ゴシップ新聞は飛ぶように売れる

 次の日も仕事だから、手加減はしてくれたとは思うけれど。

 いつかのときのように、足腰立たなくなるまで抱かれることはなく、ただ私は自分の腰に巻かれた腕をどうにか取り払って、彼の寝顔を眺めていた。


「……私、思っているより好かれてたのね」


 この人は私を好きだと言っていても、それは価値があるからだと思っていた。私にはもう上都したばかりの子の持つような輝きはないけれど、それでも王都で勝ち抜いてきただけの自負と自信は備わっている。

 私はどこまで行っても田舎者で、そこを見透かされたら多分ウィルフレッドは幻滅するんだろうと思っていたけれど。そうでもなかった事実に、私はただ唖然としている。

 好かれていて嬉しいとは思っていても、未だに彼に対する感情はままごとの延長線上で、自分でもこの気持ちをそのまま彼に伝えては駄目だろうと思っている。多分、彼のことを嫌いではないことだけはたしかだ。

 私は「ウィル、着替えたいんだけど」とベッドから抜け出そうとしたら、途端に手首を掴まれた。そのまま引きずり込まれそうになるのを、必死で振りほどく。


「せめて朝食前のトレーニングくらいはさせてちょうだい」

「……ん、せっかく気持ちが通じたところなのに、せめて朝寝くらいはできないかい?」

「あなたはそんな余裕あるんでしょうけど、私にはそこまでの余裕はないのよ。もうちょっとしたら通し稽古で、セシルも招待するんだから」

「手厳しいね、ヴィナは本当に」


 せめてもとキスをしたがるウィルフレッドに、なんとも言えずにむず痒くなった私は、せめてもと彼の前髪をすいて、額にキスをした。


「なら、起きてちょうだいよ。一緒に朝ご飯食べましょう」

「……それならば、おはようヴィナ」


 こうやっていちゃいちゃしながら朝に起きることなんて、なかったと思うんだけど。

 私はひとまず自室に戻ってトレーニング用のラフなシャツに乗馬ズボンを穿いて、庭で走り込みをしている中。

 ポストにバスンと音が響いたことに気付いた。新聞だ。

 私は取りに行くべきかどうかと迷っていたら、先にクレアのほうが家から出てきて取ってきてくれた。


「ありがとう」

「仕事ですから」


 クレアはそう言って、静かにウィルフレッドの元に新聞を届けに行った。ここの家事はあらかたクレアがひとりでやってくれているんだからありがたい限りだ。彼女が人形なのは人形師が面倒見てくれていたからわかっているはずなのに、それでもときどき信じられなくなる。

 私がしみじみ思いながら、体操をし、体温を少し冷ましてから、部屋に戻ってドレスに着替える。朝ご飯を食べたら、そのまま稽古に行くつもりだったのだけれど。

 今日の朝ご飯はエッグベネディクトに焼きトマト、マフィンにベーコン、ハーブのサラダを食べていたのだけれど。新聞を読んでいたウィルフレッドの気配がみるみる厳しくなってきた。


「……ヴィナ、悪いことは言わない。今日は全ての予定はキャンセルなさい」

「ええ? でも、今日は稽古が……」

「これを見なさい……さすがに私もこればかりはちょっと予想外だった」


 ウィルフレッドは「やられた」と歯噛みしながら、新聞を差し出してきた。

 そんな、ウィルフレッドがやられたと思うような内容って。実際に辺りに電話をして、新聞記事の差し戻しを申請していたはずなのに、それを無視されるような内容っていったい。

 私は気を揉みながら新聞を読み、唖然とした。


【オルブライト商店、輸入品に不備か】


 その記事に愕然とした。

 その新聞記事によると、ウィルフレッドの会社で扱っている商品の不備をちくちくと語っている。私もウィルフレッドの会社の商品の宣伝をしていたことがあるからわかるけれど、輸入品を取り扱うときは、相手国の説明は必ず受けてから宣伝をしている。私が知っている商品の中で、不備や不具合はなかったはずだ。


「そもそもこれ……ウィルの会社の商品じゃないじゃない」

「ああ……うちが店先を貸した会社の品の不備だよ。すぐに電話する。記者会見を早急に開かないと、本当にあることないこと書かれかねない」

「ええ……お気を付けて」


 ウィルフレッドはすぐに電話に出て行ってしまい、せっかくのクレアの朝ご飯は半分ほど手つかずのままだった。

 私はなんとも言えず、ひとまずは彼の電話が終わったら、自分も劇団に謝罪の電話を入れないといけないと思い至る。

 よりによって、本番直前の稽古でこんなことになるなんてと、悔しくてたまらない。


****


 朗読をしても、空で演じていても、相手がいないとどうにも上手くいかない上に、邸宅の周りはあまりにも新聞記者が詰めかけてきていて、とてもじゃないけれど集中できなかった。


「オルブライト商店の不備について、なにかご意見は?」

「主人は今留守です。お帰りください」

「今まで一代で財を成すほどの勘が冴え渡っていたオルブライトさん、悪妻を取ったが為に勘が鈍ったともっぱらの評判ですが、これに対して意見は?」

「主人は今留守です。お帰りください」

「正室側室共々関係は冷え切っているともっぱらの評判ですが?」

「主人は今留守です。お帰りください」


 それはそれはもう、どさくさに紛れてゴシップ記事を書くべくディーン以外にもゴシップ記者たちが詰めかけてきて、そのたびにクレアに「お帰りください」を無視して門を突破しようとするのまでいる。


「……これ、どうすればいいの」

「今の新聞ってさ、探偵小説みたいな醜悪な事件の連載か、金持ちのゴシップ記事かじゃないと全然売れないから。今までどれだけゴシップを書き連ねてもリカバリーしてきたオルブライト商店が珍しく失点を出したから、新聞の売り上げのために必死なんだよ」


 今まで再三再四ゴシップ記者の突撃を見守ってきたセシルは、冷めきった顔で窓から正門に集まってきた記者たちを見守っていた。

 一応これ以上は富裕層の住む区画に滞在している騎士団がすっ飛んでくるから、中までは入ってきてはいない。でもこれ以上熱気に包まれたら、誰がいつやらかすかわかったもんじゃないからヒヤヒヤする。

 ウィルフレッドは失点をリカバリーのために、すぐさま馬車を呼んでどこかに行ってしまったけれど。記者会見をするとなったら多分そっちに行ってくれるとは思うけど。

 私が歯噛みして窓の外を眺めている中、いきなり記者たちのつくる人波が割れたことに気付いた。


「あ、あれ……?」

「あー……今日はそういえば、定期メンテナンスの日だったね」

「定期メンテナンスって……クレアの?」


 そう思って下を見下ろしたら、相変わらず黒ローブを着たエスターは困った顔で外を眺めていた。

 ああ……クレアの定期メンテナンスに来たのに、クレアが今正門を離れたら、いつ人が屋敷内に押し寄せてくるかわからないからかあ。


「……さすがにこれ以上は、もたないわね。ちょっと行ってくる」

「ええ……やめなよヴィナ。君が撮られてしまったら、今ウィルが頑張っていることが無駄になるよ?」

「そうだけれど、そもそも平民で一般人……ではないかもしれないけど……のエスターを巻き込む訳にはいかないでしょ。彼女はただメンテナンスに来ただけよ」

「あの人魔女だから、これどうにかできるでしょ」

「魔女で魔法が使えるからって、なんでもかんでも頼ったら可哀想でしょ。行ってくる」


 私はセシルが止めるのも聞かずに、下に降りてエスターとクレアを屋敷内に入れるべく出ていくことにした。

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