束の間の休日
最初のときは無茶苦茶にされ、丸一日足腰が立たなかったというのに、さすがに私が全く身動き取れないのに反省したのか、ウィルフレッドも手加減してくれた。おかげで今日は体操をして柔軟をして発声練習までできるくらいには快調である。
「朝から元気だね、ヴィナは」
「ええ。おかげさまで。一日訓練を怠ったら、その分声が出なくなって舞台に立てなくなりますから」
「それは厳しい。たしか今日は家に帰るまではスケジュールは空いていたね?」
「ええ」
体を寝間着姿で振り回しているのを、ウィルフレッドは苦笑気味に眺めていた。
ふたりっきりなのだから、ここで口説き落としてくるのかと思ったら、夜に体に尋ねてきた以外のことはしてこない。
新婚ってここまで淡泊だったかしらと考えてみても、うちの劇団の役者たちも相当の演劇馬鹿しかおらず、伴侶もそれに付き合えるような頭のネジが何本か飛んでいる者しかいないから、参考には全くならない。
私が考え込んでいる中「なら」とウィルフレッドがガウンを羽織りながら微笑んだ。
「一緒に買い物に行かないかい?」
「それ、デートのお誘い?」
「私はそのつもりなのだけれど、ヴィナはどうだい?」
「というより、私があなたと買い物に出かけてよろしいの? その……」
正直、この数年私物の買い物は付き人に頼んでいたし、劇団の買い物は業者に直接頼んでいたから、買い物に出かけたことがほぼなかった。
前に少し買い物をしているところをディーンに取られ、【オルブライト商会との契約違反ではないか】とあることないこと書かれて、その火消しでウィルフレッドをずいぶんと困らせてしまったことがある。
世の中、火のないところに煙を立たせたい人が大勢いる上に、私も王都では名の知れた女優だと自負している。それがはしゃいだことをしていいんだろうかと、つい考え込んでしまったのだ。
だけれどウィルフレッドは「すまないことをしたね」と逆に謝ってきた。
「あのときは、君が必要なもの、君が買いたいものを私が工面できなかったから」
「いえ……あなたの商会のライバル店の紅茶を買いに行った私に落ち度がありましたから。あなたにも迷惑かけましたし」
「いやいや。あの炎上騒ぎのおかげで、売上が上がりましたからケースによりますよ。でもあなたがパパラッチを気にしてらっしゃるのでしたら、会員制の商店がございますから。こちらに案内すれば、一介の新聞記者では入れなくなりますよ」
そうさらりと言う。
ウィルフレッドは豪商なのだから、その手の伝手は普通に存在するんだよなと今更ながら実感する。私は考え込んだ末、「ならお願いします」と言った。
「了解しました。ヴィナは昨日のダンスにずいぶん夢中になっていたけれど、異国風の服には興味があるかな?」
「あります。あの布地や服、見せてもらえるかしら?」
「ええ、ええ。ならそれを身に参りましょうか。うちだと服飾系はあまり取り扱っていませんし」
こうして、私たちはここの主人からの朝食の誘いに応じて談笑してから、目的の会員制の店へと足を運んだのだった。
****
王都の中でも比較的富裕層の多い通り。
特に王都の場合、富裕層のほとんどは郊外に邸宅を構えているため、王都自体は商人や一般庶民以外は住んでいないため、このような富裕層以外通りというのは、王城の付近以外はほぼ見当たらない。
王城に目的のある貴族や豪商のご用達の店。その手のものが並んでいるのが。
私も王城に招待されて公演をしたことがあるものの、それ以外では散歩感覚でこの辺りを訪れることはまずなく、ウィルフレッドに馬車を出してもらわなかったらまず行かなかっただろう。
「すごい……」
「そりゃもう。国王のお膝元というのは、常に煌びやかでなくてはいけないからね」
ウィルフレッドに謳うように言われている。たしかに他の通りと比べてみても、掃除の行き届き方も通り過ぎる人々の服装や身だしなみも、ひとつ抜けている。
