稽古と同伴
脚本が無事印刷所で刷り上げられ、私はその内容を確認する。刷り立てのインクの匂いがかぐわしい。
私はそれらを読み、トーマスが付け加えた部分を確認する。
たしかに話の隙間隙間に詩をそらんじることで、場面転換がスムーズに行き、話の緩急が前よりもわかりやすくなっている。
屋敷に戻ってから、私はそれを読み上げはじめると、セシルがドアを叩いてやってきた。
「ヴィナ? それが僕の詩を使った脚本?」
「ええ。今回は少し戦闘の場面も入るから、結構大がかりな話になるけれど、あなたの詩のおかげでいい具合に緩急がついている話になっていると思うわ」
「君が読み上げてからでいいから、脚本を読んでいい?」
セシルはセシルで、初めて自分の詩が舞台に使われることになったのだから、真っ白な肌をバラ色の紅潮させて興奮しているのがわかる。可愛い。
私は「ええ」と言いながら、背筋を伸ばした。
秘密に塗れた村に滞在することになった、女騎士の役が、今回の私の役回りだ。
「蜂は花に、花は蜂に。蜜を求めて次から次へ。この美しい光景のなにがここまで口を閉ざさなければならないのでしょうか」
美しいはずの村が、ある秘密が解けた瞬間、一気におぞましい村へと変わる。
その様を女騎士の目線で淡々と語るその話を、セシルは興奮したような顔で見ていた。
「……すごいね、ヴィナ。今はドレス姿のはずなのに、まるで一介の騎士のように見えた」
「そうね。この話の主人公は女騎士だから、そのような立ち振る舞いをしなければならないんですもの」
「すごいね……脚本、読んでもいい?」
「ええ」
セシルが読んでいる間に、私は部屋で少しずつ覚えはじめた脚本をそらんじていた。
読み合わせまでにある程度は話の流れや他の役者の台詞回しまでを覚えないといけない上に、舞台の主催として、どんな空気に演出するかも、演出担当に指示を仰がないといけないから、やらなければならないことが多い。
そうこうしている内に、セシルは興奮したように寄ってきた。
「すごいね、面白い。僕の詩が浮いてしまわないか心配していたけれど……本当によかった」
「あら、多分トーマス……今回依頼した脚本家も喜ぶと思うわ。セシルは脚本のほうには興味はないの?」
「うーん……僕、詩を書くのは好きだけれど、話をつくるっていうのには向いてないと思うんだ。だから詩を書きたい」
「そう」
私はそうこう言いながら、「それで、読み合わせがあるのだけれど、そこに来る?」と尋ねると、セシルは「うーん」と腕を組んだ。
「舞台の通し稽古が見たい……じゃ駄目?」
「あら……あなたの詩が見たいのかとばかり」
「僕の住んでいるところ、芝居小屋がときどき来る程度じゃなかったら舞台を見る習慣がなかったから。王都にまでわざわざ来ても、舞台を見て帰ることもなかったし。だからできれば舞台のある程度完成されているのが見たいんだ」
「なるほど……わかったわ。そのことはうちの役者たちにも伝えておく」
途端にセシルが嬉しそうにはにかんだので、私も微笑んだ。
詩で食べていくのは、よっぽどの才能がないと無理だけれど……トーマスの脚本は舞台が終わったあと、売店で飛ぶように売れる。それと同じように作中で使われた詩集も売れないかしら。前にウィルフレッドが教えてくれた助言について、今度トーマスにも相談してみようと思い立った。
****
さて、その日の夜はウィルフレッドと共にパーティである。
基本的に社交界ではペアで行くのが通例。独身貴族を謳歌していたウィルフレッドが、こうしてパートナーを連れてくるのは、今回が初のはずだ。
「今までパートナーを連れてくることもなく済んでいたのに、どういう風の吹き回しですか?」
私はウィルフレッドから与えられたイブニングドレスを着て、そう尋ねた。アフタヌーンドレスはあまり露出をしないのに対して、イブニングドレスは襟ぐりが浅く胸元を強調するデザインのものが多い。最近は女騎士の役作りのために、クレアに頼んで肉中心の料理で体を調整しているから、あまり女性的なラインを強調するドレスを着ても違和感がないかと心配になり、パットを詰めてラインを維持することにした。
