挙式に向かう
アパートメントから全ての荷物を集めてきたというのに、元々女優としての顔以外持っていなかったから、大した荷物にはならなかった。
いらない服はほとんど買い取ってもらったし……流行からずれているものは、仕立て直すより買い求めたほうが安くつくし……、パトロンたちからの贈り物はそこそこの値段で売れた……彼らも私が物欲が乏しいことを知ってか、消え物ばかりくれたから、売れるものもほとんどなかったのだけれど。
そんな中、ウィルフレッドが仕立屋を呼んできて、私の採寸をはじめた。
仕立屋らしい男性は、最初私の姿を見た途端にひっくり返りそうになっていたけれど、すぐに気を取り直して採寸してくれた。
「たしかに、婚姻衣装をつくりますので」
「ああ、よろしく頼む」
「よろしくお願いします」
ウィルフレッドと挨拶して仕立屋を送り返したものの、私はそろっとウィルフレッドに尋ねた。
「それで、式の日はいつになったの? 私も次の公演のための稽古があるのだから、あんまり変な日にされたら困るわ」
「わかってるさ、ヴィナ。君のスケジュールはきっちりと管理しているからね」
そう言って軽くウィンクしてくるのに、私はげんなりとした顔をした。
私たちのやり取りを、そろそろと部屋から出てきてセシルが階段の上から眺めていた。
「それでさあ、式ってどこでするの? 僕も参列したほうがいい感じ?」
そういえば。私はセシルを見た。華奢な体つきで、ネグリジェばかり着ている。そんな彼も参列できるのかしら。
それにウィルフレッドは「当然さ」と言う。
「君にも参列してもらうよ……というよりもね、君も本当にたまには外に出たほうがいいと思うんだ」
「なに言ってるんだい、王都で僕がうろうろしていたら、目立つに決まってるじゃないか」
「おめかししたら問題ないと思うけどねえ」
ウィルフレッドの言葉に、セシルは思いっきり「うげえ」という顔をして舌を出した。
たしかに。彼の栗色の伸ばしっぱなしの髪だって、きちんとセットして可愛く着飾ればどこにだって出て行けるだろう。
問題は、彼は嫌々女装しているだけで、精神面はほぼ男の子だから、女装して外に出るのに抵抗があるということだろうか。
そして私は尋ねた。
「でも……私にはパパラッチが付きまとっているのに、どうやって式を挙げるつもり? 馬車は敷地内に入れれば、セシルは見つからないだろうけれど、あいつは私の挙式なんて撮りたいと貼り付くに決まっているのに」
「いやいや。世の中には追いかけたくても追いかけられない場所っていうのがあるからねえ。そこで式の予約をしてきたのさ」
「なんだか本当に嫌な予感がするのだけれど」
「そこは大船に乗ったつもりでいてくれよ」
そうウィルフレッドはウィンクしながら言うので、ますます嫌な予感しかしなかったものの。スケジュールを確認して、たしかに稽古の日と予定が重ならないのを確認してから、私は了承した。
****
私は今、ものすごく後悔していた。
ゆーらゆーらと揺れる船に、私は「ひいっ」と船室で固まっていた。
たしかに式ができて、パパラッチを撒けるだろう。でも、これは。
船の上に乗せられ、ゆーらゆーらと馬車で郊外まで出たと思ったら、即船に乗せられて湖の孤島に連れて行かれるとは思っていなかった。
揺れる。吐きそう。揺れる。吐きそう。
船室にいたら空気が淀んでいて気分が悪くなるからと外で波を眺めていても、波しぶきが時折跳ねて船のデッキにまで飛んできて、水でべちゃべちゃになるのだから、結局は船内に戻るしかなかった。
「なんで、船で、移動なんてことになったの!?」
「そりゃもう。折角君と晴れて結婚ができるのだから、誰にも邪魔されないようにさ」
「私たち、どこに連れて行かれてるの!?」
「元々はとある貴族領だったんだけれど、跡継ぎがいなくて没落してしまってねえ。今は天領になってしまっているのさ。今は貴族邸はそこに残って住んでいる領民たちの手によって、よその貴族たちの別邸として管理して運営されているんだよ」
「なるほど……つまりは富豪や貴族しか知らない隠れ家と……」
