紫のバラ・2

 舞台の上が、一番客席がよく見える。

 セシルはトーマスの隣の席を宛がい、周りの記者たちからガードするように、他の裏方たちにも挟んでもらった。

 こちらの悪口を書き立てようとしてくる記者たちも、バラバラと席に入ってきた。

 私はそれを舞台袖から眺めていた。


「なんだ、ずいぶんと人が入ったじゃないか」


 皮肉屋のアレフは魔法使いの衣装を着ながら、私の隣に立っていた。私は私で髪を夜会巻きにまとめて騎士の服を着て、腰には剣を提げている。もちろん紙製の偽物ではあるけれど、振り回して簡単に折れてしまわないよう補強はしている。

 私は頷く。


「ええ、最初は私とセシルの不仲を書きたかったみたいだし、毒婦を嫁にしたことでオルブライト商会が傾いたとか書き立てたかったみたいだけどね。一部はうちの主人が記事の差し止めをしたし、一部は今日ここで叩き潰すから」

「それでうちの劇団のことを大きく宣伝してくれたらいいけどねえ」

「そうね。本当に。なんのために私が結婚までしたか、わかりゃしないわ」

「劇団守るために結婚したけど。その割には結婚生活も楽しそうでなによりだよ」


 普段から皮肉ばかり言うアレフが珍しく率直に言うのに、私はあれと思う。


「私、そこまで人生楽しくなさそうだった?」

「というよりもね、自分のプライベートすら切り売りして、舞台が人生の全てだと思っているのだとばかり思っていたから、まさか君が家庭を持って旦那とも側室とも仲良く暮らしているとは思ってもいなかったさ」


 グレームだけでなく、アレフまで突っ込むのねと思った。

 私は変わったつもりなんてないのだけれど、どこかで変わったのかもしれない。

 やがて、ブザーが鳴る。一応これは通し稽古な訳で、リハーサルとはまた異なるけれど、衣装を着て、髪型もセットしなかったら、いつもの稽古だけでは気付けない部分もある。私たちは幕が上がると同時に、それぞれの立ち位置へと移動していったんだ。


****


 今回の話は、大雑把に言うと恋愛を絡めた因習ホラーという趣の話だ。

 寒村を訪れた女騎士がそこで自警団の青年と恋に落ちるものの、この村には秘密があり、それをたびたび魔法使いに警告されているが、彼女はそれを無視する。

 全てが明かされたとき、村を滅ぼす結論を下すという内容だ。私は場面転換の詩を紡いだ。


「『蜂は飛んだ。巣箱の向こうから花畑まで

 人から見たら狭い世界でも、蜂から見れば世界の全て

 蜂は世界の広さを知らない』」


 物語の話の節々で、女騎士と魔法使いの恋愛が語られる。


「『あなたのことは必ず助けましょう』」

「『私はそんなことを望んではいません。あなたの勘違いでは?』」


 私たちが芝居を続けている中、私は客席を見る。

 記者たちからギラギラとした、こちらを値踏みしようとする目がだんだんと薄らいでいっているのがわかる。あのディーンだけはこちらの足を引っ張る記事を書こうと、舞台そっちのけでチラチラとセシルを見ているものの、セシルの席は記者たちが近付けないようにうちの劇団の裏方たちで埋めたから近付けないでいる。

 トーマスは自分の書いた脚本が具現化しているのを満足げな目で見ている中、セシルはというと、これまたとびきりの笑顔で舞台を見ていた。あの子からしてみれば、自分の詩が舞台の要所要所でそらんじられることが嬉しいのはもちろんのこと、あの子の出身地では取り立てて大きな娯楽がなかったらしく、純粋に演劇を楽しんでいるようだった。

 話は進み、クライマックスの剣戟へと話が進んでいく。女騎士が次から次へと錯乱した村人たちを殺して回るシーンだ。演劇だと当然ながら血が流れる訳ではなく、大きく殺陣をこなしながら、倒していくしかない。迫力のあるシーンだから、当然ながらきちんと練習しなければ怪我するシーンだけれど。その中で、私の手持ちの剣が相手の村人役により手から溢れてしまった。

