不穏な影
公演はあのゴシップ騒動はなんだったのかというくらいに好調だった。
ダークファンタジーや因習の話だったので、難しくないか、もっと明るい話のほうがよかったんじゃないかとも思ったけれど、これは予算の関係で、できる限りコンパクトにまとめようという最初のコンセプトのせいで、あまり大がかりな服の発注をしないと駄目なものは無理だったんだ。
私は汗をかきながら、舞台の合間に化粧を直す。午前の部は終わり、午後の部までに必要最低限の栄養補給はしないといけない。
「すごいですね……いろいろありましたけど、無事に公演が成功して」
「ええ。ええ。あのゴシップも結局は着火剤になっただけだったから、本当に舞台にケチが付かなくってよかったわ」
「なによりも……物販がすごい売れているんですよ」
「あら? そりゃトーマスは固定のファンが付いているけれど」
トーマスが脚本を書いたというだけで観に来る固定客がいるけれど。私が首を捻っていたら、アレフが教えてくれた。
「君のところの正室の詩集だよ。あれがトーマスのファンが買っていったのをきっかけに飛ぶように売れているんだよ。トーマスが褒めちぎったことで、彼女の詩人デビューも決まるかもしれないな」
「まあ……そうだとしたら嬉しいんだけれど」
「彼女、病弱だと聞いていたけれど、そんなにバンバンと詩を書いて大丈夫なのかい?」
「そりゃ私よりは体力はないけれど」
私はセシルがやっと自分の夢に向かって歩き始めようとしているのに、浮き足立つ気分になった。
「あの子はすごいのよ。だから、あの子が認められると私も嬉しい」
「本当に君は……」
アレフがやれやれと首を振っている中、私は舞台の高揚感、達成感でふわふわしているのを律さないといけないことを忘れていた。
全てのはじまりは、私が信じ過ぎて付き人のアナベルに金庫を持ち逃げされたことなのだから、劇団の主催としては、もっと己を律さないといけなかったんだ。
このことを後悔するのは、少しあとの話になる。
****
長いようで短かった公演期間も終わりを迎え、私たちは打ち上げにパブを貸し切っていた。今回脚本を書いてくれたトーマスや、衣装調達に尽力してくれていた針子たち裏方、そして役者皆でねぎらいと舞台の成功を祝って、皆でご飯を食べていた。
「無事に公演終了を祝ってぇ……」
「乾杯!」
ジンジャーエールを呷り、皆でそれぞれをねぎらう。山盛りのご飯にお酒、それで会話も弾んだ。
私はにこにこと皆を見守りながらも「そうだ」と物販担当だった裏方の子に尋ねた。
「それで、今回の収益だけれど」
「はい。これで劇場代と、それぞれの皆さんのお支払いを」
「できるだけ早めにお願いできる? 前は、そのう……」
「アナベルですね……」
あの子は上都したばかりで、右も左もわかっていない子だった。私と同じく郊外の辺境から来たみたいで、舞台も王都に来るまでほぼほぼ見たこともないような子だった。
ただでさえ、王都で働くにしても、紹介状がないと厳しい。劇団はその手の子たちの受け皿にもなっているため、私は同情してその子を私の付き人にし、いちから育てようとしていたのだけれど。
……裏切られたとは思ってないけれど。彼女が魔が差すことまでは見抜けなかった。人は弱ったらどうしようもなくなるってこと、わかっていたはずだったのに。
裏方の子は「わかりました、少し確認してきます」とパブを出ようとするので、慌てて私は手で食べられるものを包む。
「私も行くわ」
「悪いですよ。打ち上げですのに」
「前は私の確認も遅れたから。一緒に行きましょう」
「はいっ!」
私はグレームとアレフに「皆の面倒よろしく」と頼んで、急いで劇団ソラリスの借りている事務所へと向かった。
