初めて夜を過ごす
セシルを誘い、三人で食堂に向かうと、管理人さんたちがそれはそれは豪華なディナーを用意してくれた。
スープに温野菜サラダ。牛肉のパイ包みは王都でもあまり当たりの店が多くないのだけれど、ここで出された肉はパイに包まれて肉汁が閉じ込められて、噛めば噛むほどおいしいという代物だった。一緒に出されたシェリー酒も香り高く、それを夢中で食べていた。
「おいしい……!」
「ヴィナ、一応女優じゃないの? そんなに食べて大丈夫なの?」
セシルはどうも小食なようで、どれもこれもあまり口を付けられていない。かろうじて温野菜サラダは完食したから好き嫌いがある訳ではないようだけれど、動くたびに身がなくなってないか心配になる。
「むしろ逆。女優は舞台に出れば出るほど身が削れていくの。だから気合いを入れて食べていかないと、舞台を完走した暁には、なにも残らなくなっているから」
「……それ、大袈裟ではなくて?」
「舐めないでちょうだい。見た目だけで舞台に立てる人間なんていないの。舞台全域まで通る声量、遠目でもわかるほどの手振り身振りの演技、舞台全域を走り回って耐えきれる体力……一舞台出るだけで身が削れているんだから、食べないと死ぬの」
私はそう言いながら、パイ包みを大きく切って頬張った。
それをセシルは戸惑った顔で眺めている一方、ウィルフレッドはなぜか熱っぽく見つめてくる。それに私は「ああ……」という顔になる。
これが粘着質なせいで、婚期を逃したし、セシルのお姉さんも家出してしまったんだっけ。私のガサツさを見て嫌気が差すのかと思ったら、そんなこと全然ないのね。私は意外なものを見る目で食事を終えると、食後に出されたお茶を飲む。
「ところでヴィナ」
「はい?」
「夜は君の部屋にお邪魔していいかな? それとも私の部屋?」
その言葉がわからないほど、私も初心ではない。
一応夫婦になったし側室に治まった以上、あるのよね。私はセシルのほうをちらりと見た。さすがに三人でやりましょうとするのは気が引ける。
「……一応聞くけど、一対一?」
「ははは、私は至って普通なのだけれど」
「そうですか」
一応性趣向に問題がないことだけは確認が取れた。
****
普通に考えれば、仕事と割り切っていても嫌なものは嫌だと駆け出しの頃だったら蹴飛ばせただろうけれど。今の私には背負うものが多過ぎる。
王都に帰ったら脚本家から新しい脚本の確認をしないといけないし、役者の配置や針子たちに衣装の発注、裏方たちに作業の指示までしないといけない。劇団の主催は本当に大変なのだ。
それを考えたら、体を張るのはそこまで苦じゃないけれど。
「……特に生理的嫌悪もなにもないのよね」
私はカーディガンを脱ぎ、下着姿で待っていた。下着とは言ってもドレスの下に着ている薄手のワンピースだから、夏場であったらその格好で歩いていてもそこまで支障がない程度の素材だ。
ベッドの縁に腰掛け、ウィルフレッドが来るのを待っていたら、ドアが二回叩かれた。
「はい」
「来たよ。ヴィナ」
それに私はビクンと背筋を伸ばして待っていたら、ウィルフレッドが「失礼するよ」と入ってきた。薄手のシャツにスラックスで、基本的にやる気満々でそのまま押し倒されるのかと思っていたら、私の隣に腰掛けて、「さて」と手を取られた。
「久々にふたりっきりになれたね。君を屋敷に招待する前のほうが、一緒にいられたと思っていたけれど」
「……セシルが可哀想でしょうが」
「彼は気の毒だと私も思っているがね。彼を送り返しても悲惨な結末が待っているとしたら、追い出すこともできなかったんだ」
「……だからと言って、あの子の若さを飼い殺していいとは思わないの? あの子、自己肯定感削られ切っているじゃない」
私がジト目でウィルフレッドを睨むと、ウィルフレッドは少しむくれた顔をした。
「……ほら、君はすぐにセシルを優先する」
