朝の一幕

 エスターがクレアのメンテナンスを行っているのは、奇妙なことのように思えた。

 遠巻きに眺めていたら、彼女はクレアを分解して、ひとつひとつのパーツの埃を取り、時にはネジや歯車を巻き直しているようだった。日頃屋敷の管理のためにくるくる動き回っているクレアを知っていると、彼女は本当に人形だったんだなとついつい感心してしまう。

 こちらがカーテン越しに眺めているのに気付いたのか、エスターが声をかけてきた。


「もしかして、人形のメンテナンスを見るのは初めてですか?」

「ええ? ええっと。はい」

「そうですかあ。ここまで物珍しげに眺められることってあんまりありませんので。ご自宅には人形はありませんでしたか?」

「人形の購入費用もメンテナンス費も、結婚するまでありませんでしたしね。金は全て仕事に注ぎ込んでましたから」

「あらら。お仕事は商売ですか?」


 この辺りの話を聞き、私は心底ほっとした。このエスターという人形師、本気で舞台については詳しくないらしいし、ゴシップ新聞も読む趣味がないらしい。

 なら大丈夫だろうと、私は口を開いた。


「舞台やっているんですよ。私はその主催です」

「はあ……それはすごいですねえ。私、舞台なんてチケットをもらわなかったら見に行けませんから」


 彼女の素直な感想に、私は頷いた。


「舞台にはお金がかかりますから、どうしてもチケットの値段も馬鹿にならなくって。すみません」

「いいえ! 数回だけ行ったことがありますけれど、あれだけ派手で音楽も衣装も舞台装置もお金かけていたら、そりゃチケット代だって馬鹿にはなりませんよねえ……はあい、クレアのメンテナンス、もう少しで終わりますけれど。追加オプションって入りますか?」

「はい?」


 私は思わずすっとんきょうな声を上げた。それにエスターは頷く。


「一応定期的に聞いてるだけで、無理矢理オプション追加しなくってもいいですよー。そもそも追加オプションですからお金取りますし」

「そ、そう……」


 ああ、そういえば。

 クレアはディーンが押しかけてきたとき、思いっきり「お帰りください」の一点張りで追い返していた。ああいうのが、エスターの言っていた自動人形に付けるオプションなのかもしれない。

 彼女は相当腕利きなんだろう。私はそう思いながら「少々お待ちください」と言ってから、話を聞きに出かけた。

 一応話を聞きに行くのはセシルだ。

 セシルは自室の机に、たくさんノートを並べている最中だった。


「ねえセシル。エスターが追加オプションはどうかって言っていたけれど、あなたクレアに追加オプションは必要だと思う?」

「ああ、人形師から言われたの?」

「ええ……ウィルはそういうのってわかるのかしら?」

「ウィルは最初に人形買うときに付けた注文が、屋敷の情報を絶対に漏らさない、万が一泥棒やら詐欺師やらが来たとしても即追い返せるようなものって付けたから、それ以外必要なものって見受けられないんだよね。自律学習機能付きだから、屋敷に人間増えたとしても、それに合わせて学習するし」

「なるほど……」


 クレア、思っている以上に高性能人形だったのね。

 考えた末、結局は「なし」と言ってエスターに返すことにした。エスターはコロコロと笑っていた。


「あの?」

「いえ! なんだか微笑ましいと思ったんです……ああ、言い方が悪かったですよね。すみません」

「いえ、微笑ましいっていうのは?」

「うーんとですね。私も重婚家庭にはあんまりお邪魔しないんですけれど、たまに伺う重婚家庭って、空気が独特過ぎて、ものすごく重いんですよね」

「ああ……」


 そりゃそうか。重婚になったら、正室と側室の力関係が働いて、どちらかがどちらかに対しての当たりがきつい。特に子供が生まれなかったから追加で嫁入りしてきた人は、自分の子供が正室に懐かないようにとあることないこと吹き込むことが多いから、それはもう、険悪な空気になる。

