夫婦になって思うこと

 セシルは困った顔のまま、私に尋ねた。


「気味が悪いのに、結婚を了承したの?」

「仕事の上では一番信頼できる人だったから。プライベートではできる限り関わりたくない人だったけれど、あのときはこのままだったら劇団の皆を王都に放逐しないといけなかったから、背に腹は代えられなかったんだもの」

「うん……うん……」


 セシルは私の頭を撫でる。それに戸惑った。


「なんというか、ヴィナは紫のバラを演じているときは凜々しいけれど、基本的には世間知らずの姉ちゃんだよね」

「セシル、それって私を馬鹿にしているの?」

「してないよ。ただウィルは教育方針をまるっと間違えたまんまここまで来たんだなと、ウィルもヴィナも可哀想だなと思っただけで」

「……そんなに可哀想なこと、ないと思うんだけど」

「うん。でも、パパラッチにしゃべりかけられたってことは、なにかしら記事にできるネタができたのかもしれないからさあ、このことは記事差し止めのことも兼ねて、きちんとウィルには言った方がいいよ」

「……ありがとう」


 そうこうしている間に、ウィルフレッドも帰ってきた。


「ただいま、ヴィナももう帰っているのかい?」

「お帰りなさいませ。はい、マルヴィナ様はセシル様と現在お話中です」

「……セシルにはいつも優しいからね、ヴィナも。できれば私にも少しはその優しさを分けてほしいものだよ」


 ウィルフレッドとクレアの段下の会話を聞きながら、私はなんとも言えない顔になった。本当にこれで好かれているのかどうか、わかるのかって話。

 私は「お帰りなさい」と降りていくと、クレアが「マルヴィナ様、マロウティーです」とハーブティーを差し出してくれた。ウィルフレッドは私が酒で酔っ払っているのを見て、顔をしかめた。


「ヴィナ、外で飲むなとは言わないものの、顔に出るまで飲むのはいただけない」

「ごめんなさい。今日の通し稽古、本当に楽しかったから。行きつけのパブの個室で飲んでたから、劇団の役者以外はいないわ。男性は若手か既婚者しかいないから、なんの問題もないもの」

「そういう問題じゃなくってね……」

「……でもウィル、私。さっきディーン……王都新聞のパパラッチに捕まったの」


 それを聞いて、ウィルフレッドは眉間に皺を寄せた。


「……ヴィナ、揺すぶりをかけられたかい?」

「……ままごとみたいだって言われたわ、私たちの結婚生活のことを」

「……今ちょっと王都新聞に問い合わせる。クレア、私の夕食は明日に回してくれ。代わりにサンドイッチを」

「かしこまりました」


 そのままウィルフレッドは執務室に駆け込んでしまった。多分電話でもろもろに問い合わせや指示出しをしているのだと思う。

 彼がピリピリしているのを見ると、私はディーンとのやり取りで、下手にボロを出してないかが気になった。これでウィルフレッドの商店にまで迷惑をかけるのは困る。

 胸が痛くなっている中、階段からセシルが降りてきた。


「あんまり気にしなくっていいよ。パパラッチにあることないこと書かれて、商店に汚名を着せられても、いつだって挽回してきたしさ」

「セシル……そりゃウィルの腕は心配してないけど……でも彼も人間なのよ」


 私がそう窘めると、セシルは意外なものを見る目で私を見てきた。


「……なに?」

「ううん。ただ、ヴィナは恋愛的な意味では、たしかにウィルに対して冷た過ぎるのかもしれないと思っていたけれど、人間としては普通に好きなんだなと思っただけで」

「……そうね、たしかに恋愛的なときめきは、彼に全然感じてはいないわ。でも」


 昔からそうだ。私が間違えかけたら、引き止めに来る。彼の場合、失敗するしないの瀬戸際で来るから、転ばぬ先の杖にはならないけれど、完全に失敗していろんなものを失う前にやってくるから、自分の馬鹿さや愚かさをそのときにいつも思い知る。

 彼はなんでもかんでも自分の力で解決して、私に全く失敗させない訳じゃない。むしろ失敗する瀬戸際で来るからこそ、私は彼の力の大きさやすごさ、私を完全に自分の中に取り込んで自分の人形にしないところを、深く尊敬している。

