突きつけられた命題

 パパラッチがこっちのなにを知っているんだ。

 私のこと、なにも知らない癖に、さも知っていますと言いたげに嘲笑って、こちらの気持ちを勝手に決めつけて、周りの人たちを勝手に決めつけて、当て書きで記事を書いてこちらをおもちゃにして笑い飛ばしている癖に……!

 腹が立ったものの、なにをどう腹が立っているのか、頭の中がぐちゃぐちゃで、上手いことまともな思考にならなかった。

 酔いが回っているせいかもしれない。

 やがて富裕層の通りが見えてきた。

 魔法灯の灯りを頼りに、私はオルブライト邸を目指して走る。

 ようやっと見知った邸宅を見つけたとき、普段ならベルを鳴らすのに、私は思わず柵をワンピースのまま乗り越えてしまった。柵の音に気付いたクレアが邸宅の扉を開けて寄ってきた。


「お帰りなさいませ奥様。柵を登ってはいけません」

「ごめんなさいクレア。ただいま。少しお茶をいただける? 酔い覚ましになるものを」

「かしこまりました」


 クレアは私を招き入れ部屋まで連れて行ってくれると、ワンピースを脱がす手伝いをしてくれ、ガウンを用意してくれた。

 クレアがお茶を取りに行っている間、私は窓の外をぼんやりと眺めた。灯りがポツポツ灯っているのだけが見て取れる。

 上手いこと頭が回らない中、扉が叩かれた。お茶ができるにはまだ早過ぎるけれど。


「はい、誰かしら?」

「ヴィナ? 大丈夫?」


 それはセシルの声だった。私はその声にほっとする。

 今はウィルフレッドと顔を合わせても、どんな顔をすべきかわからなかったから。


「はい、どうぞ」

「入るよ」


 セシルはネグリジェ姿で、私の部屋に入ってきた。


「お帰り。窓の外見て驚いたよ。僕、ワンピース姿で柵を乗り越える人、初めて見た」

「王都でそんなことする人いないわ。私の故郷にはそこそこいたけれど」

「そういえばヴィナは王都の外出身だったよね。どんなところだった?」

「……そうねえ」


 そういえばこんな話、誰にもしてなかったように思える。

 別に故郷が嫌いな訳じゃない。不満があった訳でもない。ただ、なにもなかったんだ。


「基本的に郊外のどことも変わらないわ。娯楽なんてなにもない、畑と家と家畜しかない場所だった。本当にたまにやってくる商人が開く市場と劇団一座が披露する芝居くらいしか娯楽のない、そんな場所。ワンピースだって、一年に一度一張羅を買って、それをすり切れるまで着て一年持たせるの。結婚装束だって基本的にいい普段着を買って、それは特別に二年ほど着られるようにするような……本当に普通過ぎる田舎だわ」

「ふうん。多分それ、僕の故郷の平民と変わらないね」

「あら。だったら多分、娯楽を全く知らない者同士だったのね、私たちは」

「そうかもしれないね。で? ヴィナが泣きそうな顔で帰ってきた訳はなに? 誰かに君の故郷のことで揶揄されたの?」


 セシルの言葉はどこまでも優しい。

 ……この子の言葉を聞いていたら、私のほうが年下なのにどこまでもどこまでも甘えたくなるから駄目だ。

 私は吐き出した。


「……ままごとだって言われたわ」

「え?」

「結婚生活。ままごとだって言われたわ。私とウィルの結婚を。知っていたわ。私たち、なにか致命的に噛み合ってないもの。私、お金のために結婚したわ。あの人私にお金の面ではなにひとつ不自由させてないもの。それでわかってるわ。それで満足しているわ。なのに。それをいちいちおちょくられる意味がわからないの……!」


 ディーンに言われたことのなにがそこまで嫌だったのか、私は私でも理解できず、ただ混乱を鎮めようとすると、勝手に涙腺が壊れて涙が溢れて止まらなくなる。涙は舞台でだって