「私、側室よ? 正室を優先してなにが悪いの」
「旦那様を優先してくれない」
「……一応確認するけど、あなたが私に執着する理由はなに? あなた私が駆け出しの頃からじゃない」
駆け出しの頃は、王都に出てきて右も左もわかっていなかった。
辺境の片田舎で旅芸人一座の見せた芝居に魅了されて、そのままのこのこ王都で女優になろうとやってきたという、ありふれた立身出世の物語が私にはある。
田舎の人間であったのならば、簡単に籠絡できたし、そこで飽きることもあっただろうに。ウィルフレッドは私にパトロンの作り方、出資者を集めるためのサロンの開き方、劇団を主宰するための方法までを教えてくれた。
どうしてそこまでやってくれたのかわからず、私は自然と彼から離れたのだけれど。彼は私が距離を置こうとすればするほど、勝手に寄ってきては距離を詰めてきていた。
周りが気持ち悪がる理由は、充分にある。
ウィルフレッドはにこやかに笑うと、私のベッドの縁に乗せていた手の上に自分のものを乗せてくる。大きな手な上に、タイプライターであちこちに手紙を送り続けているのだろう。タイプライターの通りのタコができている。
私の手に指を絡めると、上からぎゅっと握ってきた。
「君のファンだから……じゃ駄目かな?」
「理由がわからなくって怖いです」
「そうだね……ひと目惚れ……でも駄目かな?」
「ひと目惚れは一瞬で霧散するでしょう? 継続する意味がわかりません」
「なら君は私を蝕んだ毒なのだと思うよ。私も輸入業が起動に乗り上げたとき、茶の宣伝をするべく広告塔を探しているときに、たまたま見つけたんだよ……光る原石を」
それはたしかに、私が王都に出てきたときに、車から降りてきたときにいきなり言われたことのように思える。
たしかに王都に出てきたばかりの小娘は原石だろう。ここでさっさと保護しなかったら、あっという間に王都の悪意に蝕まれて、娼婦として下町でクダを巻いていてもおかしくなかった。
ウィルフレッドは私の髪に手を入れてきた。手入れだけは怠っていない、銀色の髪だ。
「君は美しいし、そのように自分を育てる才能がある。王都で大事に育てられた温室の花よりも、外からやってきて絢爛と咲き誇る野生の蘭のほうがかぐわしい匂いがあるだろう?」
「それは人によるんじゃないかしらね。私は温室で育てられた花も好きだから」
「君のそういうところが好きだよ。理想を語りながらも夢見がちじゃない。美しくとも野性的で野心家。だから、君を育て上げると誓った……そして君は見事に紫のバラとして、王都の名優となったのだからね。それを独り占めできるのは、とても贅沢な話だ」
……流されているような気がする。私は漠然とそう思った。
彼と私が出会ったからこそ、私は王都に根付いて舞台に立ち続けられたけれど。彼はひと目惚れだ以上のことは教えてくれない。
これが恋だったらそのまま情に溺れて、流れのままに身を任せるのだけれど。
これは結婚だ。結婚は契約な以上、契約書を最後まで読まないことには、流れに身を任せることなんてできない。契約は怖いということは、この業界に身を沈めていれば充分にわかる。
「あなたが私のことが好きだということは十二分に理解しているつもりだけれど……結局私を娶りたかった理由はなに?」
「君をおぞましい相手に奪われ、君の全てを蹂躙されるのだけは我慢ならなかっただけだよ」
「……それ、本気で信用してよろしい?」
「君の疑り深い性格でなかったら、きっと私ものめり込むことはなかっただろうからね」
そう言いながら、ようやっとウィルフレッドは動いた。
胸の中は冷たいままだ。ただ、彼に暴かれるのが本当に別に嫌ではないのだ。
「君の人生をいただけたのなら、それで充分だよ」
「そう」
その夜は結局、そういうことにしておいた。
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