 私はクレアがくれたマロウティーをひと口飲む。落ち着いた青い色に、落ち着いた味が体に深く染み入る。


「……信じてはいる。本当に恋愛的に全く信じてないのにね」

「ふうん。多分、それを言ってあげればいいんじゃないの? 電話が終わったら」

「私が言って喜ぶのかしらね、あの人も」

「さあ? 言ってみたらいいんじゃない」


 セシルにそう言われ、私はマロウティーを飲み干したあと、寝室へと向かう。

 普段はふたりとも仕事の関係で寝室すら分けてはいるものの、今日に限ってはウィルフレッドの部屋に向かったのだ。

 ベッドの縁に座り、彼の匂いを嗅ぐ。仕事のために彼はいつもウッドテイストの落ち着いた匂いを纏わせている。その残り香が部屋のあちこちに染みついているのを嗅ぎながら、私はポンとベッドに転がった。そのままゴロゴロしていたところで、ようやっと電話が終わったらしいウィルフレッドがやってきた。彼は私が自室のベッドでゴロゴロしているのをぎょっとした顔で見ている。


「ヴィナ……どうしたんだい、こんなところで」

「ウィル。いえね、あなたにお礼。私が面倒ごとを押しつけてごめんなさいとありがとうと思ってね」

「そんなことしなくても、どうせあのパパラッチは王都の金持ちの醜聞をあることないこと書き出すから、あまり気にしなくてよかったのに」


 そう言いながら、私の転がる隣に腰を落とした。私は転がったままウィルを見た。彼は酒を入れてないようで、平常心のまま。ただ困惑して私を見下ろしていた。私はどう言えばと考える。


「結婚してちょっと時間が経ったけれど、私たちちっとも夫婦らしくならないわね?」

「そりゃそうだ。君は私よりも舞台に夢中だし、私もそれでいいと思っているのだから」

「でもそれ、私は元々田舎者で、なにもかもあなたからもらってばかりで、いつまで経っても公平な立場になれないわ。そしてあなたは私が頭が悪いから、それを見かねて私の面倒を見て、いつの間にやら保護者やパトロンの立場に甘んじてしまい、それより上を求めるのをどこかで諦めてしまっている。違う?」


 ウィルフレッドは私の言葉に、途端に泣き出しそうに目尻を歪めた。この人は取り澄ました顔も崩せるのだなと、今更ながら気が付いた。

 私はそんな彼の顔を眺めながら続けた。


「私も気付いたの。このままじゃおままごとから先に進めないと。体は既に繋いだのにね、どうしたらいいのかしら。このまま互いに思っていることをさらけ出す? でも残念ね、私、あなたを傷付ける言葉以外出てこないもの」

「……私は逆だよ。君に向ける言葉が、本当にちっとも言葉に納まらないんだから」

「あら? それだけ文句があるってこと?」

「……違うよ、私の紫のバラ」


 そう言いながら私の首をくすぐってきた。それに私は目を細める。


「私、猫じゃないわ」

「君が猫だとしたら、君の気まぐれも諦められたのかもしれないけれど、君は猫ではないから、どこまでも私を苦しめるね」


 彼の手はペンだこのせいでどことなくゴツゴツしている。その指で撫でられながら、私は彼を見上げた。


「好きのひと言じゃ表せないよ。嫌いでもあり、憎くもあり、好きであり、大切であり、苦しくて、そしてなによりも愛している」


 それはもし、私が全く恋を知らず愛も知らず、もっと人間を知らなかったら、彼は間違いなく幻想の紫のバラを私に押しつけていたのだろうと思って、その時点で彼の感情を諦めていただろうけれど。

 さすがに私は、ウィルフレッドに向けている感情が恋愛ではないだけで、恋も愛も地元で覚えてきているから、彼の言葉を普通に受け取れる。

 好きな相手に綺麗な感情ばかり向けるのは、必ず愛しているからではない。嫌いでも、憎くても、それでも好きになるから苦しいんだ。


「私、思っている以上にあなたの愛されていたのね」

「……伝え方が悪かったかい?」

「そうね。私、あなたが私に向けている感情がなんなのかわからなくてずっと気味が悪かったけれど、今やっとその気味の悪さから解放されたみたい」


 そう言った途端にウィルフレッドは少年の顔になって私にキスをしてきた。

 初恋はもっと晴れ晴れとしたものだと思っていたけれど、彼の持つ少年みたいな初恋は、どうにも気味が悪くて歪で、私にしか通用しないものだったらしい。

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