貧乏大学生の恋事情は②最後の夜に六回を記録
綿串天兵
苦肉の策が大当たりしてさ
もう早いもので七月。窓の外からザーっという音が聞こえる。雨だ。それもかなり強い。
まずは洗濯機のスイッチをオン。
「さてっと、とりあえず飯は……うん、もう炊けてる。あとは味噌汁とだし巻き卵でも作るか」
幸いなことに、俺も
ただ、俺のお袋は台湾出身なためか、味噌を複数ブレンドするのを好む。そのため、俺も混ぜて使っている。
これは
まずはだし巻き卵。面倒なので顆粒のだし風味調味料をちょっとお湯で溶いて、卵を三つ。
これを、先日、ちょっと離れたショッピングセンターで購入した卵焼き用の小さなフライパンで焼く。
焼けてきたら卵を巻いてフライパンの端に寄せ、そこへ溶いた卵を追加、寄せた卵を少し持ち上げて下にも流し込む。
そして焼けてきたら手前に転がすように巻いて――の繰り返し。
「
「慣れだよ」
リビングから
「今日のお味噌汁、なに?」
「レタス」
「え、レタスをお味噌汁に入れるの?」
「これが美味いんだ」
俺は
「じゃあ、頂きます。あ、ホントだ、レタス、予想外」
「だろ?」
「これなら、レタスひと玉買っても痛む前に消費できるわ」
「ね、
「なに?」
「ライブ、もうすぐだね。お店、スマホで探してみたけど、とてもおしゃれな感じだよ」
「お客さん来るの?」
「いや、基本、身内だけみたいだ。OBとか来るかもって」
「そう、私、行っても大丈夫かな」
「大歓迎って言ってた」
「楽しみ」
俺はいつものように食器を片付け、洗濯物を干し始めた。雨なので、全部、室内干し。
こんなこともあろうかと、買っておいた突っ張る棒をバスルームに取り付けた。これで洗濯物をぶら下げることができる。
昨夜も風呂は別々だった。することはしたが。
リビングに戻ると、
「
「ああ。散髪代、もったいないし」
「私、切ってあげようか」
「いや、いい」
「そう」
なんだ? この違和感。前は、髪の毛が長くてかっこよかった的なことを言っていたような気がする。
「ごめんね」
「大丈夫か?」
「うん。でも、もう少しこうしてて」
「大丈夫、まだ時間はある」
「
「これしか持っていないから」
「半袖は着ないの?」
どうしようか、正直に話そうか……いや、ここは正直に話すべきだ。今、
「左の袖をめくってみて」
「うん、どうしたの?」
「二つ目の秘密」
「なに? この傷跡、模様みたい。自分で付けたの?」
「そう」
「どうして?」
「高校の時、彼女っぽい女子がいてさ、その子、がんの手術を受けたんだ。立ち会ったわけじゃないんだけど、難しい手術で」
「それで?」
「なんか、手術がうまくいきますようにって、願掛けみたいにカッターで切り始めてさ」
「なんとなく気持ち、わかるよ」
「途中から芸術的意欲が湧いてきて、こんな紋章みたいな傷痕になったんだ」
「変なの」
「まあ、切ったのとは関係ないとは思うが、手術は無事成功したけど」
「そっか。それ以上は訊かない方がいいのかな」
でも、まだ生きているのかわからないから、怖くて電話をかけることができない。
「まあ。で、傷を隠すためにいつも長袖を着ている。黒歴史みたいなもんだ」
「そんなこと無いよ」
この話を人にするのは初めてだ。親も知らないし友だちも知らない。
「
「なにが?」
「以前、大会で見た
「悪かった」
確かに、あれから半年ほどして俺は無口になった。
「少しだけ安心した」
「少しだけ?」
「うん、少しだけ」
「どうしたらいい?」
どうしたらいいんだろう。
俺たちは雨の中を歩いて大学に行った。そして一日の講義が終わると、いつものように空手道部の終わりを待って武道場へ。雨はもう上がっている。
「
「高塚さん」
「
「なんとなく変なんです」
「そうか。ひとつ、いいことを教えよう」
「なんでしょうか?」
高塚さんがニコっと笑った。
「
「わかりました。でも……」
「何をプレゼントしたらいいのかわからないんだろう?」
「はい」
女の子にプレゼントをしたことがない。全くないわけではないが、小学生の時だ。
「私にアイデアがある。耳を」
「はい……あ、高塚さん、ダメですよ」
「いいじゃないか、匂いを嗅ぐぐらい。アイデア代だ」
「ありがとうございます。ショッピングモールでこっそり買ってきます」
「ああ。あそこならあると思う」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ジャズ研のメンバー、それに
アズルアロックは、バスを降りてゾロゾロと五分ほど歩いたところにあるビルの地下一階にあった。
「そういえば、
「ある」
「それって犯罪じゃないの?」
「台湾は十八歳から飲めるんだ。大学受験が終わった時にお袋の実家に帰省して」
「へえ、そうなんだ。どうだった?」
「ビールは旨くなかった」
ポケットの中にあるスマホが震えた。メールかと思ったが、震え続けている。取り出してみると、知らない番号だが、市外局番から考えて怪しい電話ではなさそうだ。
