正室へのご挨拶で絶句

 ウィルフレッド曰く、「私の正室は少々難ありでして」と言い出した。

 はったおしてやろうかと何度目かに思ったけれど、それはさておいて。


「少々問題がありまして、外に出すことができません」

「……それ、社交界的に大丈夫なんですか?」


 社交界ではパートナーを連れていくのがマナーだ。独身であったのならばひとりで行くことも多いものの、既婚者がひとりで行くのは、遊び歩いているものと吹聴されかねない。

 しかしウィルフレッドはどこ吹く風だ。


「言わせておけばいいんですよ。うちに世話になってない方はそう多くはいらっしゃいませんし」

「そりゃまあ……」


 この男、プライベートでは本当にかかわりたくない男だけれど、ビジネスの面では盤石だからな。多少の癖は見なかったことにされるんだろう。そもそも表立ってまずいことなんてなにひとつしてないんだから。

 ウィルフレッドは続けた。


「それで、側室を娶って社交界に参加したく思っていたのですが……タイミングよく、いや悪くあなたが困ってらしたので。そこで側室にならないかと思いまして」

「……たしかに渡りに舟ではありますけれど。これ、肝心なことが抜け落ちてはいなくて?」

「とおっしゃると?」

「……正室への許可がまだ取れていません。正室からしてみれば、いきなり側室を連れ帰っては怒り心頭になってしまうのでは?」

「ああ……それですか。それは問題ありませんよ。むしろ正室から言われているのですよ。『さっさと側室娶れ』とね」


 これは……どういうことだろう。

 正室はごくごく普通に側室を取ることを推奨しているということは、このふたりの仲は悪い? 正室には既に愛人がいるとか?

 あり得ないとも言い切れないのは、貴族にかけられている婚前恋愛禁止条例は、当然ながら既婚者には当てはまらないからだ。国が不倫を推奨しているというのもおかしな話だけれど、昔は婚前恋愛が流行り過ぎたせいで、婚約破棄が大量発生。そのせいで経済的にダメージを受けたために、慌てて婚前恋愛禁止条例を通したと聞いている。

 正直、ウィルフレッドは貴族と平民とどちらとも商売をするために、わざと爵位を買ってないから貴族には入らないものの、彼ほどの豪商であったら貴族から娘との婚姻を打診されてもおかしくないのだ。

 それだったら……私が嫁入りして、お金をもらったとしても、そこまで問題にはならない?

 私が困惑しながら考え込んでいたら、ウィルフレッドはにこやかに言った。


「そんなに迷ってらっしゃるのならば、一度正室に会いに来てくださいよ。あれもきっと喜びますから」


 その言い方に私は違和感を覚えた。


****


 王都内にある豪商家のある区画は、王都で興行をやっている私からしてみても未知の領域だ。日頃ウィルフレッドに頼っているものの、彼のプライベートに足を踏み入れたことがない。

 貴族の大概は郊外に屋敷を構えているため、王都の近辺にある屋敷は、訳あり新興貴族や、ウィルフレッドのような王都で拠点を構えて商売をしている豪商ばかりになる。

 その中、馬車の車窓から豪商の邸宅にしては比較的こじんまりしている家が見えてきた。


「あれが……」

「お恥ずかしながら、あそこが私の家です」


 門番はいない。掃除をしているのはメイド人形に見えた。

 新興貴族や豪商などが選ぶメイドは、基本的に見た目重視で仕事の出来不出来で選ばれることがまずない。一方、量より質の者は「わざわざ見た目のいい仕事のできないメイドよりも、見た目のいい仕事のできるメイド人形をひとり買ったほうがいい」と、メイド仕事特化の自律稼働人形を買って仕事させている例が多い。

 私がウィルフレッドと一緒に馬車から落ちると、メイド人形がちらりと顔を上げた。


「お帰りなさいませ、ご主人様」

「ただいまクレア。セシルは?」

「セシル様は部屋で寛いでらっしゃいます」

「ありがとう……それじゃあヴィナ、行きましょうか」

「ええ……」


 やけに流暢にしゃべるメイド人形だったなと思いながら、私はクレアと呼ばれたメイド人形に会釈をしてから、邸宅の中に入っていった。

 クレアと呼ばれたメイド人形ひとりに任せているせいだろうか。邸宅内は豪商の家とは思えないほどシンプルなものだった。階段はピカピカに磨き抜かれている一方、豪商や貴族にありがちな絵や壺、輸入品のよくわからない装飾品の類いは一切飾られておらず、ただただ掃除がされているだけの綺麗な廊下が続いている。

