ルビーで機嫌は直ったけど

「ふわぁぁぁ」


 隣に座っている菜可乃なかのがあくびをした。ここは大学の講堂、講義中、午後、一番眠くなる時間だ。実験は好きだが、座学はまあまあ。


 もうすぐ八月、夏休みだ。もうバイトをたくさん入れている。しかし、菜可乃なかのとも相談し、一緒に過ごす予定もちゃんと入れた。

 菜可乃なかのは耳元に口を近づけてきた。息が耳に当たってくすぐったい。


 正直、やばい。ちょっと海綿体に血液が流れ込む。


二海ふたみ、長袖で暑くないの?」

「それほどでも」

「そっか、エアコン効いているもんね」


 俺たちの出身地には海が無い。だから、夏休みには海水浴へ行く予定を入れた。日頃、節約しているから、たまには贅沢をしたい。

 そんなわけで、ちょっと古いホテルだが、バイキング料理付きで目の前にビーチがあるホテルを予約した。


 とはいっても本当に金が無いので、バス、電車、再びバスで行ける近場の海水浴場だ。車なら一時間ちょいで行けるだろう。

 夏休み価格でちょっと高めだが、週末じゃないので多少は安い。


 それにしても、割り勘というところが情けない。できれば、しっかり稼いでなんとかしたいものだ。夏休みまであと数日、早く来い来い夏休み。


 講義が終わり、菜可乃なかのの部活が終わる時間を見計らって武道場へ迎えに行った。菜可乃なかのはいつものように、いつもの場所で待っていた。


菜可乃なかの、お疲れ」

「うん、今日もがんばったよ。今日の晩御飯、なに?」

「ハンバーグ」

「時間かかるんじゃないの?」

「いや、今朝、仕込んだから焼くだけ」

「うれしいな、ハンバーグ、ハンバーグ」


 七月の誕生日プレゼント以来、まだ不安定感はあるが、菜可乃なかのの笑う回数が以前と同じぐらいになってきた気がする。

 ちょくちょく喧嘩はするが、まあ、翌日にはケロっとしている。


 実は昨日も喧嘩をした。どこのハンバーガーが美味いかという、どうでもいい話だ。

 俺はあまりファーストフード店に行ったことが無いから、色々なハンバーガーの名前を連呼されて負けた。


 トイレは最強だ。悔しくてトイレにこもっていたら、菜可乃なかのは謝ってくれた。単に、トイレを我慢できなかっただけみたいだったが。そして、無事、和解した。


 それにしても、あの時の菜可乃なかの、ストレスを発散するというか、当たり散らすような感じだったな。何が地雷なんだろう?