 客席から少しだけザワッとした声が聞こえる。

 劇中にはよくあるアクシデントだけれど、いちいち騒がれても困る。

 でも舞台には尺がある。ある程度暴れ回ってからでなければ次のシーンには移行できないから、それまでは戦わなければならない。でもそのためには得物が必要だ。

 私は新しい剣を探す中、舞台上の面子にしか聞こえないような声で、既に倒れた役者が短く声で伝える。


「ヴィナ、これ拾え」

「ありがとう」


 既に倒れている自警団役から剣を引き抜くと、そのまま再び殺陣をはじめた。これで、時間は稼げたはずだ。

 何人もの相手をしたあと、ようやっと次のシーンへと繋げる。

 私たちがあらぶっている中も、演技は続いている訳だから、その間に呼吸を整えないといけない。汗を掻いていても、前髪が貼り付いていても、ひっそりと息を殺しながら整えていく。

 客席の反応を見る限り、舞台でのミスは表立って目立たなかったみたいだ……ディーンすら、こちらの足を引っ張るために見せるギラついた目の光が消えた。

 セシルはというと、激しい戦いのシーンで息を飲んで、もう自分の詩が出てくるシーンがどうのこうのと気にしている余裕がなさそうだ。

 成功だ。私は笑いが込み上げてくるのを堪えた。

 舞台は客を飽きさせてはいけない。我に返らせてはいけない。全員を叩き潰す勢いで演技をしなくてはいけない。私は全員を叩き潰すつもりで演技をしていたのだから、それがきちんと届いたのなら充分だ。

 クライマックスで話をしながら、幕が降りる。全員、息を切らしながらの終わりだった。

 幕が降りた途端、パチパチと乾いた音がした。それはセシルのものだった。続いてトーマスや裏方たちの拍手が続き、続いて記者たちの拍手が鳴り響いた。

 ……ディーンが不本意気味に叩いているのは意外だった。あれにはそんな殊勝なのはあったのか。

 そして私たちはすぐにミーティングに戻った。


「終盤のアクションは、剣がすっぽ抜ける対策は考えないといけないね」

「さすがに手に松ヤニを塗るのは、他のシーンにもかかるから無理だから、こればかりは落ちた際にすぐに拾うか、人のものをもらうしかないかと」

「台詞周りは問題がなかった。客席の視線も集められたから、間合い自体は問題ない」

「あとは照明ですかね……」


 大道具たち舞台装置の担当たちも含めたミーティングを行い、やっと開放されるものの、記者たちはもうちょっと残るのかと思いきや、客席には意外と残っていなかった。セシルは舞台が終わったあと、すぐにスカートの裾を摘まんで走ってきた。


「ヴィナ! すごかったよ!」


 私のほうにまで走ってきて、息を切らしている。私はそれに微笑んだ。


「あなたに楽しんでもらえてよかった。それに、あなたの詩のおかげで韻が踏みやすく、舞台の場面転換が行き届いてよかったわ。あなたの詩、本当に素敵だったから」

「うん……僕の書いた歌があんな風に使われるなんて思ってなかったなあ……」


 セシルはぼうっとしている中、トーマスが声をかけてきた。


「いい舞台だった、さすが私」

「トーマス。ええ、今回も本当に無茶な発注だったのにありがとう。お上に怒られないようにとは言えど、本当に無茶だったから」

「あとマルヴィナ、セシルと少しだけ話をさせてもらったけれど。彼女のために詩集の発注をしてもらえないかい?」

「……それって」

「戯曲と一緒に並べて劇場で売れないかと」


 それはこちらも願ってもない話だし、セシルがうちで燻っていても仕方がないから、他にやることができればとは思っていたけれど。


「あのう……本当にいいの? 売れるかしら……」

「売るさ。あの芝居を見たあとの客層ならば、必ず売れる」


 そうトーマスにきっぱりと言われ、私はセシルと目を合わせた。


「今回舞台に使った詩、本にまとめてよろしい?」

「……初めて、自分の詩集が出せるんだったら」


 私はトーマスに、「なんとか印刷所に掛け合ってみる」と伝えてから、やっと家路に就くことになった。

 馬車に乗ると、ふと肩が重くなる。セシルは珍しく私の肩にもたれかかってうたた寝をしていた。それに私はほうっと息を吐いた。セシルは初めて出会った頃、ふて腐れていた。どこか諦めきっていた顔をしていたけれど、今は年相応の姿を見せてくれるようになった。

 私はウィルフレッドと結婚してから変わったらしいけれど、セシルは私が側室になったことで変わったのかしら。もし変わったのなら、帰られたのなら嬉しいと思う。

 でも……それならばウィルフレッドは? 私たちが結婚してあの人は変わったのかしら。そう思いながら車窓の外を眺めていた。

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