、よっぽど感極まらないと泣き出さないのに、今の私は酒も残っているのか、どうにも様子がおかしい。

 私がわんわん泣き出すのを、黙ってセシルは肩をトントンと撫でる。そのトントンとするリズムで、私も少しずつ落ち着いてきた。


「……気持ちはわかるよ。僕がウィルに嫁いだのだって、借金完済のためだったし、君だってお金で首が回らなくなったからウィルの提案に乗ったんだしね。僕の場合は、そもそも姉さんの身代わりだったからともかく、君は君を身売りしたようなものだから、いろいろ思うところがあったんだろうね……」

「ええ……」

「ところで前から聞きたかったけど、君はそもそもウィルをどう思っているの?」

「え?」


 本当に唐突に尋ねられ、私は言葉が止まった。

 どう思っていると聞かれても、今も昔もあまり変わらないのだ。変わらないから、困っているとも言う。


「……気持ちが悪いわ」

「まあウィルは気持ち悪いけど。粘着質で。君は?」

「私のことが好き過ぎて気持ち悪い」

「そうだね」

「あとあの人が紫のバラが好きなのか、私が好きなのかわからなくって気持ち悪い」

「まあ、君とウィルは付き合いが長いからね。でもそれって、もし女優としての紫のバラじゃなくって、君のことが好きだった場合どうするのさ」

「どうって……」


 そんなこと言われてもと思う。

 ウィルフレッドはそもそも、私が上都したばかりの頃からの知り合いなのだ。私が手紙を書いた劇団に行こうとした際、私のことを引き止めてくれた人。

 私は元々旅をしていた劇団一座に入りたかったけれど、その一座の座長から止められたのだ。「ここはほぼ身内同然ですから、あなたがいきなり入ったら困ることの方が多いと思います。それなら王都に出て、そこの劇団に所属してイチから芸を身につけたほうがいい」と。今思うと旅をする劇団一座の場合はほとんど生まれたときからその一座のこと以外知らないというほどに、生まれたときから芸を染み込んだ生活を送っている人たちばかりなのだから、そりゃ止めるんだけれど、故郷にいた頃の私はそんなことを知りもしなかった。

 王都の劇団という劇団を調べて、片っ端から手紙を書いた。そのほとんどは返事すらくれなかったけれど、一件だけ返事をくれたところがあったから、私は上都を決めたけれど。

 そこの名前を告げた途端に、ウィルフレッドは「あそこはやめておいた方がいい」と止めたんだ。


「あそこは若くて美しい女優を貴族の接客に使うことで知られているからね。ましてや君は王都の常識を知らないのだから、いいように使い捨てられる。だから辞めておきなさい」

「でも……そこしか手紙の返事がなくて」

「入団試験を受けさせてくれる劇団はあるから。試験を受けさせるだけの時間は与えるから、いきなり飛び込むのはやめなさい。女優になるため遠路はるばる王都までやってきたんだろう? 君はまず王都の常識に慣れながら、少しずつ役者の勉強をすればいいさ」


 こうして、私のためにアパートメントの契約までしてくれ、彼の支援で私は入団試験に合格したのだ。

 たしかに正攻法で入団した劇団は私に無茶な接客はさせなかったし、役者としてのノウハウを叩き込んでくれた。

 彼は私を商品の宣伝に使うために頻繁に社交界に呼んでくれたから、そのおかげで商品の宣伝だけでなく、顔も売れるようになった。

 少しずつ、少しずつ女優としての実績を積んでいき、私の名前も売れるようになった。

 彼は最初から最後まで私に親切だったけれど……その理由がわからずに、今も昔もずっと気味が悪い。

 そこまで考えて、私はセシルに困った顔で振り返った。


「……私、ウィルのこと」

「うん」

「本当にずっと気味が悪いと思っているみたい」

「……うん」


 私の返事に、本気でセシルは困った顔をした。

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