夜が明けて朝が来て
痛い。ものすごく痛い。
ウィルフレッドはもっと壊れ物みたいに扱ってくるかと思ったのに、思っている以上に痛かった。私は痛くて起き上がれない中、すやすやと眠る暫定夫の顔が憎らしくて、思わず鼻をつねるものの、端正な顔は苦しがることなく、むしろこちらを抱き込んで寝ようとしてくるので、思わずバタバタと蹴飛ばしていた。
窓の外は明けてきているものの、これでは朝食に起きられない上に、そもそも王都に帰れない。今帰りの船に乗ったら間違いなく吐く。中身を詰め込まれないのに吐くのは最悪だ。
「ちょっと……ウィル。重い。痛い。起きなさい、オラ起きろ」
とうとう脇腹に膝キックをかましたところで、ようやっとウィルフレッドは目を覚ました。そしてトロリとした微笑みを浮かべてきた。
「おはよう、ヴィナ。体は大丈夫……」
「大丈夫じゃないから起こしたんでしょうが。痛くて起き上がれないわ。着替えもできない」
「おや。そこまでひどいことをした覚えは……」
「私、これでも舞台に立ち続けるために毎日柔軟体操は欠かしたことないのよ。それで痛いってどんななの。責任取りなさい」
「責任……じゃあ、私が手取り足取り着替えさせて」
張り倒してやろうか。朝から
「ふざけてないで。着替え拾って。この格好で食事なんて本当は嫌だけれど、全裸で出かけるよりはよっぽどマシよ」
「ふうむ……でも新妻の悩ましげな格好をさらすのは駄目だね。うん、わかった。食事は今日は私が持ってこよう」
それを言って、にっこりと笑って私の寝間着を拾い上げると、それを布団の上に上げて、自分もさっさと着替えはじめた。
私は「セシルにどう説明するつもり?」とジト目で聞くと、ウィルフレッドはキョトンとした。
「初夜だからすることなんてわかってると思うけど」
「そりゃそうなんだけれど……あなたあの子との初夜どうしたのよ」
さすがにしてないとは思うけれど、念のため聞くと、彼は「ハハハ」と笑った。
「そりゃもう、ひどいものだった。引っかかれるし、殴られるし、足も出るし」
「当たり前でしょ……これしたの? してないの?」
「ご想像にお任せするよ」
どっちなんだよ。私は信じられない目で見ながら、「それじゃあ、取ってくるよ」と言って去って行った。
私は「ふんっ」と鼻息を立てると、ウィルフレッドの拾ってくれた寝間着にどうにか袖を通した。
今日はさすがに体が動かなくって稽古がなにもできない。せめて発声練習くらいか。私は食事を持ってくるまでの間、お腹に手を当てて発声練習だけをしておくことにした。
****
私が発声練習をしてしばらく、扉を叩かれ、「はい」と声を上げると、意外なことにウィルフレッドではなくセシルが食事を持ってきた。
「おはよう……大丈夫? ウィルのことだから、かなり痛かったんじゃないかと思うけど」
「おはよう、セシル……あなたたち、結局初夜したの? してないの?」
「想像に任せるけど」
本当にどっちだよ。それはさておき、ウィルフレッドではなく、セシルが朝食を持ってきたのは考えてなかった。
「どうしたの、てっきりウィルが持ってくるとばかり思ってたのに」
「僕が言ったんだよ。どうせ体痛くなるまで手ひどくしたんだから、それのせいでヴィナは機嫌損ねてるって。憧れのヴィナが嫁いでくれたからって調子に乗り続けてたら、いつか慰謝料迫られて離婚されるよと言ったら、急に大人しくなってね。だから僕が持ってきた」
「……ものすごく頭に浮かぶ光景ね、それは」
ウィルのことだから、それはそれはもう、へこんでしょげ返っているのが想像できるし、セシルがいつもの調子で淡々と暴言を並べ立ててウィルを追い詰めるのは、いつも通りの光景だった。
セシルが持ってきてくれたのは、温野菜サラダ、カリカリに焼いたベーコンに目玉焼き、ミルクスープにトーストと、オーソドックスな朝食だった。体が痛くて痛くてたまらない今でも、これなら食べられそうなものだった。
私がありがたく頂戴している中、セシルはベッドの縁に座って私を眺めていた。私が食事しているのを眺めているから、一応私は尋ねた。
「セシル? あなたはちゃんと朝食いただいた?」
「僕あんまり食べないよ。今日もスープだけいただいたから」
「……あなたねえ、なんでそんなに食べないの」
「一応僕、ウィルの正妻だからね。外には出ることほぼほぼないけれど。あんまり食べて男だと一発でバレたら、破滅するのは僕だけでなくウィルもだから。僕がこれ以上訳のわからないところで身売りすることなく過ごせているのはウィルのおかげだから」
その淡々とした物言い、私はどう答えるべきか迷う。
前々から思っているけれど、このふたりの夫婦関係は歪が過ぎるのだ。
ウィルフレッド視点では、借金立て替えと自分の妻帯者のアリバイづくりのためにセシルを利用した、セシル視点では、姉の身代わりに嫁入りさせられ、バレて家に返還されたら借金返済ができずにどこぞの人妻の若い燕か身売りコース一直線で、ウィルフレッドに置いてもらっているだけで御の字。
でも、このふたりの関係にはなんの発展性もないんだ。
私はベーコンにザクリとフォークを突き刺しながら尋ねた。
「あなたは……仮に貴族のままだった場合、やりたいことはなかったの?」
セシルと話をして、なんとかこの子の人生の立て直しを測りたかった。
ウィルフレッドに助けられたのは私もだし、私のほうはどうにか立て直しができそうだけれど、男の正妻という形のセシルはいったいどうすれば立て直せるのかが、私にも未知数過ぎた。
私の問いに、セシルは少し俯いた。そしてボソリと言う。
「……詩が書きたかったんだ。詩人」
「あら、素敵じゃない」
「でもこんなところで書ける訳」
「あなたがどんなものを書くのが見せてちょうだいよ。私、これでも売れっ子の作家に脚本書いてもらっている身だから、そこそこ見る目は肥えていると思うもの。あなたの詩がどんなものか見てあげる」
すると、途端にセシルは顔を紅潮させた。
今まで見せたことない表情なのに、私は戸惑う。
「本当?」
「……というより、その話、ウィルにしたことなかったの?」
「ないよ。彼、演劇には興味あったみたいだけれど、詩には興味なかったみたいだし。僕は詩集を何冊も買ってもらったけれど、彼、僕の読んでいるものに見向きもしなかったし、手も出さなかったから」
「あら……」
そういえば。彼の部屋、真っ白だったけれど、本棚だけはぎっしりと入っていたように思う。あれ全部詩集だったのね。
そうと決まれば、私はにこりと笑った。
「ならあなた、王都に帰ったらあなたのお気に入りの詩を十編くらいまとめて私に見せてちょうだい。見てあげるから」
「……生意気」
「そう?」
体が思うように動かなくって、ウィルフレッドにさんざん当たったけれど。それでも少しはいいこともあったように思う。
今日一日は英気を養うことにして、王都に帰ってから、また考えよう。
私はそう思った。
さて。
夜にまたウィルフレッドが私の部屋にやってきたときには、さすがに手が出た。
「今晩はやらないから。明日は王都に帰るんでしょう? また動けなくする気?」
「もうそこまではしないさ! ただ、君を独り占めできる夜なんて、そう簡単に訪れないだろうからさ」
「殴るわよ!」
「もう殴ってるだろう!?」
……ほんっとうに、ウィルフレッドがなに考えているのか、私にはわからない。
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