側室入りしてパパラッチ

 それはさておき、私は気持ち悪い気持ち悪いと思いながらも、背に腹は代えられず、ウィルフレッドの邸宅に引っ越し、結婚の手続きをすることとなったのだ。

 そうでもなかったら、今月中に払わないといけないお金を立て替えてもらうこともできないし、劇団員にお賃金を払えない。

 私がウィルフレッドと婚姻を結ぶことになったと聞いた瞬間、劇団員が途端に気を遣うような顔をした。


「彼……本当に悪い噂しか聞かないけど、ヴィナ本当に大丈夫かい?」

「存じてます。本当に気持ち悪いとも思っています。でも、仕方がないのです」

「そりゃこちらとしては劇団が潰れて王都に放逐される心配がなくって助かるけど……」


 私を一番心配してくれたのは、うちの古株のグレームだったけれど、私は彼に曖昧に笑った。

 多分噂よりも本人が一番気持ち悪い。

 そう思ったなんて言えやしなかった。


「なによりも、結婚しても女優を続けさせてくれるような相手、あれしかいなかったのだから仕方ありません」

「まあ……たしかに」


 どうも女優を娼婦とイコールにしている失礼極まりない人間は多く、結婚したらイコール女優引退を迫る輩が多いのだ。

 一応今回の金庫持ち逃げ事件前にも、私に求婚の話はいくつか届いたけれど、どれもこれも、私に劇団を売れ、女優を引退しろと言うものだったから、「嫌だ」と断るしかなかったのだ。

 たしかにウィルフレッドは気持ち悪い。気持ち悪いものの、唯一私が女優を続けてもいいと言ってくれたのだから、お金の立て替え以上に、その点で私が婚姻を結んでも申し分がない相手だと判断した。

 私の息巻いているのを、アレフは呆れ返った顔で言った。


「そりゃたしかに、あの大富豪は既に正室も確保しているんだから、側室に女優を入れたところで痛くも痒くもないだろうが……あの手の輩は、途中で約束を反故にするのがしょっちゅうだが、大丈夫なのかい、本当に?」

「……豪商ですもの。約束の反故からの信頼回復は難しいことくらい、あれもわかっているはずです」

「そりゃまあ、あれだけ名が売れた豪商だったら、そこまではしないだろうが……富豪は金の力で誰も逆らえないと思った瞬間豹変するんだから、それについては気を付けたまえよ」


 アレフは悲観主義者だけれど、彼の言っていることも一理ある。

 私に擦り寄ってきた男の中で、今のところダントツでウィルフレッドがマシだっただけで、勘違いしている金持ちの下半身主義者は大勢いたし、その都度辟易してサロンからどうやって追い出すかを苦慮していたのだから、その手の考えの男だって全くいない訳ではない。

 まあ、ウィルフレッドも私のことを適当に愛でて、飽きたら追い出されるだろう。今は払えるものを払えるだけ払ってもらってから、自分の稼ぎで貯金をつくって、いつ離縁されても問題ないようにするべきだろう。

 そう考えると、ひどく甘ったるくて恋しい味が食べたくなった。

 庶民以外はまず食べない、あれだ。


****


 馬車でオルブライト邸まで向かう最中、オルブライト邸の玄関で、赤毛の小柄な男がクレアと対峙しているのを見て、私は「ゲッ」と呟いて、御者に声をかけた。


「すみません、もう少しだけここで待機してもらっていいですか?」

「かまいませんが……どうされましたか?」

「今門前にいる男が出て行くまで、近付くのは危険ですから」


 あれは、王都でも悪名高い新聞社の子飼いの記者だ。たしか前にもらった名刺にはディーン・カニンガムと書かれていたが、あれが本名かどうかも怪しい。

 あれはとにかく嘘を真にすることに執念を燃やす男で、火のないところに煙を立てるということで、とにかく嫌われていた。

 私が側室入りしたということで、記事を書きたかったのだろうけれど。

 まずいなあ。私はどうしたものかと考える。

 今のところ、ウィルフレッドの正妻のセシルが男だということも、ウィルフレッドが気持ち悪い私のファンだということも、公にはなっていない。あくまで知る人ぞ知るだ。それがディーンに嗅ぎつけられたら……。