私の問いに、ウィルフレッドは少しだけ甘いマスクをしかめる。こんな顔をするのは珍しい。
「折角ヴィナの不幸を機に君を手に入れたのに、君は正室に夢中過ぎるから、少しだけ意地悪をしたくなったんだよ」
「あら、正室を放置していたのはどこの誰かしら? 私は正室がもう少し真っ当に生きれるように話をしているだけ。そもそも側室が正室を食っては駄目でしょうが」
「ああ、ああ。君は正しい。君は正しいさ。そういうところが、私を苛立たせるんだから」
これかしら。セシルが「いい加減にウィルにかまわないと拗ねるよ」と言っていたのは。
私はどう答えたものかと考える。正直、彼に捨てられて路頭に迷うのは私もセシルもおんなじだ。彼に立て替えてもらったお金を私はたった一回の興行でリカバリーはできない。そもそもアパートメントだって解約してしまったのだから、本当に住むところがなくなる。
そして彼個人に対してどう思うのかというと、「プライベートでまで関わることになってしまった厄介な人」のイメージのまま、未だにそれが覆ることがない。一度寝たくらいで、数年に渡って培ってきた関係性がそこまで大きく変わることはない。
結局のところ、私はウィルフレッドの好きな自分を演じる選択をした。
紫のバラ。王都に住まう女優。彼が手塩にかけて育てた女は、こんなに野蛮で大きな花を開かせたと、誇張することにした。
「あら、そんな私を育てたのはあなたでしょうが。あなたは私を正しいっていう風に言うけれどね、あなたは私に正しくなければ王都ではあっという間に食い物にされると教えたでしょう? 私は綺麗なままあなたの元に側室に治まったけれど、それじゃ駄目?」
「……そうは言ってないさ。ただ、君はいつだって己の野望にだけ邁進する。たまには横を振り返って、微笑んでほしいと思うのは私のわがままかい?」
この男は。私はどう答えたものかと思う。
彼は恋をしたいのであれば、私を選ぶべきではなかった。私は一番は王都で女優として成り上がること。今もそれなりに名は馳せてはいるが、お金のほうはちっともなのだ。舞台をすれば舞台をするだけ、すぐにお金が消えるのだから。
ただそこまでいたぶるのも、あまりにも甲斐性がない。
「必死に女優を育てたのに恋を育てるのを怠ったのはあなたでしょうが」
「ヴィナ?」
「そこまで言うのならば、ちゃんと私を口説きなさいな。私はあなたの言うことは聞く。でも私も女優自体は辞める気は全くないし、私も優先順位がある。あなたの不興を買ったら破滅するのは私でしょうけれど、あなたは私を一生失うことになる。それでよろしい?」
我ながらあまりにもひどい女だ。
ただ、金に物を言わせて貞淑な物わかりのいい女を演じる気はなかった。そこはきちんと線引きをしておかないと、経験上ウィルフレッドは間違いなくつけ上がる。勝手にこちらが聞いてない要求をどんどん増やして、最終的にがんじがらめにして私は彼のお人形になりかねない。お人形は既にクレアがいるのだから、これ以上増やしてどうする。
ウィルフレッドはしばらく私を見つめた。長いこと見つめたあと、やがて私の手を取った。
「わかった。少なくとも、君にちっとも私の気持ちが伝わってないことはよくわかった」
「金に物を言わせていたのはあなたでしょうが。囲い込もうとしたのも」
「ああ、その通りだ。セシルにもさんざん言われたよ。『それをやったら普通に気持ち悪いと引かれる』と」
あの子にまで忠告受けてこれかよ。
馬車の車窓はだんだんと煌びやかな豪邸を映しはじめた。もうしばらくしたら停まるだろう。その中、ウィルフレッドは囁いた。
「……君を正攻法で口説き落とすよ。それでいいね?」
「ええ。頑張ってください」
「本当に君と来たら」
だって、舞台を主催することになったら、鉄面にならなければやってられないもの。
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