  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆



 夏休みに入ると、俺たちは早々に海水浴に出かけた。まずは大学まで行って、ロータリーからバスに乗る。

 終点は大きな駅なので、そこから電車に揺られて三十分ちょい。


 この電車は初めて乗るが、結構な田舎を走っているせいか、気持ちがいいほど線路がまっすぐに続いているところがあった。


菜可乃なかの、なんだか北海道みたいだぞ」

「ホントだ。こんなところがあったんだね」


 さらに電車の終点まで行ってからバスに乗り換えて移動、ようやくホテルに到着。時間は十一時前、チェックイン時間にはまだ早いが、荷物を預かってもらうためだ。


 何階建てだろうか? かなり高い。見上げてみると、白い建物が青い空に映えている……が、太陽が窓に反射してまぶしい。こっちが南側なんだな。


 ホームページで見た写真の期待値は裏切っていない。古いがきれいだし、明るい感じがいい。


 たまにあるんだよな。どことは言わないが、この街に初めて来たときに泊まったホテル、ホームページには綺麗な写真が掲載されていた。

 しかし、値段相応だった。まあ、サービスは悪くなかったし、フロントの人も親切だったが、騙された感が大きかった。


 俺たちは荷物をホテルに預けると、菜可乃なかのの提案でホテル周辺を散策することにした。やけに菜可乃なかのが張り切っている。


「少し歩いたところに、人気のお店があるんだよ。ちょっと早いけど、お昼を食べに行かない?」

「もちろん行く」


 食に関しては、とにかく経験したい。何事も経験だ。ホテルから歩いて十五分ほどのところに、たくさんの食堂が並んでいる大きな駐車場があった。

 平日なのに駐車場は半分以上埋まっている。


「おお、菜可乃なかの、海、海だぞ!」

「バスからもチラチラ見えていたじゃん」

「いや、波がある海ってすごいな」

二海ふたみ、可愛い」


 真っ青な空、太ったタケノコのような形をした入道雲、そして、ちょっと海苔のような香りのする風、そして空に合わせたかのような青い海。

 いや、まあ、海ってのはそもそも空が映り込んでいるんだが。


 何軒かある食堂から、菜可乃なかのが事前にチェックしていたという店に向かった。

 でっかいアサリや、ありえないサイズの牡蠣がゴロゴロっと水槽の中に入っていた。


 焦げた醤油の香りがする。見ると、大将らしき男性が、店先で牡蠣やアサリ、サザエなんかを焼いている。


二海ふたみ、大アサリ食べようよ」

「いいね」

「岩牡蠣も食べようか。あれ? 『生食は自己責任で』って書いてある」

「運試しで両方」

「いいよ。私、胃袋も強いし」

「『も』ってのは、『夜も』ってことか?」

「違うわよ、空手よ、空手!」


 まずは生の岩牡蠣がテーブルに届けられた。殻の上に乗っているとはいえ、でかい。俺が知っている牡蠣と全然違う。なんだかワクワクする。

 もう、この時点でまた来たいと思っている。


 ここなら、頑張れば自転車でも来れそうだ。マップを見た感じだと、自転車道もそこそこ整備されているみたいだし。


菜可乃なかの

「なに?」

「レディーファースト」


 さて、なんて返してくるんだろうか。楽しみだ。


二海ふたみ

「なんだ?」


 菜可乃なかのは箸で岩牡蠣の身を崩すように切った。


「はい、あーんして」


 く、そう来たか。


「まさか、こんなに可愛い彼女が『あーんして』ってやっているのに、断る男はいないわよね?」


 意を決して、食べてみた。ん? ちょっと磯臭いが、うまい、めちゃくちゃ美味い。


菜可乃なかの、これ、マジ、美味いぞ。ちょっと磯っぽい香りがするが、すっごく美味い」

二海ふたみが言うなら大丈夫かな。じゃあ、私も。ん、な、なにこれ、美味しい」


 何と言うか、プリっとしていて、ツルっとしていて、細かなザクっていう感じがするが硬くない不思議な食感、それに芳醇とでも言ったらいいんだろうか?

 うまい。口の中の満足感がすごい。


 続いて、焼き大アサリが二皿、テーブルの上に置かれた。

 

「ところで二海ふたみ、大アサリ、実はアサリじゃないって知っていた?」

「そうなのか?」

二海ふたみでも知らないことがあるんだ」

「まあ」


 菜可乃なかのは得意げに、鼻の下を指でこすった。


「これはね、『ウチムラサキ』っていう貝なんだよ。アサリとは生息海域が違うのよ。ほら、貝殻の内側が紫でしょ?」

「そうなんだ、それにしても美味いな」

「あ、もう食べ始めてる、ずるい」


「すごく熱いから気をつけて」

「うん。もしかして?」

「ああ、口の中をやけどした」

「あはは、勝手に食べ始めた罰だよ、きっと」


「はい、お待ちどうさま」

「ありがとうございます」


 ラスト、焼き岩牡蠣がやってきた。これまたでかい。サイズは三種類あって、せっかくということで一番大きな岩牡蠣を頼んでおいた。


「なんかね、ここのお店が一番焼き加減がいいんだって」

「そうなんだ」

「じゃ、レディーファーストで私から」

「おう」


 菜可乃なかのが箸で身を切り始めた。生岩牡蠣と違って、なんというか、プリンというかクリームチーズのように身が崩れていく。これは絶対に美味いやつだ。


「おいしーい!」

「じゃあ、俺も」


 箸を殻に当ててしまった。牡蠣の身がプルプルっと揺れる。本当にプリンみたいだ。


「うまい……生も旨かったが焼きの方が美味いかも」


 焼き加減が絶妙で、身が硬くなる直前で火から降ろしたんだろう。もう、クリーミーで、濃厚で、しかも口の中、いっぱいになるボリューム、最高だ。


「そこそこお腹、膨れちゃったね」

「ああ、想定外のサイズだ」

「夜はバイキングだし、これぐらいにしよ。ホテルに戻って泳ぎに行こうか」


 お店で水をお替りして飲み干すと、俺たちは店を出た。菜可乃なかのは俺の手を握り、一緒に元の道を歩いてホテルまで戻った。

 八月で晴天ということもあり、さらに、さっき食べた岩牡蠣の興奮で汗だくだ。


 ビーチはホテルの目の前にあり、ホテルから直接、出ることができる。一応、隣の一般向けの海水浴場とは別管理のようで、プライベートビーチ扱いのようだ。


 ホテルの北側がビーチになっているので、疲れたらホテル側に戻って休憩したらよさそうだな。



  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆



二海ふたみ、お待たせ」

「おう、お?」


 菜可乃なかのは、身体にかけていた大きなタオルをハラっと広げた。なんだろう? この高揚感……思わず、じっと見てしまう。


 そういえば、よく、「カモシカのような脚」って言うが、あれはちょっとおかしいよな。太ももが頭で膝の辺りが前足で、つま先が後ろ脚ってことになる。

 正確には「カモシカの足のような脚」というのが正しいはず。


 どうも、理系脳のせいか、こんなことばかり考えてしまう。


「ね、どう?」

「その、すごく可愛い」

「どの辺りが?」

「全部」

二海ふたみは口下手だなぁ、もう」


 菜可乃なかのが着ている水着は、いわゆる、その、ビキニというやつだ。色は白。普段から裸は見慣れているが、なぜか鼻息が荒くなってしまう。


「ちょっとエロくないか? なんか、パンツ、結構、低めだぞ」

「ふふーん、興奮した? なんなら夜、水着プレイする?」

「ちょっと、声、大きいぞ」


 近づいてくると俺の腕を掴み、胸を押し付けてきた。ん?