 しかも雇っている人間のメイドがおらず、メイド人形のクレアだけに対応させているというのもまずい。メイド人形は基本的に人形師が登録した言動以外はできず、人間のように嘘をつくことができない。ディーンにいろいろと聞かれたら、そのまま答えてしまうかもしれない。

 いろいろ考えた末、私は首に巻いていたスカーフを口元に巻き、下ろしていた髪を横結びに結ぶ。そして着ているドレスを一旦一枚引き抜いた。そして鏡で確認して、油を使って化粧を落とす。すっぴんの顔立ちに地味な服装で、家政婦に見えなくもない格好になっただろう。

 私は御者に「すみません、一旦私帰れるか試みますから、私が無事に帰れた場合は、その辺を一周してから帰ってきてください」と頼み込んでから、のそりのそりとディーンを刺激しない程度に近付くことにした。

 ディーンはあの手この手を使ってクレアに質問をしているが、意外なことに、クレアはその質問に一切答えなかった。


「こちらのご主人が最近側室を娶ったそうですが?」

「お答えできません」

「ええ……たしか側室を娶るのは正室の許可が必要だったはずですが、全く社交界に出てこない正室が、許可なんて下ろすんですか? あれは天下の舞台女優であり、紫のバラとして王都に名を馳せる方ですよ?」

「お答えできません」

「……いったいどこの人形師だ、ここまで口の固い人形をつくったのは」

「お答えできません」


 本当に見事だな。クレアは普通に受け答えができる人形のはずなのに、ディーンの質問に本当に一切答えていない。人形師がその手の危機管理用に魔法で微調整入れないと、そんな回答できないはずなんだけれど。本当に人形師の腕がいいのだろう。

 そう素直に感心しながら、私は声色を替えた。日頃、私は看板女優として女役ばかりやっているが、駆け出しの頃は少年役も老人役もこなしてきた身だ。


「ごめんあそばせ。お仕事に入りたいのだけれど、どなた?」


 しゃべり方を若干替えると、すっぴんに服の地味さも相まって、普通に家政婦に見える。ディーンは胡散臭そうな顔をする。


「こんな豪商のところで、家政婦ですか……?」

「やーだー。顔のいい方々を雇うほど、ご主人様も見栄っ張りじゃないですよー」


 ちなみに顔がいい使用人を雇い、パーティの給仕をさせることでステータスを維持するタイプは一定数いるが、それはもっと見栄を張るのが仕事の貴族邸での話だ。ウィルフレッドは気持ちが悪いが、あれでも豪商として成り上がった身なのだから、そんな訳のわからない見栄は張らないはずだ。

 私は「それじゃあ、お使い終わりましたので、入らせていただきますね。失礼します。クレアさんも、適当に切り上げてくださいね」と言って、さっさと門をくぐって中に入ってしまった。

 クレアも、ディーンとの押し問答の末、「それでは失礼致します」と文字通りの門前払いをして、帰ってしまった。

 本当にすごいな、クレアをつくった人形師は。

 私はクレアに「お帰りなさい」と言ってから、ふと思いついたことを言ってみる。


「ねえ、寝る前にお菓子を用意してほしいのだけれど、それをつくる時間はあるかしら?」

「かしこまりました。どのようなお菓子をご所望でしょうか?」

「トリークルタルト」


 貧乏人のお菓子であり、硬くなったパンを始末するためにつくられたお菓子だ。残り物でつくられたお菓子は、駆け出しの舞台人のやる気を出すためのお菓子だったのだから、私も初心に返るために、どうしても食べたくなったのだ。

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