俺は一旦、店の外に行き、電話に出た。
「わかりました」
店のドアを開け、先輩に事情を話し、楽器はそのまま店に預かってもらう事にした。
「
「そうなの? まだ演奏していないのに」
「すまん、じゃあ」
「ねえ、
「いや、じゃあ、一緒に行こうか」
「うん」
しまった、ミスったか。また
二人で駅前に戻ると、タクシーを拾った。今日は木曜日、幸い、タクシーは客を待っていてすぐに乗ることができた。
「
「輸血支援だよ」
「どういうこと?」
「俺、血液型、AB型ボンベイなんだ」
「珍しいの?」
「一万人にひとりぐらい」
「でも、
「いや、実際に献血できる体力がある人数は限られている。それに……」
「何か気になることがあるの?」
「普通は献血センターに呼ばれるんだ。でも病院ということは、よっぽどの緊急事態」
「そっか。参っちゃうな、もう。
病院に到着し、夜間窓口で事情を話したらすぐに担当らしき看護師がやってきた。
「お連れ様はここでお待ちください」
血液提供者のプライバシー保護のため、
一時間ほどで窓口まで戻ると、
「お待たせ」
やっぱり何も言わない。
「大丈夫か?」
「聴きたかった」
訊きたかったと聴きたかった、どっちだろう?
「
「でも、しょうがないじゃないか」
「わかるよ、わかる。だけど……さ」
良いことをしたはずなのに、気分はかなり悪い。
寝袋で寝たのは
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
翌日、
そのまま手を握って引っ張ると、「さも当然」とばかりについてきた。
バスでは一番後ろの席に二人並んで座ったが、終始無言だ。
地下一階へ続く階段を歩く音、結構、響くな。よく見ると、床だけでなく壁も大理石っぽい。
「お、君、昨日の学生さんだね。名前は?」
「
「そちらは彼女さん?」
「はい」
「今日、ライブ予定無いから、よかったら一曲、披露してあげなよ。彼女さん、楽しみにしていたんだろう?」
「
しゃ、喋った。ようやく喋った。ここはなんでも言うことを聞くしかない。
「あの、楽器はどこにありますか?」
「店を出ると右に倉庫があって、そこに置いてあるよ」
「わかりました」
リードを咥えながらそそくさとテナーサックスを組み立て始めたものの、しかし、どうしよう? ひとりだし……。
「
「うん、
あの曲ならソロで吹いても様になる。実はフラジオが苦手で高いGの音が出せないから、一音、下げて耳コピした曲だが。
最初は穏やかに、優しく問いかけるように、そしてコーラスが進むごとに激しくフェイク、最後は自己中なアドリブ。こういうところがすごく好きなんだ。
演奏が終わると、
「ファトー・バルビエリの曲かな。
「やっぱり、マニアックですよね」
マスターに声を掛けられた俺は、苦笑いをしたんだと思う。
「
「
俺はサックスケースからリボンのついた小さな袋を取り出し、
「開けていいの?」
「いいよ」
ガサガサっと、ちょっと乱暴に袋を開けると、
「ご、ごめん、気に入らなかったか?」
「ルビーのペンダント、うれしいよ。つけてくれるかな」
「君、やるね」
店内にいたお客さんが話しかけてきた。
「七月の誕生石はルビー、そして、さっきの曲はファトー・バルビエリの『ルビー、ルビー』に収録されているルビー、おしゃれ過ぎて、オジサンまで泣いちゃうよ」
「
「あ、いや、曲名は忘れていて、まあ、偶然」
あの、二人っきりじゃないんだから……曲名を忘れていたのは本当のこと。俺は曲名を覚えるのが苦手だから。
さっきのお客さんと目が合った。
「おごるからさ、好きなもの頼みなよ。食べ物でも飲み物でもなんでも」
「すいません、ご迷惑かけてしまって」
「いやいや、素敵なシーンに出会えて最高の気分だ。さあ、頼んで」
「
「いい、他のにする。
女心はよくわからないが、どうやらこれからもこの関係を続けることができそうだ。でも、
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あとがき
数ある小説の中から読んで頂き、ありがとうございます。
本編のように、楽器を置いて出て行ってしまう場合、普通は他の部員が部室まで持ち帰りますが、まあ、話の展開的におもしろいので、ライブハウスで預かってもらっているという設定にしました。
「ファトー・バルビエリ」(人名はいじっていますが)の「ルビー」、とてもいい曲なので、ぜひ聞いてみてください。
この方は、ジャズから始まって、ラテン系の音楽をやっていた方です。
おもしろいなって思っていただけたら、★で応援してくださると、転がって喜びます。
さらに、フォロー、ブックマークに加えていただけたら、スクワットして喜びます。
それではまた!
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