紫のバラ

 エスターが帰ったあと、クレアは昼食を出してくれた。

 キドニーパイをいただき、紅茶をすする。朝ご飯はどうしても喉の通りがよろしくなかったものだから、がっつりとしたものを食べ、紅茶で終えたらどうにか気持ちは鎮まった。セシルはワンピース姿で私と一緒に食事をし、心配そうに「ヴィナ、大丈夫?」と聞いてくれる。


「ええ……なんだか本当に嫌だわ。ウィルのことは考えていたけれど、まさかあなたと私の不仲をでっち上げてウィルのことを陥れようとするなんて」

「エスターも言ってたけどさ、人って偏見はなくならないから。ウィルは社交界でも相当浮世を流していたのにもかかわらず、結局はヴィナ以外は全員袖にしたんだからさ。普通に回り回って罰が当たってもしょうがなかったんだよ」

「そこを突けば、簡単に人間関係も瓦解できると……」

「まあ、清廉潔白な人は清廉潔白なだけで、『そんな人間いる訳ない』って勝手にやっかみを受けて、勝手に裏を探られるんだから、どっちのほうがマシかって話だけどね。昔は泥棒をしていた人が成功を修めて多額の寄付金で貧しい人たちを救済しているって聞いて、いい人だって思う人より先に、裏がないかって探られてしまう。偏見って一生ついて回るからさ」

「……そうね」


 セシルの言葉を聞きながら、私は息を吐く。

 こんな鬱憤、早く舞台にぶちまけてしまいたい。声を張り上げ、演技をしていたら、その前ではなにもかもをねじ伏せられるのに。

 私が息を吐いている中、邸宅の前に馬車が停まったことに気付いた。クレアが出ていく。


「ただいま戻った」

「お帰りなさいませ」

「……お帰りなさい、ウィル。どうだった?」

「調査したところ、輸入品の不備も商品管理も事故でね。ここは普通に謝罪会見をすれば終わる話を、どこぞの企業にでも言われてきたのか、こちらを陥れるような内容ばかりをでっち上げようとしているみたいでね」


 クレアにコートを渡すと、不愉快げにウィルフレッドは食卓に座った。世の中の新聞記者が皆ディーンみたいになったらお先真っ暗でしょうが。火のないところに煙を立てようとするばかりの記者なんて、扇動家以上の意味なんてないでしょ。

 私がうんざりしている中、「だけれどね、ヴィナ」とウィルフレッドは微笑んだ。


「……なあに?」

「君は明日にでも通し稽古に行くといい。ぜひともセシルも伴って」

「……ゴシップ記者たちが見張っているでしょうに、いいのかしら。セシルを連れて行っても」

「むしろチャンスだ。君の演技を目の前に見せて叩き付ければいい。誰に喧嘩を売ったのかをね。それに、脚本にはセシルの詩も使っているのだから、これで不仲だというのは払拭できる。トーマスみたいな売れっ子脚本家が太鼓判を押しているのだから、権威主義の連中を黙らせられる」

「僕も見に行ってもいいの?」


 途端にセシルは目を輝かせる。私はセシルを見た。相変わらず可愛いけれど、体のラインをもう少しカバーしながら、ヘッドドレスを見繕ったほうがいいかもしれない。

 私はクレアに「セシルの服を一度全部出してくれる?」と頼んでから、ふたりでセシルの明日のコーディネイトを考えることにした。ワインレッドのドレスにはバラの造花もたっぷりと付き、黒いレースで引き締めている。その上から同じ色のケープを羽織り、お揃いのワインレッドのヘッドドレスを着ければ、元々の金髪碧眼の美しい容姿が際立って、少年らしい体のラインも消失する。


「うん、これならば大丈夫でしょう」

「……ヴィナのときよりも気合い入れてない?」

「私は見せるのが仕事だから、いつも気合いを入れているの。人の服なんて針子に発注をかけるときくらいしか見ないから新鮮なのよ」

「そういうもんなんだね……」


 セシルはげんなりしつつ、私は気合いを入れた。

 私がなんのためにウィルフレッドと結婚したのか。それは舞台のためだ。劇団を守るためだ。結婚のために劇団の足を引っ張ってはいけないし、劇団を貶めるために結婚を使ってもいけない。

