許可取りはふたつ

 私が発注書を各所に送りつけ、書き直された原稿を印刷所に提出してから、私は家に帰った。その日はディーンは来ておらず、クレアが「お帰りなさいませ」と掃除道具を片付けているところだった。


「ただいま。セシルはいる?」

「セシル様は、今はお茶の時間ですが」

「ありがとう!」


 私は急いで階段を駆け上がると、セシルの部屋を叩いた。


「セシル! ちょっとお話があるんだけれど」

「なに? どうぞ」


 中に入ると、バターとハーブの香りがプンとした。

 どうもクレアがハーブクッキーを焼いたらしく、ドライハーブとバターの香りがセシルの部屋に充満していた。セシルはそれをせっせと食べながら紅茶を飲んでいるところだった。

 私もハーブクッキーをひと口食べ「……おいしっ!」と声を上げる。ハーブは魚や肉の臭い消しだと思っていたから、これをメインに据えてもおいしいものができるんだと、初めて知った。

 私が行儀悪くセシルのお茶請けを横取りしているのを、彼は呆れた様子で頬杖をついた。


「ヴィナ、君よく女優として表舞台に立てるよね? 君全体的に手癖が悪過ぎ。サロンとか主催してるときはどうしてるのさ」

「むぐっ……主催しているときはそもそもなにも食べられないから、癖の悪さが目立たないのよね。さすがにウィルの付き添いで出かけるときは、仕事モードになるから大丈夫とは思うけど」

「ふうん。そんなこと言ってたら、多分ウィルは拗ねそうだとは思うけどねえ」

「……あの人が私に入れ込んでいるのは知ってても、あの人の入れ込み具合が恋愛なのかファン活動の一環なのか、私もよく知らないから」

「そう。まあ、ヴィナが痛い目見ないならそれでいいけれど。で、いきなり来てどうしたのさ。まさか僕のお菓子のカツアゲが目的じゃないでしょう?」


 そうセシルにクールに言われ、私はハーブクッキーをもうひとつ口に放り込んで咀嚼してから口を開いた。


「本当はあなたに許可を取ってからと思ったのだけれど……あなたの詩、今日打ち合わせに行った脚本家がいたく気に入ってね。自分の原稿料さっ引いてもいいから、この詩を使わせてほしいと。どう?」

「え……? どういうこと……?」

「あなたの詩を私の舞台で使い、あなたはその詩でお金を得るって意味よ。どーう?」


 私がそう尋ねた途端に、セシルは未だかつてないくらいに動揺した顔で、視線をうろうろとさせ、着ていたネグリジェの裾をぎゅっと掴んだ。そろそろ涼しくなってきたのだから、いい加減ネグリジェでうろうろさせるのは止めさせたほうがいいかもしれない。


「……プロの作家に認められるなんて、思ってもみなかった。もっと、稚拙だとか、下手くそだとか、罵倒されるんじゃないかと不安だったのに……」

「それ、自信が全くなく後進が来るのを嫌がる連中がする手段だから、ほとんどの作家はそんな下手なことしないわよ。あちらは新しい刺激を得られたって喜んでいたから」

「そう……なんだ。よかった」


 そうふにゃりとセシルは笑った。

 うん。この子はこうやって笑っていたほうがいい。私はもうひとつハーブクッキーを口に放り込んで咀嚼してから、「それで、許可はいただける?」と尋ねると、セシルは力いっぱい頷いた。そして、そのあと「あのう……」と小さく尋ねた。


「あら、どうかした? ギャラの問題は、申し訳ないけれど、脚本家と折半になるから、そこまで支払えないかもしれないけれど……」

「……ギャラの問題じゃなくってね、ヴィナの舞台……僕の詩を読んでいるところ、見学に行ったら駄目かな?」


 その言葉に、私は目をぱちくりとさせた。

 日頃ずっと不満げな顔で部屋に引きこもっていた子が、本当に珍しく外に出たがっているのだ。

 私は「うーん……」と腕を組んだ。

 こちらとしては、家のせいで人生無茶苦茶になった挙げ句引きこもりになってしまったセシルの社会復帰の一環になるなら、それは歓迎なのだけれど。ウィルフレッドがどう反応するかがわからないのだ。