事務所に足を踏み入れたとき、私は「うん?」と違和感を覚えた。日頃から公演が終わるごとに金庫を持って帰り、その都度戸締まりをしている。アナベルのこともあったために、事務所の大家に交渉して、鍵も替えたばかりだった。だというのに。事務所特有の篭もった匂いがしない。
私は慌てて裏方の子に叫ぶ。
「ちょっと戸締まりを確認して! あと電話!」
「は、はい!? 待ってくださいマルヴィナさん!」
「なんだか変だわ、ここ。すぐ確認して!」
「はい!」
出入り口を見てもらっている間に、私は足早で事務所の奥へと足を踏み入れた。
前とは金庫の場所は替えた。前とは鍵だって替えた。だというのに。
「……また泥棒に入られたっていうの……!?」
隠していた金庫の場所は、ぽっかりと空白だけが残っていた。
なにがひどいかというと、金庫だけでなく、物販の品だって漁られていたのだ。
なぜかトーマスの脚本はそのまんま置いているというのに、セシルの詩集が全部なくなっていた。これはセシルの処女作なのだから、今後の公演でも大切に売ろうと計画を練っていたのに、ごっそりと全部持ち逃げされていっている。
私は裏方の子に叫んだ。
「騎士団に通報して! 泥棒が入ったから!」
「はい……!」
もう裏方の子は泣いていたし、私も端からアルコールは入れていなかったけれど、入れていたとしても酔いが醒めていただろう。
最悪だ。今日のために頑張ったというのに、まさかごっそりと盗まれてしまうなんて。私は悔しくて悔しくて、今晩は眠れそうになかった。
****
アナベルが金庫を盗んだとき、劇団ソラリスの醜聞を避けるために、騎士団に通報はしなかった。でも今回の場合は盗まれたものが多過ぎて、騎士団に連絡するしかなかった。
私は打ち上げに行っている皆に「騎士団に連絡した」「皆その場で待機、騎士団に話を聞かれたら素直に答えて」と伝えた。ついでに私は皆への各種支払いのために、またしてもウィルフレッドに借金を申し込まないといけないのが、不甲斐なくて仕方がなかった。
王都近衛騎士団が連絡を受けてすぐに来てくれ、この辺りを取り調べながらも変な顔をした。
「盗まれた物は、金庫と物販の詩集だけなんですね?」
「はい……先程確認しましたが、ここ以外荒らされていませんでした」
「泥棒は、基本的に金品になるものしか盗まないのに、無名の詩集が全部盗まれるのは変です。そこで著名なトーマス氏の脚本があるというのに」
たしかに。トーマスの人気を思えば、転売してしまえば結構な値段で売れるだろう。転売する者は死ねばいいが、それはさておいて。
その中、騎士はあたりを見ながら続ける。
「そもそも、これだけ荒らされいる場所が少ないのはおかしいんですが」
「……ですけど、以前に盗難被害に遭った際、金庫の場所も鍵も替えたんですが……」
「ちなみに金庫の場所は?」
「裏方のこの子と、劇団主催の私しか知りません」
裏方の子は、犯人だと疑われてはたまらないと、顔を青ざめさせていたが、騎士は「あなた方では金庫と本を持って逃げるのは無理でしょう」と首を振った。
「ですが、これは内部犯の可能性が高いです……しかも、詩集を盗まれたことからして、怨恨の線があります」
騎士に指摘された言葉で、心臓が飛び出るんじゃないかと思った。
「どうして……」
「そこまではわかりませんが。とにかく捜査は続けますが。事務所の引っ越しも考慮したほうがいいですよ」
騎士は言うだけ言って、今回は帰っていった。
裏方の子は泣き出してしまったので、私は慰めようと抱き締めつつも、心臓が変な音が出るのを止めることができなかった。
怨恨……まさか、アナベル?
私にずっと付いていてくれたはずなのに、突然金庫を盗んで出ていってしまったあの子。私は恨まれている謂われが全く理解ができず、ただただ混乱していた。
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