 それに。私はそもそも、セシルと家族になり、この子の人生についても考えないといけないんだから。この子の才能を世に知らしめるの。

 そのためにも、使えるものはなんでも使う。パパラッチ共、来るなら来い。来るんだったら絶対に利用してやる。私はそう怒りと執念を燃やしながら、劇団に電話をした。電話を取ってくれた、劇団の小間使いのテディはおろおろとしていた。


『大丈夫ですか、マルヴィナさん。今朝からパパラッチがひっきりなしに劇団に問い合わせに来るんですが……』

「心配しないで。既に主人も記者会見をしますし、それでも納得しないようでしたら、明日にも劇団に記者が来るでしょうから、来た方々は全員席に招待してください」

『席にって……まさか舞台を見せるおつもりで?』

「ええ……全員、私の演技で叩き潰す」


 その言葉にテディが電話の向こう側で「ヒュン」と息を飲む音を聞いた。

 私は劇団の皆に「心配しないで、全部明日で終わらせる」と伝えてから、電話を切った。私は発声練習をし、体を思いっきり動かしてから眠ることにした。私が元気になったのを、ウィルフレッドはなんだか嬉しそうな顔をして見ていた。

 おかしな話ね、私は結局は王都の女にはなれないで、泥にまみれた田舎娘が全く抜けない。それを喜ぶんだから、結局はあの人が趣味が悪かったのかしらね。


****


 次の日、私は若草色のドレスを着て、同じ色の帽子を被り、荷物をまとめた鞄を持った。隣には昨日見繕ったワインレッドのドレスを着たセシル。クレアはペコリと頭を下げた。


「行ってらっしゃいませ」

「ええ、行ってきます。セシル、行きましょう」

「ええ……」


 久々に外に、それもウィルフレッドがいない場所に行くせいか、セシルはどこか小さくなっている。自分の詩を舞台で披露されるからもあるのだろう。


「緊張してる?」

「……今まで、ウィルの正室の仕事をさぼってきたから。でもウィルの正室の座にあぐらをかいて守ってもらわなかったら、どうにもならなかった。ひとりで歩くのはなんだか怖いね」

「そうかもしれないわね。でも多分、あなたはもっと自分の足で歩けるはずよ。あなたの詩は素敵だもの。あなたの詩を私は舞台で思いっきりそらんじてあげる。私の舞台を見てちょうだい」


 その言葉にセシルは驚いたように顔を上げてから、破顔した。


「君は本当にすごい人だね」

「これくらいは褒められることではないわ」


 私たちはそう言い合いながら、馬車に乗り込むと、劇場へと向かった。

 案の定と言うべきか、今朝に執り行われたはずのオルブライト商店の記者会見でも納得いかず、集まった人たちでごった返していた。

 私とセシルが「通してください! 劇場に入れません!」と声を上げると、こちらに一斉に視線を浴びせてきた。それにセシルは体を小さくしたものの、私は逆に声を張り上げる。


「主人のことでなにか聞きたいのでしたら、どうぞ舞台にお越しくださいませ。主人も私たちも、嘘はついておりません!」

「あれが……オルブライト氏の正室!?」

「小さい……華奢……紫のバラと真逆だな」


 周りはざわついているのを無視して、私はセシルの腰に腕を回して、この子を守りながら劇場へとどうにか入った。

 通し稽古のために、既に衣装を着た皆が集まっていた。こちらを見て、周りは慌てて寄ってきた。


「マルヴィナ、本当に大丈夫だったかい? また好き勝手書かれたようだが……」

「ええ、ええ。主人も調べましたが、新聞に騒ぎ立てられただけで、大事にする話ではなかったようです。今は私とセシルの不仲をすっぱ抜きたいようで」

「彼女が……君のところの正室かい?」

「はい。稽古の見学に伺いました。よろしいですか?」

「それはもう。客席に座って、意見をくれるかな?」

「は、はい……」


 セシルは久々の大人数の人と出会って、少し震えながらも、なんとか席へと移動してくれた。私も急いで衣装に袖を通す。女騎士の役だから、衣装自体は比較的簡素だ。その上作り物とはいえども剣を振り回す役目だから、演技も大味にならないよう計算しないといけなくて大変だった。

 客席には脚本のトーマスや裏方たちに加え、劇団の外で暴れ回っていた記者たちも少しずつあら探しのために入ってきた。

 見てなさい。全員叩き潰してやるから。私は皆と「それじゃあ、皆さんに見てもらいましょう!」と声を上げた。

 さあ、幕が上がる。

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