やがて到着した大通りの一画。そこは古い建物を何度もリノベーションしているのがわかる。門番に「会員証は?」と尋ねられると、ウィルフレッドはさっさとカードケースを見せた。
「たしかに確認しました。オルブライト様ようこそお越しくださいました」
そう言って私と一緒に通してくれた。
「……こんな物々しい店、私初めて……」
「会員制の店は、基本的に既に会員になっている者の招待がなければ入れないからね。そのおかげで、店の品位を一定数保っているのさ。さあ、ヴィナの目的のものを見に行こう」
「ええ……」
漂っている香りは異国情緒溢れる香水に、スパイス。
通されたのは、よく管理された庭に、その庭を眺めながらたくさんの商品を見られるようになっている展示会だった。
出展している商会はどこも王都では名の知られた一流商店ばかりで、私が目を奪われた服飾の店もたしかに存在した。
「素敵……」
「異国風の染色技術は独特だからね。この国も産業革命以降様々な染色ができるようになったものの、デザインのパターン自体はそこまで多くはないから。すみません、ここの布地を数枚ほど、彼女に見せてはくれませんか?」
「かしこまりました」
どこの店員もさすがは一流だ。私の顔を見てもなんとも言わない。
普通に通りを歩いていたら、声をかけられてなかなか身動きが取れないのだけれど、こうやってのびのびと品を確認しながら買い物をするのは、故郷で行商から買い物をしていたとき以来だ。
私はうきうきしながら、出された布地を見る。
深紅の布地に金色の色で蔦の柄が抜かれて染められているもの。深緑の布地に白い花の模様が抜かれているもの。どの模様も複雑な染め方で、たしかに産業革命以降いろんな染め方が考案され、社交界のドレスも一気に華やいだ今でも難しい染色技術の物が多い。
その中で、私は異国の花模様の黄色い布に目を留めた。私の髪の色は銀色だし、これならば似合いそうだ。
「これ……異国風にどうやって着こなせばいいか教えてくれませんか?」
「かしこまりました。こちらは……」
そうこう言っている間に、日焼けした女性が出てきて、私を更衣室に案内してくれ、異国混じりの言葉で着替え方を教えてくれた。
薄いシャツを着て、その上に布をくるりと巻く。余った布のまとめ方や留め方なども教えてくれ、私に姿見を用意してくれた。
「ほう……素敵」
異国の服を着て、それをよく思わない人もいるけれど。この商人のところの女性は懐かしそうな顔をして喜んでいた。
「どうぞこの国の服を着て、この国のことに思いを馳せてください」
「ありがとうございます。本当に素敵です」
「はい」
彼女が心底嬉しそうな顔をしているのを見ながら、私はウィルフレッドに見せに行った。 彼はしばらく私のほうを見たあと、少しだけ目を細めた。
「ヴィナ。この服は私と君のふたりっきりのときに着てくれないかな」
「ええっと……」
「君が異国贔屓なのはわかるけれど、まだまだ偏見というものは抜けきらないからね。君が興味あるからと持ち込んだものを、誰もがまだ受け入れられる訳ではないのだから」
私はこの国のダンスや衣装、食事についても興味があるし、実際にこの国の料理や飲み物についてはウィルフレッドに言われるがままに宣伝したことがあるけれど。これだけ珍しく咎められることを言われたのは初めてだった。
ただ、私はそれに少しだけ嬉しくなり、「はい」と頷いてはにかんだ。
「ヴィナ?」
「いえ。あなたが私のこと、思っているよりも伴侶として扱ってくれていたのねと思ったから」
「私は君を手に入れたときから、君のことは妻として扱っていたつもりだったけれど」
「だって、あなた。私のことを人形にしたいのだとばかり思っていたから。人形には、わざわざ咎めたりしないわね?」
そのことにひどくウィルフレッドは目を見開いていた。
私は彼のこと、思っているよりもずっと気に入っていたのかもしれないと、今更思い至った。
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