「そうだね。湖の中にある孤島なんて、物好きでもなければわざわざ行かないからね。大丈夫、領民たちは穏やかな性分だから問題はないし、あそこはあれで素材の味を生かした料理が多いんだよ」
ウィルフレッドはそうのんびりと解説してくれたのに、私はなんとはなしに頷く。
一方、私たちのやり取りを、セシルは白けきった顔で眺めていた。さすがに外に出て行くのにずっとエグリジェのままでいる訳にもいかず、クレアに頼んで着付けとメイクアップを頼んだものの、なかなか様になっている。
元々栗色の髪は全くセットしていなくても美しかったのだから、それをハーフアップにしてしまうと、深窓の令嬢そのままの姿になるのだ。そしてセシルの瞳の色に合わせた深緑のアフタヌーンドレスは彼によく似合っていた。
「それで僕、なにをしたらいい訳?」
「ただ参列だけしてくれればいいよ」
「ふーん……」
セシルが膨れっ面なのに、私は見かねて声をかける。
「でも参列してくれるのでしょう? 私は嬉しいけど」
「ん……でもヴィナは本当にいいの? ウィルとの式」
「……別に全く疑問に思ってない訳でもないのよ」
それを言うと、途端にウィルフレッドの顔が凍り付いた。この人もこんな顔できたのねと漠然と思う。
「彼は私が駆け出しの頃からの付き合いで、今は私の抱えた借金を肩代わりしてくれた恩人。で、その条件が私の側室入りで。もっと面倒なことになるのかと思っていたけれど、そうでもないから。なら式を挙げるくらい別にいいかと思ったの」
「ふーん。それ、詐欺師の手法じゃないの?」
セシルは「んー……」と伸びをしながら、私のほうを見てくる。ウィルフレッドは「セシル」と思わずつっこんでくるものの、彼はぷいっとそっぽを向いて意に介さない。
「だってウィル、君が欲しくて仕方がなかったんだからさ。君のケチの付きはじめだって、本当にウィルがなんの関与もなかったのかどうか……」
「セシル、そこまで」
私はセシルの暴言に、思わずクレアが挙式前に用意してくれたヌガーを口に突っ込んだ。それにセシルはふごふごとさせる。
ウィルフレッドはそれを驚いた顔で眺めていた。
「そこまで悪く言うものでもないわ。仮に本当にそうだとしてもね」
「……君、騙されてたって怒らないの?」
「怒って舞台ができるんだったらいくらでも怒るけど。私の第一優先は舞台に立って、芝居をすることなの。それより上のことがないんだから、お金を盗まれようが、パトロンの性格とか、どっちでもいいの……たしかに体を売って、それで金を稼ぐことだってできたかもしれないけれど、それって稽古の時間が削れてしまうじゃない。ウィルフレッドは少なくとも
私の稽古の邪魔と公演の邪魔だけはしなかった。彼が私のファンだってわかっているから。だからこれ以上悪く言うのは駄目だと思うの」
「……なんというかさあ」
セシルは両手を挙げて、私のほうを見た。
「ヴィナには悲壮感ってものがないね?」
「それって馬鹿にされてるのかしら?」
「ううん。褒めてるんだよ。すごく。僕は自分でも思ってるけど、自虐しているほうが楽だし、他責しているほうがなにも考えずに済むのに、君はそういうのがないからね。それは血行楽なことだね」
褒められているのか馬鹿にされているのか、セシルの言い方だとさっぱりわからなかった。
その中、ウィルフレッドは「ハハハ」と笑う。
「まあ、いいじゃないか。それじゃ、そろそろ着くよ」
そこで気が付いた。ふたりとしゃべっていたら、あれだけひどかった船酔いも少しは治まったということを。
孤島に降り立ってみたら、そこはひと昔前の様式の建物が建ち並ぶ、牧歌的な建物だった。こんな湖の中にある島だったら、わざわざ強盗も来ることがないだろうし、挙式予定の館の管理人がすぐに歓迎してくれた。
「それでは、本日式の予定のオルブライト様ですね。ようこそ」
そう深々と挨拶してくれたのに、私はこれからどうなるのだろうかと漠然と思った。
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