけい」については、武道を科学的観点で解説した本がありまして、それで勉強しました。

ワタクシも空手三段なので、まあ、それなりにうまいこと説明できているのではないかと思います。


アニメやコミックみたいに、光が出るとかそう言った派手なものではありませんが、良かったら、感覚の体験だけでもしてみることをオススメします。



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それではまた!

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