 その中、二階の隅部屋に辿り着いた。


「セシル、セシル。紹介したい人がいるんです。よろしいですか?」

「どうぞ」


 返ってきた声はひどく澄んだアルトの声だった。

 ドアを開けると、真っ白だった。レースのカーテンがはためき、中にいたのは栗色のウェーブのかかった髪を伸ばしっぱなしにした、透けるほど肌の白い少女だった。瞳は碧く、目を縁取る睫毛は驚くほどに長い。

 そして着ているのは真っ白なネグリジェだった。普通に考えればネグリジェで眠っていた時点で病弱なのではと心配になるのだが、この美しい少女がネグリジェを着ていたら、それはそういうデザインのドレスにも思えるから不思議だった。

 ……というか、こんな私と正反対の少女を娶っておいて、いったいなにが不満なのか。私は思わずじっとりとウィルフレッドを睨んだところ。

 この少女は私のことをじぃーっと警戒した顔で見つめていることに気付いた。


「……ごきげんよう。お初にお目にかけます。私はマルヴィナ・アンブローズ。王都で劇団ソラリスを主催しております……」

「……紫のバラ」

「はい?」


 病弱な彼女が私の舞台を見に来ていたんだろうか。私は思わず目を瞬かせていたら、セシルと呼ばれていた少女が、口を開く。


「君のおかげで僕の人生滅茶苦茶だ。この紫のバラ贔屓のクソ男のところに嫁入りされてさ。本当だったら、ここに嫁入りするのは僕の姉さんだったんだからさ」

「……はい?」


 可憐で儚い外見とは裏腹に、彼女の言葉遣いはあまりにも攻撃的だった。セシルは続ける。


「社交界では有名だったよ。紫のバラに粘着する気持ちの悪い豪商がいるって。その中で、うちの父さんは商売を失敗して借金をつくりまくってさ。その借金を返済するめどがたたなくって困っていたところで、ウィルが申し出てきたんだよ。『よろしかったら借金を肩代わりしましょうか、ただしお子さんが私に嫁入りしてくることが条件です』ってさ」


 私はじっとりとウィルフレッドを睨んだ。

 やけに私に固執していると思ったら、社交界でまで余計な浮名を流していたなんて私は聞いてない。ファンがおかしな行動を取っていても、私が余計なことを言ってもなと放っておいたけど、まさかそれが原因でセシルを不幸にする一端になっているなんて、こいつ恥がないのか。

 しかしウィルフレッドはどこ吹く顔だとばかりに「ははは」と笑う。


「でも助かったでしょう、セシル?」

「実家はね……姉さんは女優贔屓のウィルに嫁入りするのが本気で嫌だったんだよ。これは未婚恋愛禁止条例を逆手に取って、既婚者として紫のバラを口説き落とす気なんだ気持ち悪いって。なにもかも僕に押しつけて家出しちゃったんだよ」

「……それで、セシルがウィルフレッドのところに嫁入り?」

「そもそも僕、男なのに」


 それに私は押し黙った。

 セシルはあまりに華奢だし、妖精のような見た目だし、声だって低めの女性の声で通ってしまう。これが男。これが男。はーふーほーんと、思わず唸り声を上げてしまうものの、それをセシルはジト目で睨んできたので、好奇心を引っ込める。


「でも家に戻ったとしてもウィルが肩代わりしてくれた借金の返済のめどが立たないんだから、どこぞの未亡人の若いツバメになるしかない。男の正室としてウィルのところで生ぬるく生活するのと、どこぞの未亡人の若いツバメとして媚びを売り続けるの、どっちのほうがマシかって考えた末に、ウィルのところで身の振り方を考えることにしたんだよ」

「まあ、そういう訳さ。ヴィナ。納得してくれたかい?」


 私はセシルを見てから、ウィルフレッドを睨み付けた。


「詐欺じゃない」

「ええ……どこがかな、ヴィナ」

「男とはなんにもできないからって、私を側室って……セシルが可哀想だし、私も体が狙われているみたいで嫌です。気持ち悪い」

「ヴィナ、私は君のことを本当に……!」


 私の言葉に、余裕綽々だったウィルフレッドがいきなり血相を変える。ウィルフレッドが慌てふためくのを、これまたじっとりとした目でセシルは一瞥していた。


「だから言ったじゃない。真実を話したら気持ち悪がられるだけだって」


 どうもウィルフレッドとセシルは、結婚して恋愛関係は特になくとも、普通に夫と正室としての関係は完成していたらしい。なんていうことだ。

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