「私としては、あなたにぜひとも見学にいらっしゃい……って言いたいところだけれど、このあたりはウィルに許可を仰いでからでいい?」

「……まあ、ヴィナの申し出にはウィルは断らないとは思うけど。ウィルがますます拗ねないといいんだけれどね」

「前々から思ってたけど、あなたはウィルのなにを知ってそう判断しているの?」

「だってウィルは君のことが大好き過ぎるからね。それで僕を優先させたとなったら、勝手に拗れて暴走しそうで、僕は心配」


 私は思い返して、こめかみを弾いた。

 うちの劇団員たちからも、生温かい目で見られてしまった私の結婚。まさかそこまで心配されるものだとは思っていなかった。

 ウィルフレッドがそんな甲斐性あったのかしらと、前々からの行いを思い返すものの、私はやっぱりわからなかった。


****


 その日の夜、ウィルフレッドが帰宅してから、夕食となった。

 クレアが用意してくれたのはビーフシチューで、それを息を吹きかけながら食べつつ、私はウィルフレッドに口を開いた。


「少し相談があるんですけど」

「なんだい、ヴィナ」

「……セシルの詩のことなんですが」

「ああ……そういえば前々から自室で書いていたね。それがどうかしたかな?」


 一応は、セシルの趣味趣向は把握してたんだなあ、ウィルフレッドも。ただただ放置していた訳ではないのか。

 私はなんとも言えない顔でビーフシチューの肉をひとつ分切ってから口に放り込むと、赤ワインで流し込んでから口を開く。


「私が発注した脚本家が読んでくれたんです。そしたらいたく気に入って、今度の公演でその詩が使われることになりました」

「ほう……それはすごいじゃないか。となったら、君もセシルの詩をそらんじることになるのかな?」

「その日のうちに印刷所に行かないと間に合わなくて、まだそこまでチェックできてませんけど、私が主演だから、多分そらんじることはあるかと思います。そこでなんですけど」

「うん」


 私が田舎者みたいな食事の仕方をするのに対して、ウィルフレッドは相変わらず優雅な食事の仕方をする。フォークとナイフひとつ取っても、私は頑張ってもどうしてもギコギコガチャガチャ言ってしまってうるさいのに、彼の手元からはほとんど音がしない。そして優雅に肉やシチューを口に運ぶのだから、見事なものだ。

 ウィルフレッドはシチューの肉を食してから、これまた優雅にワイングラスを傾ける。私は「肉と言えば赤でしょう」程度のノリで赤ワインで合わせるのに、ウィルフレッドは料理によってクレアに取ってきてもらうワインを変えている。今日は白ワインの辛口を頼んでいたけれど、それがビーフシチューと合うのかどうかは、私も試したことがないからわからない。

 それはさておいて、ウィルフレッドが耳を傾けてくれている間に、私は一気に畳みかける。


「あの子、私の舞台の見学に行きたいって言っているんだけれど、いいかしら? でもディーンのこともあるし、あれがうろちょろしてセシルのことを取られるくらいならば、私もセシルに謝って断るつもりなのだけれど」

「おや。珍しいね、本当にセシルはこちらが誘ってもなかなか外に出ないし、パーティにだって付き合ってくれた覚えはないのだけれど」


 ウィルフレッドは本当に珍しく目を見開いている。どうもあの子が外に出るのは、彼からしてみても珍しい決断だったらしい。

 私は大きく頷く。


「私としてみては、あの子が社会復帰できる一因になるよう、応援したいのだけれど。どうかしら?」

「うーん……君の劇団は基本的に王都に住まう貴族や豪商がメインであり、その過半数が女性。男性よりも女性のほうが詩集に興味を示すから……」


 いきなりなにを言い出すのかと思って話を聞いていたら「印刷代が出せるのならば、だけれど」と切り出した。


「君はどうせ、舞台のパンフレットだって劇場で販売するのだろう? 舞台終了の客を狙って、作中でそらんじた詩の詩集を買ってもらえればいいんじゃないかい? たまに君のところのパンフレットに、脚本のト書きをそのまま印刷して売っていることもあるし、できなくはないと思うけれど」


 それに私は思わず立ち上がった。ピシャンと皿とグラスの中身が波打つ。


「ヴィナ?」

「もしも売れたらすごいわね!」

「あくまで売れたらの場合さ。でもヴィナ、私としては許可をしてもいいけれど、そろそろ私の用にも付き合ってくれたら、だよ?」

「ああ……」


 元々私がウィルフレッドと結婚したのだって、同伴が必要な彼の接客パーティのパートナーになるためなのだから、こちらの要望を通す以上は、彼の要望だって聞かなければいけない。


「昼間は私も稽古があるから困るけれど。夜ならば時間はいくらでも取ります」

「女優に睡眠時間を削らせるのもどうかと思うけどね。月末に出かけなければならなくてね」

「……結構先ね?」

「輸入商たちでの情報交換会さ。いいかな?」


 輸入商は今のご時世かなり羽振りを利かせている。新興の遣り手であるウィルフレッドもいるけれど、そのほとんどは社交界でも太いパイプを持っているような貴族の次男からの成り上がりで、一介の商人が入れるような場所ではない。

 その分、あまり下卑た客もいないだろうと算段を立て、私は頷いた。


「いいわよ」

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