 エスターはにこにこしながら続ける。


「でもこちらは仲よさそうなんで。いいなあと思ったんですよ」

「まあ、はい」

「それじゃあ、すみません。メンテナンス費を」

「ああ、少々お待ちください」


 私は慌ててウィルフレッドの元に向かうと、メンテナンス費を受け取ってそれをエスターに支払った。エスターは会釈をすると、既に起き上がっているクレアがお見送りをはじめた。

 彼女がのんびりと帰っていくのを見送りながら、私は「はあ……」と息を吐いた。

 それにウィルフレッドが「ハハハ」と寄ってきた。


「珍しかったかい、人形師が」

「まあ、そうですね。あと私もあんまり自分の立場を気にせず話をされたことがなかったんで、少し新鮮でした」

「彼女を定期的に呼べば、君も喜んでくれるかな?」


 なにか閃いたという顔をするウィルフレッドに、私は思わずペチンと痛くない程度に頬を押しのけた。


「しなくて結構です。というよりも、彼女が困るじゃないですか。うち専門という訳でもないのでしょう?」

「そりゃそうだ。腕利きの人形師なんて、王都だったら引っ張りだこさ。誰だって自分の思い通りの恋人が欲しいし、絶対に口を割らない使用人が欲しいのだから」

「なるほど……」


 オルブライト邸は秘密だらけなのだから、そりゃクレアのように絶対に口を割らないメイドが欲しいに決まっている。そしてその手の需要は案外高いんだなとぼんやりと思った。

 メンテナンスが終わったクレアは、さっさと厨房に入ると、朝食を持ってやってきた。

 ベイクドビーンズに分厚いベーコン、目玉焼き、たっぷりの温野菜サラダ。そしてスープにカリカリに焼いたトースト。それを紅茶と一緒に出してくれたのだから、朝からたっぷりの栄養をいただける。

 私はそれをもりもりと食べてから、ウィルフレッドに伝えた。


「それでは、私は朝から劇団に向かいます」

「うん。知っているよ。私も夜まで仕事で帰らないからね」

「はい。それで、その間のセシルのことだけれど」

「うん?」

「……私も昼になったら時間が取れるので一旦屋敷に戻ってきます」


 私は彼に数冊ばかりノートをいただいた。それを劇団に向かう馬車の中で読むつもりだ。その言葉に、ウィルフレッドは「ふうむ」と声を上げた。


「なにか?」

「いやね。君は結婚してから、本当に思っているよりもずっとセシル贔屓だと思ってね。少し妬けてしまうから」

「ち・が・う・で・しょ?」


 私は思わずウィルフレッドの端正な顔を思いっきり睨み付けた。


「あの子が放置され過ぎって話だわ」

「でも彼の詩を読んでもいい許可をくれるなんて、羨ましいじゃないか。私はセシルの書いたものを読みたいと言ってみても、汚いものを見る目で見られただけさ」

「あなたどれだけ嫌われたの」

「心外だなあ……でも、わかった。君が仲良くしたいのなら、したまえよ」

「ありがとうございま、す」


 最後にたっぷりと嫌味をまぶしてから、私は食事を済ませ、服を着替えた。

 今日は発注した脚本を読むまでで、まだ舞台の全体の指示や針子や道具係の発注まではいかないはず。だから昼には時間が取れるはずだ。

 そう思いながらドレスを着て、コートを羽織ると馬車に乗り込んだ。そして、セシルから一冊借りたノートを読みはじめた。


「……あれ、これは」


 一ページ一ページ、ペラペラと捲っていった。

 もっと自分を慰めるような陰鬱な詩が続くと思ったのに。


【庭木の花よ 咲き誇れ 空に向かう虹の果て】

【粉雪降る日の モミの木よ 子供の吐息と 浮かぶ光】

【月に遠吠え 星に祈り 帚星には伸びる指】


 綺麗なものを好きなだけ並べている、本当に子供じみた詩。

 ただ本当に綺麗なものだけを並べているため、目が離せなくなるという不思議な魔力を帯びていた。


「これ……今日会う脚本家に見てもらおう」


 私はそう決心した。

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