菜可乃なかの、いつもより胸、大きくないか? いてっ!」

「もう、そういうことは言わないの」


 つねられたおかげで、ちょっと冷静になってきた。菜可乃なかのはいつもスポーツブラ、下着もスポーツ系だからか。例えるなら陸上競技女子のユニフォームみたいなやつ。

 だからこのビキニ姿、余計に興奮するんだ。


「ここはあまり波が高くないんだな」

「ホントだね、おもしろい。でも、泳ぎやすくていいじゃん」


 俺たちは小さなレジャーシートを広げてステンレスボトルを重し代わりに置き、サンダルを脱いで海に入った。

 海水浴は初めてではないが、滅多に行ったことが無かったのでテンションが上がる。やばいな、テンションが上がると……でも……。


「海、海、海。おい、菜可乃なかの、フェリーだ、フェリーが来るぞ」

「うわ、ホントだ。そういえば来る時に乗って来たバスにも書いてあったね。ってかさ、二海ふたみ、はしゃぎすぎだよ」

「おう」


「でも、私の水着姿は見ないのね」

「それは、その……」

「素直じゃないなぁ」


 菜可乃なかのは俺の手を取ると、胸を触らせた。やっぱり下の方にはパッドが入っている。姉ちゃんも使っていたから、感触でわかる。

 でも、ここは敢えてれないでおこう。いや、さわっているが。


「興味があるのはどっちかな。胸かな? それとも……うふふ」

「全部」

二海ふたみらしいよ」

「まあ」

「のど湧いたから、一旦、砂浜に戻ろうか」


 まずい。海綿体に血液が大量に流れ込んでいる。


「いや、もうちょっと泳いでから」


 菜可乃なかのは後ろから俺に抱き着いた。そして、俺の足の親指と親指の間を触った。


「やっぱり。興奮してくれているんだ。うれしいな」


 悔しいけど、その通り。菜可乃なかのの顔は見えないが、ゆっくりと、ひとつひとつの単語を確かめるように話した。きっと、満足しているんだろう。


 菜可乃なかのの顔が横を向いた。背中の感触でわかる。


「ねえ、あの子、なんか、ナンパされているみたいよ。困っているんじゃないかな」


 ホテル前のビーチから少し離れた所のビーチ……恐らく、ホテル管理じゃないビーチなのかな、そこで、女の子ひとりと、男性数人が話をしているのが見える。あれ?


 あの子って……。


「ちょっと行ってみようよ。もしかしたら、別にナンパじゃないかもしれないけど。二海ふたみ、どうしたの?」

従妹いとこかも」

「そうなの?」


「祖母ちゃんちの近くに住んでいる」

「じゃあ、可能性、高いね。行かないとだね」

「ああ」


 近づいていくと……やっぱり真希乃まきのだ。真希乃まきのと目が合ったので、俺は自分の口に人差し指をあて、「シー」っという仕草をした。

 名前がバレると後々、面倒なことが多いから。


「あの、その子、どうかしましたか?」

「いやいや、ひとりで暇そうに立っていたから、一緒に遊ぼうかと思って」


 男性のひとりが答えた。そんなに悪い奴らじゃなさそうだ。


「でも、未成年の見知らぬ女の子に声をかけるのはどうかと」

「まあ、いいじゃん、こういう所だし」

「それはダメです」


 こんなやり取りを続けていたら、なんとなく、男性陣、ちょっと怒り始めている気がする。


――パシッ


 手を出したのは菜可乃なかのだった。


「何すんだよ!」

「しつこいわよ」

「おい、やめときなよ」

「こんな奴ら、ちょろいわ!」


 まずい、喧嘩になる。ここでトラブルは起こしたくないな。




   ----------------




あとがき

数ある小説の中から読んで頂き、ありがとうございます。


「大アサリ」実はアサリが大きくなったものではなく、ウチムラサキという種類の貝です。とても美味しいですよね!


岩牡蠣も、サイズがバグっていて、ビジュアルもよく、牡蠣好きにはたまりません。ただ、シーズンを誤ると味は落ちます。オススメは七月下旬から八月下旬です。



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それではまた!

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